第7回伊豆文学賞 最優秀賞「ボタン」

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ページID1044424  更新日 2023年1月11日

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最優秀賞「ボタン」

倉本 園子

光まぶしい、お昼休みの教室の、女の子四人のおしゃべりの輪の中にふみ子はいた。前から三番めがふみ子の、そのすぐ後ろが吉本さんの席なので、ふみ子が脚を窓側に向けてふり返り、あとの二人が吉本さんの机の両脇を囲むかたちの、四角い輪。

四年生になって、教室が一階から三階に移ったことで、窓から望める景色が格段に広がった。四階建の団地越しに見える、神社の森のこずえにふみ子は目を遣る。森の木々は当然団地よりも低いのだけれど、土地自体が高いのだ、そういえば神社への道はゆるゆると長い上り坂だ、と、始業式の日、はじけるように了解した時の嬉しさを、ふみ子は皆の話を片耳で聞きつつ反芻していた。
ふみ子の家は、手前の、ドミノ倒しの駒みたいに縦三列に並ぶ団地の、真ん中の列の奥から二棟めの一階にある。
皆の声がとだえたのに気づいて、ふみ子が窓の外から視線を戻すと、吉本さん、レコたん、真由の三人が笑いながら、ふみ子の反応を待っている。
「ちゃんと聞いてたよ。新しい机と椅子嬉しいねって話でしょ」
学校中のすべての机と椅子が昨日、一新されたばかりなのだ。
親の代から使われていたかのような、黒々と重い節穴だらけの木製のものはすべて運び出され、かわりに、淡いクリーム色の軽くてすべすべのスチール製の机と椅子が、教室全体の色合いを明るく変えた。
「この机なら、もう下敷き要らないね」
ふみ子の、おろしたてのキティちゃんの下敷きをちらりと見て、吉本さんが意地悪な目で笑う。吉本さんは、他の子が自分よりいいものを持つことを断固受け入れない。昭和五十一年の女子小学生のあいだでキティちゃんの人気は絶大だが、キティ好きの吉本さんとかぶらぬよう、他の子たちはさりげなく、サンリオの別のキャラクターを選んだりしているのに、ふみ子は譲れない。
「要らなくないよ。ノートには使うもん」
平然とふみ子が答えると、吉本さんはつまらなそうにふんと鼻を鳴らした。

吉本さんを好きなのか嫌いなのか、ふみ子自身よくわからない。怒らせてしまって、ハバ(無視)にされたことも幾度かある。そういう時、吉本さんは必ず皆を巻き込む。自分へのハバに皆が巻き込まれるのは苦々しいが、例えば真由が標的の時には、ふみ子も半ば積極的に巻き込まれる。吉本さんは怖いし、それに、行動を共にすると得もあるのだ。新しいマンガやゲームを次々に買ってもらっているし、一軒家の庭にプレハブの子供部屋を持っていて、親に気兼ねなくレコードを聴いたり騒いだりできるし、派手な目新しい遊びをどんどん思いつくし、優しい時には優しい…気もする。
その吉本さんのお気に入りがレコたん。おしゃれな洋服を着て、持ち物が全部サンリオでも、吉本さんはレコたんには寛大だ。おっちょこちょいで、からかわれやすく、そしてどんなにからかわれても、笑いながらヤダーとかヒドーイとか言うだけで、怒らない。ふみ子はレコたんが好きだ。
真由は吉本さんの腰巾着で、いじめられても何されても吉本さんのそばにいる。吉本さんが真由を完全にばかにしているのは一目瞭然で、たぶん真由も気づいているのだけれど、吉本さんの友だちという地位は真由には価値ある宝物らしい。
ふみ子とレコたんは家が近所で仲良しだったので、四年生で同じクラスになれて嬉しくて、くっついた。吉本さんはレコたんと出席番号が前後で、くっついた。真由がくっついてきて、グループになった。
「あ、海の風」
窓から顔を出して、レコたんが言う。
この市自体は海に面しているものの、家も学校もかなり内陸側にあるのでふだんはそれを意識しないが、時折、強い南風の日に、潮の匂いがこの高台まで届くのは嬉しい。
席を立って窓に寄る残りの二人にふみ子も倣い、見えない海からの、五月の暖かい風を嗅いだ。
「明日も晴れるといいね」とレコたん。
伊豆の熱川バナナワニ園へ明日、遠足に行くのだ。木に生るバナナもたくさんのワニも初めて見るので、楽しみにしている。
ふみ子が、そうだねの『そ』のかたちに口を開きかけた時、突然、教壇付近にいたはずの担任が飛んできて、ふみ子の背中に覆いかぶさる体勢で、
「駒場、ちょっと、あの」
と、懇願するようなひそひそ声を発した。
クラス中が驚いてこちらを見ている。
若村という、教師三年めの男の担任を、ふみ子は心の中でうとんじていた。吉本さんや真由が陰で、『若さま』かっこいい、なんて言い合うのを気持ち悪いと思うし、今こうして、その二人を含む皆の注目をあびるのはふみ子にはあまりにも気まずく、身体をよじって逃げようとしたが、担任はますます密着してくる。
「駒場、保健室行こうか保健室保健室」
行こうかも何も、背中に貼りつかれたまま両肩をぐいぐい押されながら廊下に出され、道々、保健室保健室とつむじの上から唱えられつつ連れて行かれた先でふみ子は、
初潮、を告げられた。
ふみ子を中年の保健の先生に託すと、お母さんに連絡するから、と言い残して担任は職員室へ消えた。
どきっとする。お母さんが呼ばれるようなおおごとなのか。
保健の先生が、あらあら四年生ならまだ知らなかったわよね、ごめんなさいね、となぜかふみ子に謝った。
生理用品の使い方を教わり、トイレでそれを何とか装着し、誰のものかわからないぶかぶかのジャージに履き替え、汚してしまったピンクのスカートをビニール袋に入れて保健室に戻ると、保健の先生はにこにこふみ子を迎え、今度は、大丈夫?おめでとう、を連発した。
大丈夫ではないと答えればこの事態をどうにかしてもらえるのか、これがおめでたいことなのか、わからず、黙っていると、すごく気持ちの悪い恥ずかしい、お尻の中身の絵をふみ子の前に広げて、説明を始めた。

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