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更新日:令和2年10月28日

虐待は許さない、いや許してはならない

人権擁護委員 杉山 佳代子

今から30年も前になるが、末の子どもが通っていた小学校で、3年生のA君が継父に虐待され殺された事件があった。A君は青梅市の児童養護施設に入っていたが、実母が再婚するにあたって静岡に転校してきたのだが、継父から電気コードで手足を縛られひどく殴られて、わずか半年で幼い命を奪われてしまったのである。

後でわかったことだが、PTAの交通旗振り当番のお母さんたちが、時間がきたので片付けようとすると、遅刻すれすれに一人でトボトボとランドセルを背負って歩いてきた男の子がA君だったそうだ。足が妙に細く傷だらけで枯れ木のようだったことも、家で十分食事をもらえず、命をつないだ唯一の栄養源は、給食だったらしいと聞いて、私は涙が出た。小さな工場が周りにある借家で近隣との付き合いもなく、救いの手は皆無だった。

母親と一緒に暮らせると思って施設から出たA君が夢見た静岡の生活は、何と残酷だったことだろうか。指と指の間もタバコの火傷跡。「どうしてこんなことが!」「先生は気がつかなかったの?」「お母さんはなぜ守れなかったの?」子育て中の私は、他人事とは決して思えず、疑問と怒りで、裁判が始まると傍聴によく出掛けた。その後、縁あって保護司や人権擁護委員の役を引き受けてきたが、その原点は社会の片隅で命を奪われたこのA君の事件がきっかけとなっている。生きていれば彼も40代になっているのだろうか。

全国で、その後も子どもの虐待事件があちらこちらで起きて後を絶たない。昨年も、母親がまだおむつもとれない幼い子ども2人を残して鍵をしめ、放置して餓死させた痛ましい事件があり、まだ記憶に新しい。相次いで起きるのでケースが混同してしまうくらいだ。

昨年5月、県内の函南町でも、1歳5カ月の長女を投げつけて死なせた22歳の母親の事件。子どもは3日後、脳挫傷で死んだが、多数の皮下出血が認められ、その残虐性には驚くばかりだ。そして、先日、その母親が傷害致死罪に問われた裁判員裁判で、県内で初めて求刑を上回る判決が言い渡されたことが大きく新聞報道された。言葉もしゃべれない、無抵抗なわが子を一方的に投げつけ、泣き声が大きくなっても意に介さなかった母親。

これからは社会全体で、若い保護者への地域ぐるみの支援やサポート支援が必要だと思う。しかし、背景にどんな事情があるにせよ、「虐待は絶対に許されない、いや許してはならない」と私はいつも思っている。なぜなら、虐待は『強者と弱者の悲しい構図』だからだ。十分愛された子どもは、大人になり子どもを愛する親になるでしょう。