第5回伊豆文学賞 審査委員選評
伊豆文学賞 選評
草柳 大蔵
背骨のしっかり通った作品が多くなった。第一にテーマがはっきりしている。第二に文章に無駄がない。第三に、読んだあとで何かが残る。欲を言えば、作品の中にところどころ窪みのような表現があって、もう少し丁寧に詰めてくれたらと、それが心残りだった。
もうひとつ、文品はそれぞれ好感が持てるのだが、少し語り急ぎの気味があって、作品に湿度が不足している。平たく言えば、しっとりしていないのである。
『竹とんぼの坂道』の石川たかし(本名・隆祥)氏は、三回目の応募で最優秀賞を仕止めた。伊豆を愛すればこその作品だというが、その情感は春の日射しの中で語られるようにあたたかい。手づくりの持つ文化性が大量生産という経済要素にとって代わられる遣り切れなさを主人公に語らせて、説得力の高い一篇になっている。評者の希望を言えば、手作りの道具の工夫について、もう一歩、踏み込んでもらいたかった。
優秀作二篇は、いずれも伊豆の外国人を対象にした作品である。国際化時代の異文化融合というのは学問好きの口吻りで、生の営みが生を享けたところとは異質の空間の中でどのように耐え、どのように凌いでゆくか、二人の作者の視線はゆるぐことがない。言ってみれば、宮司孝男氏の取り上げたスウェーデン人や長山志信氏の書いたペルーのドリスという女性の物語は、伊豆という土地を背景にしなくても成立するのである。二十一世紀に入って、このような外国人の有様はさほど特異な現象ではならなくなりつつあるのだが、生存の少し歪んだ形を伊豆というふくらみのある生存環境から見据えると、歪みが鮮かになってくるわけである。
佳作の『占い坂』は、腰の据わったいい文章である。歴史の転換期をテーマにした小説は、往々にして将軍だの志士だのが主人公になるが、『占い坂』の主人公はどちらかといえば"運命"である。羽織の紋とか気丈な女性との出合いとかが、一庶民に近い主人公を救ってくれる。もうひとつの佳作の『わさびの味』は、わさびの香りと食感に通ずる味わいがあって楽しい。この作品に接するまで、わさびがこれほど気力を必要とする作物であることを知らなかった。作者もまた気力を振るったのか、作品の終わりのところで低俗な男女関係を書かなかったことに拍手を送りたい。
選後評
杉本 苑子
『竹とんぼの坂道』に私は_点を入れたので、この作品がほとんど満場一致で最優秀賞に選ばれたのは、嬉しかった。淡彩で描きながら登場人物一人一人の姿態や性格が、鮮かに立ち上ってくる。急坂の多い伊豆山の特色を巧みに生かし、斜陽になりかかっている籠屋の老人と、彼に関わる人々の姿が気負いなく描かれて、読後感がすがすがしい。
ただし、題名がいかにも幼い。無造作ともとれる印象を受ける。このため選考委員全員が「一考してほしい」と事務局を通して伝え、作者も懸命に新題名を考えたらしいが、結局『竹とんぼの坂道』以上の題名は思いつかなかったそうな…。自分なりの思い込みを一度突き放し、まっさらな状態にもどして考え直してみるのも、小説家には必要な、頭の訓練だとは思うものの、それはやはりプロ・アマを問わずむずかしい作業といえるようだ。
優秀賞『ドリスの特別な日』を読み終わって感じたのは「いじらしい作品だなあ」という思いであった。それは、遠い異国から働きに来て、トイレ掃除の雑役に従事しているドリスという娘への、同情ではない。ドリスの心情に寄り添って、この作品ならではの哀愁を、読む側に感じさせる作者の力量への、私なりの"敬意"なのである。
もう一つの優秀賞『海を渡る風』は、突如、田舎の中学校に舞いおりて来たエンゼル(スェーデン人の女生徒)をめぐって引き起こされる小事件と、やがて訪れる別離とを、同級生の少年・少女、その家族らの視点から、さらッと描いた作品だが、筋運びに無理な技巧を凝らさなかったため、かえってさっぱりとしたラスト効果を生んでいる。本来、伊豆という地域の持つ"癒しの力"を、読者に再認識させる作品といえよう。
佳作の『占い坂』は、むずかしい時代と書きにくい人間関係を、上手にまとめて小説に仕上げているが、小さな欠点が幾つか目につく。しかし全体的に、力いっぱい素材に取り組んでおられるまじめさが、読後感をこころよいものにしているし、同じく佳作の『わさびの味』は、わかりきった筋運びにもかかわらず、通俗・陳腐な感じを読者に与えない。作者の才能だろうか。母親の懐古談から始まる書き出しは、やや古めかしいが、手馴れていて、うまい。ただし、この作品も題名が単純。もう工夫ほしかった。題名は小説を支える大切な要素の一つなのだから…。
伝統の伊豆・変化の伊豆
三木 卓
石川たかしさんの『竹とんぼの坂道』は、職人ものである。伊豆山から韮山へお嫁に行った娘が、姑が使う箕を実家近くの籠職人丑松に作成を依頼する。箕は、今どき簡単に手に入らない。
この発端から容易に想像されるように、作品は時代の変貌のなかにある伊豆の竹細工職人を描く。生活用品が石油化学製品にとって代わられていくなかで、職人が生き残るためのひとつの方法は、芸術化・工芸化の方向である。そういう方向へ行く職人も登場するが、自分の場所にそのまますわりこんで生きていく職人もいる。
この作品は、地味な筆致で、伝統のなかでつちかわれてきた職人の心というものを描き出している。その心を生きたものとして、浮かび上がらせていることに成功しているので、全体が躍動した。わたしは読んでいるあいだ、山葵樽の職人だった静岡の伯父のことを思い出していた。今はこれもプラスチック製である。
長山志信さんの『ドリスの特別な日』は、伊豆の旅館の下ばたらきにペルーから来た娘ドリスの話である。ドリスは娼婦の娘で、ペルーでもトイレットの掃除などしていたので、体に臭気がしみついてとれない、というような子である。そのドリスは日本に来ても上役からいじめられているが、旅館のトイレットにこもり、床に白いペーパーを雪のように敷いて、自分はCの字になってそこで眠ってしまう。Cになるのは便器があるせいであり、こもったのはそこがドリスの前半生にとって、もっとも心やすらぐ場だったからである。
このイメージは強烈で、感銘を覚えた。この作品には、善玉・悪玉が類型的になっているという弱点があるのだが、作者が語りたいというものを、一番しっかりと持っている。注目作である。
宮司孝男さんの『海を渡る風』も外国人少女が主人公である。この作品は、構成にやや『風の又三郎』を想起させるようなところがあるのが弱点だが、文章が明るく、柔軟なところに捨てがたいものがあった。この作者には、のびのびと書き続けていって、個性を発揮してほしいと思う。
条田念さんの『占い坂』は、幕末・維新の混乱期をただよう一青年武士の運命を一生懸命描いている。娘のまきの姿も微笑ましい。伊藤義行さん『わさびの味』では、小説っぽい綾のないものがたり作りに好感をもった。
蕎麦とラーメンの味くらべ
村松 友視
今回の選考は実に微妙な展開のうちに進行した。まず選考委員全員の票を獲得したのは『ドリスの特別な日』で、二位が『竹とんぼの坂道』と『占い坂』、『海を渡る風』と『わさびの味』がそのあとに従う形となった。それを前提にして議論が始まると、『ドリスの特別な日』に、小説としての題材や人物の描き方はユニークだが、伊豆という舞台が作品の中で稀薄……というよりも、ほとんど役を果たしていないことが指摘された。私は、理解のない上役と理解のある先輩の描き方が、あまりにも類型的な悪玉、善玉である点が気になった。
次に『竹とんぼの坂道』は、竹細工、籠屋の仕事の部分にさらに踏み込んだ具体性がほしいという意見があるが、竹細工、籠屋という失われゆく素材と仕事をクローズ・アップした点と、登場人物と伊豆との関わりの強さが評価された。『占い坂』は、文章に好感がもてる反面、主人公の運命があまりにも好運に恵まれすぎている点が指摘された。プラスとマイナスが微妙にからみ合い、三者の優劣がつけにくかった。
そこへ、『海を渡る風』のたくまざるユーモアや小説の味がクローズ・アップされたから、三すくみから四すくみの態を成してきた。私は『ドリスの特別な日』のユニークさが受賞作にふさわしいと考えていたが、次第に『海を渡る風』に傾きはじめた。小説書きの腕で言うならば、この作者が頭ひとつ抜けている。作者の才能を重視する立場に立てば、『海を渡る風』の最優秀賞もあり得ると思ったのだった。
ところが、ここから議論が複雑となり、洋食と和食、蕎麦とラーメンの味を比較する趣を呈してきた。初期に較べれば、候補作の水準が格段に高く、飛び抜けた作品を見つけるのが容易ではなかったのだ。しかし、そのあげくの『竹とんぼの坂道』というオーソドックスな作品の最優秀賞、外国人が登場するユニークな二作品の優秀賞という落着には、十分に納得できたのであった。
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