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ホーム > 教育・文化 > 文化・スポーツ > 文化・観光部 文化学術局 文化政策課 > 文化もの知り情報 > 「江川坦庵絵画コンクール」作品募集について

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更新日:平成24年2月29日

「江川坦庵絵画コンクール」作品募集について

江川坦庵絵画コンクールの募集概要

1テーマ

「坦庵(たんなん)を描く」

江川坦庵に関すること[偉業や仕事など]や坦庵本人を、自由に表現してください。

2応募資格

静岡県内の小学生

3募集期間

平成23年8月1日月曜日から平成23年10月31日月曜日まで(必着)

4応募規定

B3サイズ(364mm×515mm)の画用紙またはケント紙を横に使用し、平面に限る。

画材は、クレヨン、色鉛筆、水彩絵の具など自由。

応募にあたり作品の裏面に

  1. 氏名(ふりがな)
  2. 学校名・学年
  3. 性別
  4. 絵のタイトル
  5. 自宅住所
  6. 電話番号
  7. 保護者名

を直接記入又は記入した用紙を貼付してください。

5応募の注意

  • 作品は1人1点までとし、未発表のオリジナル作品に限ります。
  • 作品は、郵送、宅配で送付または直接持参してください。
  • 応募作品は返却いたしません。入賞作品の著作権は主催者に帰属します。
  • 入賞作品は主催者の広報用に加工し、使用する場合もあります。
  • 入賞者の氏名等は、新聞等の報道やホームページなどで発表します。
  • 御応募いただいた方の個人情報は、本コンクールに関係する事柄以外には使用しません。

6作品の送付先

〒420-8601 静岡市葵区追手町9-6 県庁東館11階
静岡県文化政策課内「江川坦庵絵画コンクール」事務局

電話054-221-3340
FAX054-221-2827

7賞

大賞1点、優秀賞5点程度を選びます。(副賞もあります)

8表彰式

平成23年12月に入賞者の表彰を行います。

9展示

作品は、平成24年1月から3月の間に、伊豆箱根鉄道駿豆線の電車内に掲示します。
(トレインジャックとして、1編成の車内に作品をかざります)

10主催

輝く静岡の先人展実行委員会、静岡県、伊豆の国市

11協賛

伊豆箱根鉄道株式会社、三島信用金庫

輝く静岡の先人展 江川坦庵とゆかりの人々

展覧会に行って、坦庵さんを知ってみよう!
輝く静岡の先人展江川坦庵とゆかりの人々

1静岡会場

秘蔵品の初公開もあります。ここに来れば江川坦庵公を詳しく学べます。
パンの老舗「銀座木村家」の‘あんぱん’の配布もあります(注意:配布日と数に限りがあります)
大学生の作品説明もあります。夏休みの宿題相談もできるかも。

  • 会期 平成23年8月1日 月曜日~8月20日 土曜日
  • 会場 グランシップ6階展示ギャラリー(JR東静岡駅南口すぐ)
  • 入場料 大学生以下は無料(一般は有料)

詳しくは、グランシップチケットセンター054-289-9000

2沼津会場

  • 会期 平成23年10月1日 土曜日~10月30日 日曜日
  • 会場 沼津市明治史料館(沼津市:国道1号バイパス沿い)
  • 入場料 大学生以下は無料(一般は有料)

詳しくは、沼津市明治史料館055-923-3335

3伊豆の国市

11月6日 日曜日には、「坦庵フェア」が伊豆の国市で行われます。
江川邸や韮山反射炉もある伊豆の国市にも行ってみよう!

江川坦庵とはどんな人?

江川坦庵(たんなん) 英龍(ひでたつ) 近代日本の先覚者~幕末の軍事改革をリード~韮山代官江川家

江川家は、現在の伊豆の国市韮山を本拠とする中世以来の伝統を持つ家柄で、江戸時代には、代々幕府の代官を務めました。代官とは幕府の地方行政を担う役職です。英龍は、幼名を芳次郎といい、別に江川家当主が襲名した「太郎左衛門」、号である「坦庵」を名のっています。

英龍が韮山代官に就任した当時の領地は、伊豆、駿河、相模、武蔵の4カ国に及んでいました。

軍事改革の必要を主張

江戸時代後期になると産業革命を成功させたイギリス、フランス、アメリカなどの欧米列強は、強大な武力を背景にアジアの植民地化を進め、わが国にも通商を求めてきました。領地内に長い海岸線を抱える英龍は、欧米列強からわが国をいかに守るか(海防政策)について強い懸念を抱いていました。

英龍は、洋式兵器の研究に努める一方、自ら収集した海外情報に基づき、再三にわたり海防政策について幕府に建白書(けんぱくしょ)を提出しています。

建白書では、江戸湾を中心とする海防体制の整備や軍艦の建造など、軍備の洋式化の必要を強く主張していました。ところが、幕府は英龍の建白書を取り上げず、かえって英龍と志を同じくする渡辺崋山や高野長英などを厳しく処罰しました(蛮社(ばんしゃ)の獄(ごく))。

ペリー来航後の軍事改革を主導

しかし、1853(嘉永6)年、ペリーの黒船が江戸湾に来航し、その危機が現実のものとなると、幕府は急きょ、英龍を海防政策の指導者として登用します。

英龍はペリーの再びの来航に備え、江戸の前面である品川沖に、砲台を備えた台場建設を進める一方、外交交渉のため土佐の中浜(ジョン)万次郎を登用しました。一方、1854(安政元)年、鉄製大砲の量産のため、銑鉄(せんてつ)の溶解炉である反射炉の建設を地元鳴滝(現伊豆の国市)に進めました。

安政の大地震が起こると、英龍には下田で座礁したロシア船ディアナ号の手当ても命じられます。英龍が進めた代船建造は、わが国初の西洋式帆船ヘダ号の完成につながりました。英龍は積年の思いを果たすべく、海防体制の整備に奔走しますが、ついに過労から病に倒れ、1855(安政2)年、病死します。

英龍の構想はその後、幕府さらには明治政府に引き継がれ、わが国の近代化の礎になりました。英龍は、種痘の普及やパンの製作などにも挑む一方、西洋の学問を積極的に幅広く取り入れるなど、代官として優れた手腕を発揮し、領民にも慕われました。また、文武両道に努め、剣術、詩文、書画などに優れた才能を発揮しました。その一方で、母が臨終の際に与えた「忍」の一字を座右の銘とし、質素倹約に努め、夏には蚊帳(かや)を用いず、冬も袷(あわせ)一枚で過ごし、火鉢を使わなかったといいます。

(「輝く静岡の先人」(発行 静岡県)から転載)

お問い合わせ

文化・観光部文化学術局文化政策課

静岡市葵区追手町9-6

電話番号:054-221-2252

ファックス番号:054-221-2827

メール:arts@pref.shizuoka.lg.jp

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