県議会の歴史

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ページID1030680  更新日 2024年2月21日

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旧憲法時代

 静岡県会は、明治11年に公布された太政官布告府県会規則に基づいて、明治12年3月に第1回県会議員選挙が行われ、同年5月10日に第1回の県会が開かれたのがはじまりです。当時の選挙は、被選挙人は満25歳以上の男子で地租10円以上の納税者であること、選挙人は満20歳以上の男子で同5円以上の納税者であることなどのいわゆる制限選挙でした。議員の定数は42人、任期は4年で、2年ごとに半数改選が行われることになっていました。
 明治23年5月に府県制が公布されました。本県では郡制施行との関係で明治30年4月から施行され、間接選挙制による県会議員選挙も2回行われました。
 明治32年3月に府県制の全面的改正が行われ、間接選挙制は再び直接選挙制に改められ、2年ごとの半数の改選も廃止されました。
 府県制の改正は、その後もたびたび行われ、大正15年6月には普通選挙制採用による改正がありました。この普通選挙制による最初の県会議員の選挙は、昭和2年10月14日に執行されました(定数45人)。府県制度の改正は、自治権の拡充、府県会の権限強化の方向へ進みました。しかし、太平洋戦争勃発後は、国の統制強化、府県会の権限縮小の方向の制度改正が行われました。

写真:旧憲法時代の議会の様子1
県庁舎(明治23年~昭和11年)
写真:旧憲法時代の議会の様子2
県庁舎全景(右は議事堂)

写真:旧憲法時代の議会の様子3
静岡県会議事堂(明治28年~昭和11年)
写真:旧憲法時代の議会の様子4
議事堂と県庁舎(左)

新憲法時代

 終戦後、新憲法に基づき地方自治法その他の地方制度関係法令が制定されて、知事を公選する完全自治体としての府県が生まれました。
 昭和22年4月30日、新たに婦人有権者を加えて新制度による県議会議員の一般選挙が行われました。本県議会の議員の定数は63人となり、党派別当選者数は、自由党24人、民主党9人、社会党9人、国民協同党7人、無所属14人でした。県議会の運営にも大きな改革が行われ、定例会が年6回開催されるとともに、新しい常任委員会制度が採用されました。
 このようにして、静岡県会は、「静岡県議会」として名実ともに新しい第一歩を踏み出しました。
 その後もたびたび地方制度の改正があり、特に昭和27年8月及び昭和31年6月の地方自治法改正では、定例会も現行の年4回以内に改められました。
 また、平成12年4月の地方分権一括法の施行により、機関委任事務制度が廃止され、県の事務は原則としてすべて県議会の審議・決定に付されることになりました。
 現在の県議会は、令和元年4月7日執行の静岡県議会議員選挙(定数68人)によって選出された議員によって構成されています。

写真:新憲法時代の議会の様子1
県庁舎(3階・4階が県議会)
(昭和12年~現在)
写真:新憲法時代の議会の様子2
現在の県庁舎全景

このページに関するお問い合わせ

静岡県議会政策調査課
〒420-8601 静岡市葵区追手町9-6
電話番号:054-221-2559
ファクス番号:054-221-3572
gikai_chousa@pref.shizuoka.lg.jp