伊東市
地形概況
宇佐美火山東部斜面と丘陵性山地、天城火山東北部、円錐形の大室山と先原溶岩台地、伊豆高原などからなる。城ヶ崎は溶岩流出による海食崖をなす海岸である。伊東大川の谷底低地から山腹の傾斜地に市街地が拡大した。池地区は旧湖沼の排水による低地である。
地質概況
玄武岩質溶岩や凝灰角礫岩などの多賀火山、安山岩質溶岩や火山砕屑物などの宇佐美火山、安山岩質の遠笠山、玄武岩質の天城火山などからなる。大室山山麓から流出した玄武岩質溶岩は先原溶岩台地を形成し、小室山・伊雄山など側火山も多い。
気象概況
年平均気温が15.6℃で、最高月平均気温は8月の29.6℃、最低が1月の3.6℃とその較差が小さく、温暖である。年平均降水量は1973mmと比較的少なく、梅雨から夏にかけて降るが、月降水量の最大と最小の比は小さい。年平均湿度70%、風速は冬に大きい。
災害事例 地震
- 1995年10月1日 (平成7年) 伊豆半島東方沖群発地震 M=4.8
9月11日から群発地震活動が始まり、10月1日にM4.8、伊東・網代で震度4の地震を観測し、同4日に火山性微動が観測され県は災害対策本部を設置した。その後地震活動は低下し、同18日までにほぼ沈静化した。直接的な地震の被害はなかった。
- 1989年7月9日 (平成元年) 伊豆半島東方沖群発地震 M=5.5
6月30日から活発な群発地震活動が始まり、7月9日に最大規模の地震が発生した。伊東市内では軽傷22人、一部損壊92戸のほか、道路損壊16箇所、港湾施設被害11箇所の被害があった。
- 1980年6月29日 (昭和55年) 伊豆半島東方沖地震 M=6.7
被害は伊東市に集中し、負傷者7人、家屋全壊1戸、一部破損17戸、山崩れ22個所、道路破損21個所を生じた。
- 1978年12月3日 (昭和53年) M=5.4
伊東市で負傷1人、水道管故障7個所、落石2個所、その他墓石の転倒、建物の柱・壁の亀裂などの局地的被害を生じた。
- 1978年1月14日 (昭和53年) 伊豆大島近海地震 M=7.0
被害は負傷者4人、住家全壊1戸、半壊4戸、文教施設10個所、道路12個所、港湾施設2個所、水道7個所、清掃施設1個所、崖崩れ25個所、鉄道2個所などに及んだ。
- 1944年12月7日 (昭和19) 東南海地震 M=7.9
県中・西部で大被害を生じたが、伊豆では殆ど被害なく当地での震度は3程度に止まった。
- 1930年11月26日 (昭和5年) 北伊豆地震 M=7.3
丹那断層を生じた地震で、伊豆半島北部を中心に大きい被害を生じた。当市での被害は死者1人、負傷者24人、住家半潰2戸、建物破損108個所、荒廃林地32町歩に及んだ。また伊東では火災が発生し、53戸が全焼した。
- 1930年3月22日 (昭和5年) 伊東群発地震(2月13日~5月末)の一つ M=5.9
伊東で屋根瓦の落下、壁の亀裂。
- 1923年9月1日 (大正12年) 関東地震 M=7.9
東京・横浜を潰滅させた大地震。当市の被害は死者(行方不明)、伊東町で79(30)人、小室村で7人であり、また家屋全潰は伊東町で219戸(11.0%)、宇佐美村で33戸(6.8%)、小室村で4戸(0.7%)であった。
- 1854年12月23日 (安政元年) 安政東海地震 M=8.4
当市では大地震と記録されている。
- 1703年12月31日 (元禄16年)
宇佐美で死者380人余、玖須美で死者163人、この辺りで波10丁ほど陸に上がるといわれる。
災害事例 津波
- 1960年5月24日 (昭和35年) チリ地震津波
南米、チリ沖で起った地震による津波で、日本の太平洋岸全域に被害を与えた。当市では検潮器の記録で東京湾中等潮位上0.9mの津波があった。
- 1944年12月7日 (昭和19年) 東南海地震津波
津波の高さは検潮器の記録から0.5mであり、被害はなかった。
- 1923年9月1日 (大正12年) 関東地震津波
有名な関東地震による津波で、当市でも大きな津波に襲われた。その高さは、宇佐美で4~7m、伊東で3~7.5m川奈・富戸・八幡野・赤沢などでも5m程度である。またそのため流失家屋も伊東で294戸、宇佐美で111戸、小室で56戸に及んでいる。
- 1854年12月23日 (安政元年) 安政東海地震津波
津波の高さは宇佐美3m、伊東3m、川奈4.5m程度で、宇佐美の漁船が流失したことが記録に残っている。
- 1703年12月31日 (元禄16年) 元禄地震津波
宇佐美では津波が急に上げてきて溺死者約380人といわれ、津波の高さは7~8mに達した。また伊東では、松原・和田など "村中湯舎共引とられ…、溺死160余人"、などと記録されており、高さ8~12mの大津波であった。川奈でも海蔵寺石段上より3段目まで浸水したといわれ高さは8m程度の津波であった。
- 1633年3月1日 (寛永10年)
宇佐美で津波の高さ4m程度、民家が流失し死者が2~3人生じた。
災害事例 火山
- 1989年7月13日(平成元年) 伊豆半島東方沖海底火山
7月11日夕刻から火山性微動が始まり、13日18時33分に群発地震活動の中心部にあたる手石島の北2Km地点で海面が盛り上がり、引き続いて水柱や灰色の噴煙が観測された。噴火は18時45分まで12分にわたって断続的に観測された。直接的な被害はなかった。
災害事例 台風
- 1958年9月26日 (昭和33年) 狩野川(22号)台風
伊豆半島一帯で死者・行方不明1,000人以上の被害。伊東で最大日雨量26日318mmに達し、大川・寺田川・小沢川が氾濫、各所で堤防が決壊した。市街地浸水最高水位は4mを超した。死者42人、負傷者732人、行方不明16人、全壊125戸、半壊140戸、流失76戸、床上浸水1937戸、床下浸水2,204戸、田畑流埋57haの被害を生じた。
- 1938年6月29日 (昭和13年)
中・東部・伊豆地方で豪雨、6月28日~7月5日の8日間の雨量は647mmに達した。伊東の最大日雨量は29日に312mmであった。
- 1920年9月30日 (大正9年)
雨量は熱海で261mm(29~30日)に達し、伊豆地方特に田方郡に被害を与えた。伊東市での被害は死者4人、全壊31戸、半壊22戸、流失16戸、床上浸水133戸、床下浸水467戸、流埋冠水田畑40ha、山崩208個所などである。
- 1824年8月17日 (文政7年)
当日から約3日間、北からの風雨激しく、大波や大水害を受けた。
災害事例 豪雨
- 1961年6月28日 (昭和36年)
伊東で13時~16時に160mmの豪雨があった。
- 1902年8月7日 (明治35)
県中部以東で大雨、伊東で日雨量348mm。
災害事例 旱魃
- 1926 (大正15年)
県下全般に旱魃で農作物に大被害を受けた。伊東での8月の雨量は38mmしかなく平年より254mmも少なかった。
災害事例 冷害
- 1836(天保7年)
天保4年から7年にわたる不作は7年が最も甚だしく、川奈では飢餓人として68家族305人、窮民として31家族132人が救済を受けたという記録がある。
防災上の留意点
低地は地震時に液状化に伴う噴砂や地盤の軟弱化などの恐れがあり津波による施設の破壊や浸水に注意を要する。傾斜地は脆弱な地盤であるので、地形を変えることによって斜面崩壊が促進され易い。波浪による海岸侵食に弱いので,施設立地には十分注意したい。