信仰の対象と芸術の源泉

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ページID1020133  更新日 2024年8月8日

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富士山と信仰

古より日本人は、噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として畏れ、噴火を鎮めるために富士山の麓に浅間神社を建立しました。噴火活動が沈静化する平安時代後期になると富士山は、日本古来の山岳信仰と密教等が習合した「修験道」の道場となりました。12世紀前半に活躍した修行僧の末代上人は、山頂に大日寺を築きました。室町時代後半には、修験者とともに一般庶民も登拝するようになり、戦国時代に現れた長谷川角行が新たな富士山信仰を教義としてまとめたとされています。角行の教えは弟子へと引き継がれ、江戸時代中期には「富士講」として関東を中心に大流行し、多くの人々が富士登山や富士五湖等の霊地への巡礼を行うようになりました。明治になると女性の山頂登山も解禁となり、また鉄道や道路網の発達により多くの登山者が山頂を目指すようになりました。

写真:富士浅間曼荼羅図
絹本著色富士曼荼羅図(富士山本宮浅間大社蔵)
写真:富士山御来光
御来光

富士山と芸術

富士山はその美しい姿から、様々な創作活動の題材となってきました。8世紀に編纂された日本最古の歌集である『万葉集』にも、富士山が詠まれた作品があり、そのひとつでは、富士山を国の鎮めの神であり、宝であると詠んでいます。この時期立ち上っていた噴煙は、燃える恋の象徴として数多くの文学作品に描かれました。『竹取物語』『古今和歌集』『伊勢物語』などの古典作品をはじめ、松尾芭蕉や与謝野蕪村の俳句、夏目漱石や太宰治の作品にも取り上げられています。富士山を描いた最も有名な絵画としては、江戸時代に製作された浮世絵があげられます。浮世絵では、葛飾北斎が『冨嶽三十六景』で、歌川広重が『不二三十六景』『東海道五拾参次』で様々な場所から見た富士山を描き、ゴッホやモネなど、印象派の画家にも影響を与えました。近代日本がでは、『群青富士』で知られる横山大観などが数多くの富士山の作品を残しています。これらのことから、富士山には、芸術の厳選として世界遺産(文化遺産)にふさわしい価値があるといえます。

写真:歌川広重「東海道五十三次」
歌川広重「東海道五十三次」(静岡市立東海道広重美術館所蔵)
写真:群青富士
横山大観「群青富士」(静岡県立美術館蔵)

富士山の顕著な普遍的価値

「富士山信仰」という山岳に対する固有の文化的伝統を表す証拠

富士山に住まうと考えられた神仏への信仰を起源として、火山との共生を重視し、山麓の湧水などに感謝する伝統が育まれました。その本質は、時代を超えて今日の富士登山及び巡礼の形式・精神にも確実に継承されました。富士山とその信仰を契機として生み出された多様な文化的資産は、富士山が今なお生きている山岳に対する文化的伝統の類い希なる証拠であることを示しています。

顕著な普遍的意義を持つ芸術作品との直接的・有形的な関連性

19世紀前半の浮世絵に描かれた富士山の図像は、近・現代の西洋美術のモチーフとして多用され、西洋における数多の芸術作品に多大なる影響を与えたのみならず、日本及び日本の文化を象徴する記号として広く海外に定着しました。富士山は、そのような顕著な普遍的意義を持つ芸術作品と直接的・有形的な関連性を持ち、日本及び日本の文化の象徴としての記号化された意味を持つ類い希なる山岳です。

このページに関するお問い合わせ

スポーツ・文化観光部文化局富士山世界遺産課
〒420-8601 静岡市葵区追手町9-6
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