人づくりちょっといい話37

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ページID1018561  更新日 2023年1月11日

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自分で価値を見つけだす

「スポーツの秋」です。国体や運動会があります。野球好きの人にはたまらない日本シリーズも秋ですね。

野球選手の中には、いろいろな人生教訓を残していった人がいるように思います。面白いことに、教訓めいたことを言った選手、あるいは教訓めいた言葉というのは、意外に残らない。残そうと思って残した言葉というものは、どこか薄っぺらなところがありますが、選手が本当に自分の野球歴の中から、体でもって語った言葉というのは印象が強いですね。野球選手だけではありません。歌舞伎役者もそうですし、小説家も政治家もそうです。

稲尾和久というピッチャーがいたのをご存知でしょうか。最近、日本経済新聞で『私の履歴書』という30回の連載をなさいました(2001年7月1日~31日)。「神様、仏様、稲尾様」といわれるくらい、連戦連投、立て続けに投げ続けたピッチャーなんです。

稲尾投手は、西鉄ライオンズ(今の西武ライオンズ)に入団し、下積みからプロ生活が始まりました。バッター用のピッチャーだったんです。その当時の西鉄には、大下弘や中西太、豊田泰光といった、名うての強打者が並んでいました。これらの選手に対して、毎日300球から400球投げることが仕事だったんです。そのうち、ストライクはもちろん、ボール球も投げなければいけない。それによって、バッターはストライクが来たら球を飛ばす、ボールが来たら見送る(つまり、ボール球を見極める)ということだったんですね。

毎日毎日、400球を投げさせられるのは若いとはいえ大変だったんでしょうが、あるとき彼は、「そうか。ストライクはベースの上をちゃんと通らなければいけない。あとの球はボールだから、どんな球でもいいんだな。だったら僕の球を投げよう」と考えたんですね。ストライクだけでなく、ボール球を投げることで、彼は制球力を身に付けたといいます。これは大変なことですよ。

普通だったら、400球も投げさせられたら「人間は機械じゃない」とか「そんな非人間的なことができるか」といった批判になりますよね。あるいは、「退屈だ」ということになると思うんですよ。ところが、自分の仕事の中に、自分で価値を見つけてしまう男がいるんですね。

つまらなくても仕事を面白くする、捨てたものでも活かして使う、古ぼけた部屋でも新しい風が入ってくるようにする、というわけです。こんなご時世ですからぜひ覚えていただきたいのですが、これを前にお話した人の気付かなかった利益、「天下の遺利」というんですね。

草柳大蔵著「午前8時のメッセージ99話」(H21年発行静新新書)より

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