第7回伊豆文学賞 審査委員選評

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ページID1044422  更新日 2023年1月11日

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読みごたえのある作品群

杉本 苑子

伊豆文学賞の募集も七回目を迎え、年ごとに応募作品の数が増加しつつあるのは頼もしく、よろこばしくもある現象だが、応募する側からすれば、それだけ難関突破の困難が深まったという事になろう。
したがって苛烈な競争に打ち勝ち、入賞を果たした作品の光彩は、いっそう輝く結果となるわけで、今回も読みごたえのある傑作が揃ったのは、選ぶ側にとってもうれしい事だった。
最優秀賞に選ばれた『ボタン』は、軽く書きながら味があり、一見無邪気に見えながら文体も強い。新鮮さを感じさせる作品だが、最優秀賞と決まったあと、書き手が三十七歳の会社員、しかも女性と聞かされて驚いた。書きつづけていけば、さらに伸びる人ではないかとの印象を抱かされたのもうれしい事だった。
第二席は『四十年目の夏に』と『白い帆は光と陰をはらみて』だが、この二作は題名に一考を要する。とりわけ『白い帆……』は、内容を読者に暗示してしまった点、むしろマイナスに働いている。題名は、その作品の"顔"だし、強力な助っ人なのだから、熟考の上にも熟考して、「これ以外に無し」と思える題を付けてほしい。しかし内容を言えば『白い帆……』は誠実・丁寧な、好感の持てる作品だし、『四十年目の夏に』は、選後これも、六十五歳の男性と聞かされて驚いた。年を感じさせない"力"がある。
佳作二編も、それぞれに面白く、読みごたえのある作品だった。
総じてこの「伊豆文学賞」に応募してくる諸作のレベルは、高い。選ぶ側にとっては楽しみだが、挑戦する人たちには突破するのにいささか困難な"狭き門"とも言える。しかしそれだけに、挑む価値のある賞である。今後もどしどし応募していただきたい。

新鮮さの魅力

三木 卓

候補作をずっと読んできて、最後に倉本園子さんの『ボタン』に出会ったとき、それまでの候補作になかったものを感じ、「ああ、今年の当選作はこれではないか」とわたしは思った。
ヒロインは、熱川のバナナワニ園に遠足に行くというような位置の、海に面した町の小学校の四年生の女の子で、その子の心の世界を描いている。わたしの少年時代の女の子は、中学に入ってから大人のしるしを見たが、今は小学校四年でも来ることがあるという。その不意打ちを受けた少女が主人公で、彼女は人前でショッキングな体験をしてしまったうえに、体は大人になっても心はまだそこまで追いついていない少女で生きなければならない。そのあたりの葛藤が、素直な明るさを感じさせるタッチで描かれている。これは作者の生来のよさだと思った。その感性で、女の子の生命のありようを捉えていて、新鮮なものを感じた。
優秀作の志賀幸一さんの『四十年目の夏に』は、父と子の物語である。三島の箪笥職人の名手だった父親に素直になれなかった主人公だが、結局、伊豆山中で父親と同じ仕事をしている。そこへ親と不和を起こした受験生が現れて、その面倒を見ることになるが、そのつきあいの過程の中で父と子の古くて新しい問題を考えていく、というもので、丁寧なつくりになっていた。また、同じく弓場剛さんの『白い帆は光と陰をはらみて』は、ロシアのプチャーチン提督のディアナ号難破・再建にかかわった戸田村の船大工たちの話だが、これも細かな造船の技術情報を摂取していく幕末の職人たちの意欲が描けていて引き込まれた。
佳作の遊部香さんの『彫り目』は、ともに彫刻を学んでいた恋人同士が、別れて六年たって伊豆の西海岸の思い出の岬で会うことになる、という設定だが、中に出てくる彫刻論に知的な追求力を感じ、面白かった。また同じく瀧千賀子さんの『鬼子母神』は、戦争で父母を失った少年信一が追い詰められて自殺するが、下田に住むその少年の父親の従姉妹美和は、信一の面倒を見切れなかった。そのことを生涯苦にして、亡くなる前の十年間、子ども病院のおむつたたみの仕事をした、という贖罪の物語である。少年は美和のことを恨んではいなかったと書いているが、ほんとうにそういうだれにとっても過酷な時代だった。美和がそんなに長く悩むのが、俗人のわたしには少し辛かった。

個性的な受賞作

村松 友視

今回は、最優秀賞、優秀賞、佳作に該当しない作品が、まず簡単に決定した。ここで消えた作品群と、残った五作のあいだには、やはり確然とした差があったといってよいだろう。だが、そのことを前提としての検討の中で、残った五作品の中にもそれなりの弱点があるということが、次々にあらわれてきた。
遊部香氏の「彫り目」については、かつての<時>の中での男女の距離感と、現時点での両者の距離感が、凪のごとく止まっているのが私には気になった。彫刻とは何かをめぐる二人の若い議論など、かなり興味を抱かされたのだが、惜しかった。イメージの中の男と女の距離と、再会しての距離が同じであるため、"本当の別離"に強い匂いがただよわなかった。これが小説としての弱点だった。
瀧千賀子氏の「鬼子母神」に、私は好感をもった。ただ、かつて主人公が感じた自らの罪が、ながい時を経てもずっと同じ悩みとして心にとどまっていることが、<過去>と<現在>を描く上で物足りなかった。しかし、主人公の心根はよく伝わってきた。惜しい。
弓場剛氏の「白い帆は光と陰をはらみて」は、誠実で好感の持てる作品だった。だが、事実を追うことに性急で、ひとつの場面からのふくらみが不足しているように思えた。しっかりとした時の辿り方を描いているだけに、小説的結晶にいま少しの成果が欲しかった。
志賀幸一氏の「四十年目の夏に」は、最後まで最優秀作と競い合ったが、この作品の題材がこのところ応募作品に多用されている伊豆の滅びゆく民芸品と現代、という今の時代の寂しさを前提に描かれているため、選考委員に対するインパクトに欠けた。しかし、全体としてはよく仕上がっているし、職人のこだわりもよく表現されていた。点数は高いが、題材のインパクトにおいて、最優秀作に一歩ゆずった感があった。
倉本園子氏の「ボタン」は、新鮮な受賞作であった。よく書かれるがうまく書くのがむずかしい"少女の初潮"というテーマが、ここにはきわめて工夫され、距離感を保ち、しかも瑞々しく、小説的に描かれている。少女の奇妙な世界の不可解さが、このように湿り気のない、明るいセンスで小説に描かれていることに、私はおどろきを感じた。扱いやすそうで扱いにくい問題に、こういう方法があったかと教えられる思いだった。歴代の受賞作の中に並べても、個性が光る作品だと思う。

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