ホーム > ようこそ知事室へ > 県議会開会日の提案説明【ようこそ知事室へ】 > 令和3年12月県議会定例会冒頭知事発言(参議院静岡県選出議員補欠選挙での不適切発言に対する謝罪)
ここから本文です。 |
更新日:令和3年12月28日
令和3年12月県議会定例会冒頭知事発言(参議院静岡県選出議員補欠選挙での不適切発言に対する謝罪)議長には、発言の機会を与えてくださり、ありがとうございます。 私の辞職勧告決議は、既に可決されております。このことを極めて重く真摯に受け止めております。 過日は、知事の辞職請願・勧告にかかわる案件をめぐる臨時議会において、選挙中の私の発言に「非」のあったところをご指摘いただき、ありがとうございました。 改めて、御殿場の市民、県民の皆様に、その非を認め、心よりお詫び申し上げます。 また、議員諸氏の間に分断を招いた責任は、ひとえに私にあり、猛省しております。 県内の人々や地域の差別につながる言動は、公人として、決してあってはなりません。それに悖る発言をしたことは、慚愧に堪えぬところであります。 辞職の是非について、反対2名、賛成2名の代表意見をお聴きしました。
反対意見では、発言の「非」を指摘しつつも、 お一人は、すでに謝罪・撤回がなされていること、 もうお一人は、法令や政策にかかわるものでないこと、 をあげられました。
賛成意見では お一人は、撤回したにせよ、発言の事実は消せないこと、 もうお一人は、そもそも知事としての資質に欠けること、 をあげられました。
すべての意見を謹んで拝聴いたしました。「随処に主となれば、立つ処みな真なり」の禅語のとおり、いずれも、お立場と信条に即した真摯な思いの表白であり、説得力がございました。私にとっては、至らぬところを自覚できたことが何より有り難く、ご叱正に深く感謝しております。 辞職勧告決議により即刻、辞職すべき身となりましたが、静岡県のおかれている現状に照らせば、今、知事を辞して、県民の皆様に知事選をお願いすることはできません。 しかし、辞職を勧告された身であり、明日にも進退を決する覚悟はできております。「明日いかに散らむ名知らず今日の日の今日する業にわが命あり」の心境であります。 東洋の生んだ先哲は「七十歳にして、心の欲する所に従って、矩をこえず」と述べましたが、凡人たる我が身に照らせば、「心の欲する所に従えば、矩を超えかねない」という戒めと受け止めております。 では、矩をこえないために、何をなすべきか。日本の生んだ大聖人は「和を以て貴しとなし、……事独り断(さだ)むべからず、かならず衆とともに論(あげつら)うべし」と十七条憲法に謳いあげ、その精神は「広く会議を興し、万機公論に決すべし」の五箇条御誓文の第一条に生きています。私は十七条憲法ならびに五箇条御誓文の精神を胸にたたきこみ、県政運営にあたっては、県民各位の声に耳を傾け、つねに「万機公論」を旨としてまいります。 また「ふじのくに公務員の心得八箇条」にある「公務において、身に私を構えない」の第一条は、公人たる知事にあっては、さらに徹底しなければならないという新しい自覚につながりました。すなわち、公人たる知事は、公務ではもとより、そうでない場合でも、常に、どこでも、公人である、という強い自覚であります。ここに、これより知事の心得るべきこととして
一、常時公人(いかなるときも、公人である) 一、得意淡然(得意において、淡然たること) 一、失意泰然(失意において、泰然たること) 一、危機決然(危機において、決然たること) 一、常在道場(いま、ここが、道場である)
を知事の心得五箇条となし、これを実行する決意を固めております。この決意のもとに、県民すべてのために、公人・知事としての職責を果たしてまいりたい。 最後に一言。なぜ、差別をしてはならないのか。それは、この世界に、だれ一人、同じ人はいないからであります。どなたも、かけがえのない存在です。人間はもとより、自然界においても、この世に生を享けた「生きとし生けるものもの」すべてが、どれひとつ同じものはなく、一個一個がかけがえのない存在です。それゆえ、この世に生を享けたからには、すべからく、生を寿ぎ、幸福でなくてはなりません。萬物平等は私の抱懐している根本思想であります。みずからの思想・信条に悖ることは決してしないと誓い、県民の皆さまの幸福の増進のために邁進する所存であります。 議員各位の御寛容と御理解を願い上げるものであります。 以上、御清聴くださり、ありがとうございました。 より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください |