第19回伊豆文学賞 入賞作品あらすじ(作者自身による作品紹介)

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ページID1044370  更新日 2023年1月11日

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(1)小説・随筆・紀行文部門

最優秀賞 「蹴れ、彦五郎」 (小説)

戦国大名今川家最後の当主今川彦五郎氏真(いまがわひこごろううじざね)。政(まつりごと)も師(いくさ)もとんと駄目だが、蹴鞠では神業を見せる。そんな彦五郎の元に北条家から嫁いだのは女だてらに図抜けた軍才を持つ由稀(ゆき)。当初は夫の愚将振りに落胆するも、如何なる才も見抜き平等に扱う姿に惹かれてゆく。

大名の地位を失い放浪する夫婦は近江六角家臣の遺児達に請われ剣術や兵法を教える。その中で子ども達の無限の可能性を感じ、他事に興味を持たせようと奔走する。

そんな時、父の仇である織田信長から蹴鞠を披露せよという要請が来るも断り続ける彦五郎。しかし織田家の残党狩りで教え子達が犠牲になったことを知り、彦五郎は決意を胸に秘め蹴鞠を披露することを由稀に告げる。

彦五郎を笑いものにしようと蹴鞠総本山飛鳥井(あすかい)家を従え待ち受ける信長。圧倒的に不利な状況の中、彦五郎は勝ったならば信長に一言物申す、負けたならば首を差し出すという賭け蹴鞠を提案する。

優秀賞 「さあ、つぎはどの森を歩こうか」 (紀行文)

27年ぶりに故郷の静岡に戻って以来、それまでさんざんしてきた山歩きをわたしはほとんどしなくなっていた。ところが、ふとしたきっかけで目にした“蕎麦粒”という山の名前が気になって、ひさびさの、そしてほぼ初めての静岡の山歩きに出かけることになる。そこで目にしたのは、いままでに見たことのない巨木が立ち並ぶ手つかずの森の姿だった。その後、安倍川、大井川、天竜川流域にある手つかずの森を求めてわたしは山歩きを再開し、森の中のさまざまな音や匂い、山菜やキノコの味、鮮やかな新緑や紅葉など、手つかずの森がもつ“野性”の魅力に捉えられた。中高生の頃、これ以上この国の森を壊すことがないようにと森のことを知り、その貴重さや魅力を多くの人に知ってもらいたいと思って続けてきた森歩きだったが、20年以上たったいま、その思いはいったいどうなったのだろう。

佳作1 「ブタの足あと」 (随筆)

川根本町の水川林道でヤマドリ猟の折、ベルギー人と出逢い猟に同行し意気投合した。彼は故国でも猟の経験が無かったのに、イノシシ、シカ、ブタの足跡の違いを明確に知っていた事に驚く。宗教家らしき外国人と聞いていたので、別れ際に、「神父さん」ですかと尋ねると、「その様なものです」と言った。そのことが心に残り、再会したら、足跡の識別をどこで覚えたのか「その様なものです」とは何かと聞いてみようと考えた。しかし、彼とは以来再会することはなかった。それから長い間、疑問に思ってきたが知るすべはなかった。ところが最近になって、イベリコ豚なるものを知って、ベルギー人がイノシシ、シカ、ブタの足跡を知るのは、ブタの放牧の経験だろうこと。「その様なもの」と言ったのは、プロテスタントの牧師ではあったが、神父と牧師の説明と訂正は無駄と考え、日本的曖昧な答えを敢えてしたのだろうと、推測から確信に近い答を得たと感じた。

佳作2 「恋飛脚遠州往来」 (小説)

天竜川上流に佐久間町浦川は在る。江戸の大火で芝居小屋を焼失し、地方巡業に出た歌舞伎役者尾上栄三郎が最後の芝居を打った場所でもある。そこで隆行は2歳から15歳までを過ごした。母の実家で祖父と二人の生活だった。隆行に母の事を祖父は一切話してくれなかった。年に数回送られてくる服や玩具が母の面影でもあり、隆行はそこに書かれた母の住所を頼りに浜松へ高校進学で出て行った。しかし母はそこに居ず、浜松で教員になったが、生徒への体罰事件を起こし、祖父の入院などを機に帰郷することになった。棄てた故郷への思いは複雑だ。甦る初恋や少年時代。だが後悔と自己嫌悪はなかなか消えて行かない。そのうち嘗ての同級生達に、中学時代自分もやった歌舞伎に誘われる。そこで失ったものが何かを知り、それが帰るのを待ち故郷で暮らす事を決めるのだった。

(2)メッセージ部門

最優秀賞 「熊野の長藤」

磐田市にある豊田熊野記念公園には毎年見事な藤が咲き、人々の目を楽しませてくれる。その土地は能の演目で有名な熊野の生地である。毎年母を連れてその美しい藤を見に行っていたが、忙しさに追われる中で季節だけが過ぎていた。そんな時に来客を案内し公園を訪れると藤まつりが開催されていて、熊野の歴史に触れることになった。遠き平安時代に思いを寄せた時、年老いてきた母がたまらなく愛しく感じる自分に改めて気付く。

優秀賞1 「風待港の盆踊り」

静岡県の、無形文化財に指定されている、「妻良盆踊り」は、毎年8月15日、妻良の大浜で行われる。身ぶり、手ぶりに、独特の優雅さがあり、念仏踊りの流れをくむと言われている。唄や踊りが大好きだった義母と、夫私の3人で、伊豆へ移住して、初めて見た。どこかせつなくて、哀愁の漂う、都会の盆踊りとは全く、違う盆踊りは、義母や私達の心に深くしみこみ、忘れられないものになった。

その義母も、今はもういない。

優秀賞2 「これが私の夢の地図」

僕の父親は、常にじっとしていられない人だった。自分が行動する時は人の話など聞かない人で、その性格は結局死ぬまで変わらないままだった。父の死後、遺品を整理していると、僕は『これが私の夢の地図』と書かれた紙の束を見つける。それは、広げると父の部屋の床が全て埋まるほど大きな地図だった。

僕は、地図を見ながら父を思い出していた。

優秀賞3 「鹿ん舞の里」

川根徳山の盆踊り「鹿ん舞」が行われた夜、ワゴン車で7人の高齢者を連れて来てくれたのは高島さんという若い事務局の男性だった。

鹿ん舞は農作物を荒らす鹿を追い払い、豊作を祈願するという神事で、月明りのもと山里の幻想的な風景を堪能した。私達はロッジにはいり、温泉に浸かった。翌朝、若い女性と子供さんが二人慣れた手つきで笑顔で食事の支度をしてくれた。高島さんのご家族だ。数日して、その高島さんの訃報が知らされた。

優秀賞4 「柿田川を見つめて」

富士山の恩恵を受け、清水町だけでなく静岡県東部の水を補う柿田川。冷たく清らかなその水は、今も昔も人々の暮らしを支え、癒している。徳川家康も目を付けたその麗しい大地の歴史は、自然の大切さや儚さというものを訴えかける。今のその姿とは似ても似つかない柿田川の歴史、地元の人々に愛され守られた成果を是非知ってほしい。

優秀賞5 「『英魂』の碑」

湖西市新居町にある神宮寺の境内に一つの碑が立っている。昭和20年7月に墜落し、全員死亡した米軍兵を弔うものだ。鬼畜米英と言っていた時代、寺の住職はなぜアメリカ兵を丁重に扱い、碑まで建立したのだろうか。それはやはり日本人が持つ死者に対する心、死んだら誰でも仏になる、という考えがあったのに違いない。ここにも美しい心を持った日本人の姿があった。

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