私の過去、そして未来へ
私の過去、そして未来へ 41歳 女性
私には忘れられない過去がある。
会社に勤め始めて、社員の一人である彼と付き合うようになった。しばらくして、彼が時々、アルミホイルで作った筒のようなものをパイプ代わりにして、煙のようなものを吸っているのを何度か見るようになった。
ある日、彼に聞いてみると、彼は「スピードだよ。」と答えた。私が「常習性があるものじゃないの?」と更に尋ねると、彼は「ううん、たまになら大丈夫。」などと答え、私にもすすめてきた。私はあまり深く考えることなく、その煙を吸ってみた。そのうち、2回、3回と「スピード」と言われる煙を吸うようになった。スピードが「覚醒剤」であることを知ったのは、その後のことだった。
私の生活は、どんどん乱れて、会社も辞めた。当初、私が持っていたお金で覚醒剤を買っていたが、貯金はあっという間に底をついた。彼が付き合っていた覚醒剤の密売人や暴力団員とも、いつの間にか親しくなっていた。
何ヶ月かして、彼が警察に逮捕されたという知らせが入り、私も覚醒剤で警察に逮捕された。
釈放された後、私には行くところがなかった。覚醒剤に溺れているうちに、生活の基盤も、両親、友人等もすべてを失ったからだ。とにかく、誰かに連絡を取り、何とかしなくてはと考えたが、あろうことに、捕まった彼の知り合いの暴力団員の世話になることになった。そして、暴力団から数十グラムの覚醒剤を貰い、覚醒剤で知り合った仲間に連絡して売り捌くようになった。
それ以来、私は覚醒剤の密売をするようになり、いつの間にか大物密売人になっていた。覚醒剤の密売をしていても、自分が犯罪に手を染めているという罪の意識は全くなかった。私の感覚は完全に麻痺していた。暴力団員の愛人となり、毎日、覚醒剤に溺れる日々が続いた。私は、犯罪という犯罪に手を染めていた。やっていないことと言えば、殺人くらいだろうか。
それでも、「このままでは駄目になってしまう。」と考え、何度も男から逃げ出そうとしたが、連れ戻された。その繰り返しの中で、自殺を図ったこともあった。
そして、再び、私は警察に逮捕されてしまった。
裁判の結果、約4年間、刑務所に入った。惨めだった。当たり前の生活を規制され、その中で思うことと言えば、残してきた子供のことだけだった。こんな母を持って、きっと恨んでいるだろう、そう思いながらも子供に謝罪の手紙を何度も出した。返事をくれることを少しは期待していたが、結局、返事が来ることはなかった。
釈放の日を明日に迎え、一通の手紙が届いた。子供からだった。「真面目になって早く迎えに来て欲しい。」、その言葉に私は泣き崩れた。そして、決意した。二度と過ちを繰り返さないと。
出所してからの生活は苦しかった。着る物もなく、仕事もなく、それでも私は決めていた。どんな仕事でもやると。そして今まで住んでいた土地を離れ、見知らぬ土地で仕事を始めた。大変な仕事だったが、私は子供と暮らしたいという目標だけを考えた。それでも、何度もくじけそうになったが、刑事さんが励ましてくれた。そして「今」がある。
私は思う。自分が大切にしなくてはいけないもの、自分の意志、自分を愛してくれる家族、友人たちと一から始めれば、自分の未来がきっと見えてくる。
警察庁発行「けいさつのまどNo.132」より
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