しずおか文化財ナビ 富士山(大宮・村山口登拝道)
- よみ
- おおみや・むらやまぐちどはいどう
- 指定区分、指定種別
- 国指定/記念物 ・ 史跡
- 指定日
- 2012年1月24日
- 員数
- 所在地
- 静岡県富士宮市粟倉
- 一般公開有無
- 有
- 駐車場の有無
- 有
- 公開情報
- 富士山開山期間
所有者情報
国ほか
文化財の説明
史跡富士山の構成要素のひとつ
富士山南西麓の浅間大社を基点とし、村山浅間神社を経て山頂南側に至る登拝道である。12世紀前半から中頃に、修行僧末代の活動により、富士山南麓における登拝が本格的に開始され、14世紀初めには修験者による組織的登拝が始まったとされる。17世紀以降19世紀後半まで、「村山三坊」と呼ばれた3軒の有力宿坊が村山浅間神社(興法寺)と登拝道の管理を行うとともに、所属の修験者が登拝道等を利用して修行を行った。また、一般人の信仰登拝(以下これを行う者を「道者」という)も開始された。その様子は16世紀の作とされる「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれている。
道者の数は18世紀後半から19世紀初頭の宿坊(大鏡坊のみ)の記録より、御縁年で2,000人前後、平年で数百名程度と推測できる。また万延元年(1860)、初の外国人登山を行った英国公使オールコックがこの登拝道を利用した。
明治22年(1889)、鉄道(東海道線)の開通によって御殿場口利用者が増加し、大宮・村山口登拝道が衰退した。これへの大尉作として明治39年(1906)、村山を経由しない新道が建設され、大宮から現在の六合目(標高2600m)までは登拝道としての機能を失った。この区間は一部を除き登山道跡の推定は困難な状態である。現在は昭和45年(1970)に標高2,400m地点まで開通した自動車道を利用しての登山が行われている。(指定範囲は六合目以上である)(出典「史跡「富士山」保存管理計画」(編集・発行:静岡県)
地図情報
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