人づくりちょっといい話9
家庭で教育環境をつくろう
「格物致知(かくぶつちち)」という言葉があります。「物事を通して、具体的な動作をして得た知恵が本当の知恵だ」という意味なんです。これに反して、人間が実際に物に当たって仕事をしないで、ボタン一つで装置にやらせるというのが現代文明の特徴ですね。
例えば、家庭の中の三種の神器、電気洗濯機、電気掃除機、電気炊飯器ができて、どのくらい家事労働をしないで済むようになったかと言うと、昭和37年(1962)の段階で3時間27分、主婦は家事労働から解放されたそうです。その3時間27分を何に使ったか。今だったらパチンコになるのでしょうが、当時はカルチャーセンターなどに行ったりしたんですね。別に悪いことではないのですが、それによって、実際に物事に当たって得た知恵、あるいは知恵を体の中に蓄積するために物事に当たるチャンスを、日本人はどんどん失っていきました。ですから、魚を三枚におろせないお母さんが増えたりするのも当たり前です。スーパーに行けば、ちゃんと三枚になってお刺し身になっているのですからね。
体を使わないで知恵だけを得る。その知恵も実際的な知恵ではなく、既に記号化されたり数値化されたりした、つまり加工された情報を知恵と思っているんですね。本来は生の情報を自分の中に入れてから、自分で加工していく。その過程を含めて、自分の情報になるはずなんですが、今はその手間をかけない。そのため、お母さんたちが子どもたちに教えようとして、段取りや手順が分からないんですね。いわば子どもと同程度の人が、教えようとしているわけです。それでは具合が悪くて、子どもに対して「勉強しなさい」「あの学校に行きなさい」と、母親の期待ばかりが子どもの方に降り掛かってくる。おとなしい子どもはそれを受け止め、期待に添って振る舞って、母親の望むコースを通って行くわけです。子どももまた、記号化されたもの、数値化されたものしか知らないということになりますね。
こんな話があります。ある子どもが、駿河湾の近くに帰る友達と一緒に、怖い顔をしている魚を釣った。「鬼カサゴだろうか」という話になって、家へ帰って『魚類図鑑』を調べたら載ってなかったんですね。普通は「図鑑が間違っている」と判断するのですが、この子は「魚の方が間違っている」という判断をしたというんですね。
こうした状況にあって、子どもを育てるべき母親たちが、学校の授業参観で私語を止めないこと。それは、教育環境を自分たちの手で壊しているということにもなるんです。教育というのは一つの特定の状態なのですから、その状態を家庭の中からつくっていかなくてはいけません。子どもに朝ご飯を食べさせる、学校へ行ったら私語をしない、家の中でも子どもが話している間は聞き役として私語をしない。教育とは、子どもが一人前になって、親の手から離れるまでに、成長していくための状態をつくってあげることなんです。
草柳大蔵著「午前8時のメッセージ99話」(H21年発行静新新書)より
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