人づくりちょっといい話51

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ページID1018518  更新日 2023年1月11日

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タイと小林虎三郎

「タイの東北部へ行ってみませんか」十二年前、今は日本民際交流センターの代表をされている秋尾晃正さんという方が、留学生の言葉に動かされてタイを訪ねました。

驚いたのはその貧しさでした。ほとんど中学に行けず、子どもは小学校を終えたらすぐに労働者として働かなければいけない。秋尾さんは一生懸命に募金運動をして、四十二人の人から五百万円の奨学資金を作り、再びタイの北東部の村に入っていきます。

「奨学金を持ってきたから、進学したい人を集めてくれ」と村長さんに頼みます。集まった子どもたちに「中学に行かないか?」と呼び掛けても、うつむいてだれも返事をしない。三つ四つと村を回ってもその繰り返し。クタクタになって翌日、ハッと気付きます。子どもたちに学ぶことの意味や、自分自身の成長を話していなかったと。

そこで、新しい村に入って子どもたちにこんな話をします。

「日本で明治維新という革命があった時、長岡藩ではお米に困って食うや食わずだった。その時親戚の藩からお米が百俵送られてきた。喜んでみんなで食べようという時に、ただ一人小林虎三郎という学者が『お米は食べてしまえば三日でなくなる。しかしお米をお金に換えて学校を作れば百年二百年と続く人材がそこから生まれてくる』と言った。『何を言うか』と刺客に襲われるのですが、刺客に向かって『斬るなら斬ってくれ。しかし私の言い分を聞いてから刀を抜いてくれ』と、さきほどの話をします。すると刺客は『その通りでした』と引き上げます。結局、そのお米を売ってひもじさに耐えながら学校を建て、その中から山本五十六元帥や斉藤博アメリカ大使といった輝かしい人材が生まれたのです。」

そして秋尾さんは自分の話に戻って、「終戦のとき、日本中が焼け野原でみんな食うや食わずだった。焼け跡に子どもたちがそれぞれ自分で場所を選んで座って、先生から算数や国語や図工を習ったんだ。『青空教室』と日本中で言っていたんだよ。そこから立ち上がった人々がいて、今の日本があるんだ。勉強するということは、君たち自身のためではあるけれども、お父さんやお母さんがもっとマシな生活ができるようになるってことだ。弟も妹も中学校に入れるようになるってことだよ」と説くんですね。

終わって「だから私は中学に入ることを勧めに来たんだ。やるか?」と聞いたら、一番前の小さな子がパッとこぶしを挙げて「入ります!」って言ったそうです。「僕も」「私も」と言い出し、結局全員が中学に行くことになった。それから毎年、秋尾さんは日本に帰ってお金を集めてはタイへ行って、村から村へ学校を建て子どもに教科書を与え先生にお給料を与えていった。現在は中卒が86%、1万2千5百人が中学を卒業しています。平成九年からは対象をラオスにも広げ、1万6千人以上の子どもたちの夢をかなえています。

草柳大蔵著「午前8時のメッセージ99話」(静岡新聞社、平成13年発行)より

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