第7回伊豆文学賞 佳作「鬼子母神」

ツイッターでツイート
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページID1044426  更新日 2023年1月11日

印刷大きな文字で印刷

佳作「鬼子母神」

瀧 千賀子

男の子は、擦り切れた藁草履をひきずるようにして山道を登っていた。歩きながら道端の柔らかそうな草を口に入れた。青くさい苦い汁が口の中に広がる。昨日から何も食べていない空の胃はその青じるを受け付けない。男の子は本能的にその汁を乾いた山路に吐いた。そこへ荷を背負った老婆が達者な足取りで追いついて来た。男の子はふらふらと老婆に道を尋ねた。
「ここの峠にトンネルがある。そこを抜けてとにかく道をはずれないように真っ直ぐ行けば、いつかは下田に出る」
用心深そうに老婆は言った。その時、男の子は老婆の方をちらちらと見た。老婆は背負った荷物をゆすりあげ、荷物の中身の孫に持っていく餅を見破られないかと、急いでこの街道をそれて行った。その半ば草に覆われた細い道の先に小さな集落の屋根が夏の陽に光って見えた。
男の子は作田信一といった。沼津に住む小学五年生だった。沼津でついこの間、戦災に遭い逃げる途中で母親を失った。水に浸した重い蒲団をかぶって、焼夷弾のザア-ザア-と落ちる中、信一をかばって走っていた母親にそれが直撃したのだった。母親は火だるまになりながら、信一に逃げろとその背中を押した。信一は小さい時から母親が好きだった。今まで母親の言うことは、なんでも聞いていた。ことに父親が応召してから母と子は沼津の狩野川のほとりの小さな家でひっそりと暮らした。父親は両親も沼津の人だったが一人息子であったため、両親も亡くなってみると親戚らしいものもなかった。母親は東京育ちだったが、信一は母親の親戚にも会ったことはなかった。小さい信一にとっては、ゆったりと流れる大川、狩野川のほとりの、若い父母のかもし出すおだやかな小天地がすべてだった。会社勤めの父親が突然応召し、母親が焼夷弾の油臭い炎で焼かれてしまうまでは。

一人で逃げている途中、信一は家の近所に住む狩野川の渡し守りの老人に出会った。老人は老いた妻を亡くし、一人暮らしだった。逃げるといっても、火の中を走りおおせるわけもなく、うろうろしている信一を見つけ抱えて狩野川の水に入って二人は助かったのだった。信一はそれから二週間ほどは、この老人と川のほとりの焼け跡で暮らした。信一の家の防空壕にあった穀類と老人が缶詰め工場から拾ってきた中身も焦げ臭いいびつな缶詰めで飢えをしのいだ。それも無くなると帰って来ない家の防空壕を掘ってその中のものを食べつくした。そのうちに、老人の遠縁の人が老人を捜しに来た。老人は信一を置いてそこから立ち去った。
「どこか、知り合いがあったら、頼っていく方がいいぞ」
老人の言葉に信一は
「うん」

と言ったが、行く当てはなかった。毎日の飢えを満たすだけで、老人ともあまり話をしていなかったことに気づいた。信一はだんだんと思い出していた。それは今の信一にとって一縷の望みのような母親の言葉だった。
「困ったことがあったら、ここへお行き。お父さんの従姉妹が住んでいる」

父親の伯母の娘で下田に住んでいると母親は言った。信一は会ったことはなかったが、その人から娘が静岡県庁に勤めている公務員の夫の転勤について下田の地方事務所に来たという葉書が来たことがあった。親戚の少ない信一の父母はその葉書を大切にしていた。自分の運命を予感したのか、母親は信一の学生服の内側にその葉書を同じ色の布で縫い込んでくれてあった。

老人が去ってしまうと、焼け跡に焦げたトタンを敷いただけの小屋とも言えない所に寝るのが信一はただただ淋しかった。昼間は焼け出された人々が、道とも住居跡ともつかぬ所を勝手に歩いて、水道から水が流れている所に出くわすと、かがんで水を飲んだりしている。でも信一のように子供が一人ということはなかった。信一はこの葉書の人の所に行ってみようと思った。老人が残していった黒焦げのわずかな缶詰めをリュックに入れ、歩き出した。
信一が下田の公務員官舎にたどり着いたのは、それから一カ月後のことだった。当時、戦災孤児はいたる所にいたので、伊豆の山奥とて例外ではなかったが、子供一人の旅は人目をひいた。下田へ向かう山の中の街道は瓦礫の多い山路で、日中は炎天に焙られ常に空きっ腹の信一はのろのろと歩いた。天城の山中に入ったらしく、登り道が続いた。山腹のシダの茂みににじむ冷たい水で信一は息を吹き返すのだった。

名も知らない温泉場がこの街道の両側にぽつんぽつんとあった。信一はどうしようもなくなると、道を下ってその宿の前に立った。追い払われることもあったが、
「どこから来た、これからどこへ行く、親はどうした?」
と聞いて、少しの食べ物を手に持たせてくれる宿もあった。信一は黙って頭を下げ、街道に戻って木陰でそれを食べた。

街道が下り坂になったころ、しばらく一緒に歩いた老婆が信一の身の上を聞くと家に連れ帰り、十日も泊めてくれた。自然に湧き出ている村の小さな露天風呂ににつれて行き、自分も入って信一の体を洗ってくれた。老婆は一人暮らしで村人に「ばあ」と呼ばれ、温泉宿の使い走りをしてやっと暮らしを立てていた。信一はばあが温泉宿で聞いてきて、日本が戦争に負けたことを知った。ばあは
「お前の父さんも、アメリカに殺される。日本の兵隊はみんなそうなるそうだ。負けただんてしょんない」

と、薄暗いランプの下で言った。信一はばあが自分をここにおきたがっていると何となく感じていた。小屋の前の雑木林で薪を拾っていた時、温泉宿の年配の番頭さんが通りかかって信一に言った。
「もしお前に行くところがあるなら、ここのばあから離れたほうがいい。ばあにはやくざな息子がいる、ばあは自分の息子だからしょんないが、お前まで引っ張り込まれることはない。息子が来ないうちに早くここを離れろ。だけんど、十日も置いてくれたばあの恩は忘れるな」

信一はこっくりした。そう言ってくれる番頭さんが、今どこにいるかも判らない父親のように懐かしかった。信一はこうしてようやく下田に入ることができた。
下田の町は、ひしゃげたような軒の低い家が街道筋に連なっていた。目を引いたのは、斜めに白い盛り上がったような漆喰の帯で瓦を貼りつけた生子壁が、あちこちにあったことだった。かなり壊れて半分土に帰ったような壁もあった。が、焼け跡で暮らしていた信一の目にはこの戦災に遭わない小さな町が母親の懐にいるようになつかしかった。が、それで安堵するゆとりが信一にはなかった。ただ一つの希望はこの葉書の住所に行けば信一の父親や母親のような人がいてくれるに違いないということだった。信一は葉書の住所を尋ね尋ね歩いた。漁港に入る大きな川を渡った所にその官舎はあった。町からはずれた畑の中だった。

このページに関するお問い合わせ

スポーツ・文化観光部文化局文化政策課
〒420-8601 静岡市葵区追手町9-6
電話番号:054-221-2252
ファクス番号:054-221-2827
arts@pref.shizuoka.lg.jp