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数年前のテレビの大人と高校生等との討論番組において、確か男子高校生からだったように記憶しているが、「人はなぜ人を殺してはいけないのか」という質問が出されたことがあります。なぜ、こんなことを質問するのか私もショックを受けましたが、社会的にも大きな反響を呼びました。人間が人間の生命を大切にすることは当然で、こんな疑問を持つこと自体が変だ、とか人間には生きる権利があるからそれを奪えないのは当然だとかです。
この答えは、逆に人が人を殺してもいい社会になったらどうなるかを考えてみたら出てくるのではないかと思います。一歩家から出たらいつ殺されるか分からないとしたら、一切外に出掛けることもできずに自分の家に閉じこもることになるでしょう。学校に行くことも職場に行くことも、ましてや買い物や旅行に行くこと等もできなくなります。外で活動する人がいなくなるため、社会も闇に閉ざされ停滞し、進歩どころか退化することになります。人を殺してはいけない、人には生きる権利があることを法的に保障することが、個人の自由な活動を保障し、明るく活動的な進歩する社会を作ることができるのです。
これは、人権全てに言えるのではないでしょうか。例えば、学校のクラス等において、何かの行事を計画する話し合いをした時に多数の意見に反対した者をその行事に参加させなかったり、いじめたりする等のことがあったとしたら、クラスにおける話し合いにおいてみな自由に発言しなくなり、クラス討論も成り立たず、結局は話し合いそのものがなくなってしまいます。そうなると、個々人にとっても自分の意見を表明する場がなくなるとともに、クラスにとっても個々人の自由な考え方や意見によって計画している行事の内容を進化させることもできず、また行事を行っても皆それを理解しないまま行うことになり、よりよく達成させる活力も生まれてこないことになるでしょう。
法によって、人を殺したり、暴力を振るうことを禁止したり、また、いじめや虐待、そして人の自由な行動等を妨害することを禁止することは、正に人の自由な行動を保障することなのです。また、禁止する法がなかったとしても、個々人が人の人権を守ることが、自分の人権を守るとともに、社会を明るく進化させることになるのです。このためには、人は常に、自分の全ての行動が、他人の人権、個人としての尊厳を侵害することがないかを考える必要があります。