人づくりちょっといい話26

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ページID1018524  更新日 2023年1月11日

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中江藤樹の師としての偉さ

中江藤樹(なかえとうじゅ)という人はすごいですね。自分の塾にやってきた子どもでたった一人、教えるそばから忘れていく子がいるんです。その子どもは「先生、ごめんなさい」と授業中に泣くんですね。そうすると「泣くんじゃないよ。おまえができるまで先生は付き合うよ」と言って、他の子はみんな帰ってしまったのに、奥さんにご飯を作ってもらってその子にも食べさせて、「わかったか?」と言って教えてやるけれども、どうしても駄目なんです。

ところが、三ヶ月経って、その子が生物に異常な興味を持っていることに気付くんですね。そこで、鳥の生態とか虫の生態とか、そういうことを細かく観察して話す。「おまえ、生物が好きなんだな。」というところから、人間の解剖図まで見せてあげる。そして中江藤樹は、たった一人で、その子のために毎晩睡眠時間を減らして、一冊の教科書を書き上げたんですよ。なんと医学の教科書なんです。それで、「さあおまえ、これだったら喜んで勉強できるだろう?」と言って渡す。その子はのちに立派なお医者さんになったんですね。

こういうことを考えてみると、「この子は元々頭が悪いんだ」とか「勉強嫌いなんだ」と親や先生が決めてしまうというのは非常に大きな責任放棄ですよ。何に対する責任放棄かというと、人間が内側に持っている可能性に対する大きな責任放棄なんですよね。その可能性に対して、いろいろな手段で問い掛けて、その内側にある可能性が目を覚ましてくれるまで付き合ってきたというのが、実は終戦前までの日本の教育だったんです。江戸時代の寺子屋が小学校につながったから日本はものすごく教育程度の高い国民国家を形成することができたんですね。その財産を、戦後どうやら食いつぶしちゃったんです。子どもたちの持っている可能性をじっくり育てようというのんきな考え方を持てばいいのに、大量生産、大量消費、大量廃棄という、大量というものを軸とした価値観念が出てきて、「さあ、大量生産時代に勝つためには、何といっても効率だ」と、人間形成までスピード本位に考えるようになってしまたんですね。それが今日になって、「ああ、大変なことをやってしまったな」という反省が出てきたんだろうと思うのですが、人間の持っている知恵を何とかして揺り動かして目覚めさせるという、人間的な授業なり、メッセージの渡し方なりがこれから出てくると思うんですね。

そういうことに気が付いた先生が随分といらっしゃいます。「『学力』と言うから、落ちるの落ちないのということになるんだ。そうではなくて、『学習力』というものを考えていけばいいじゃないか」と。案外、地方の学校の先生がちゃんとしたことをおっしゃっているんですよ。私は、「新しい教育の芽、あるいは光というものは、地方から出て行くんだな」という思いで、今、春を迎えようとしています。

草柳大蔵著「午前8時のメッセージ99話」(H21年発行静新新書)より

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