第8回伊豆文学賞 審査委員選評

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ページID1044413  更新日 2023年1月11日

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レベルの高さを喜ぶ

杉本 苑子

今年の入賞者は六人であったが、内の上位二篇を女性が占めた。最近はさまざまな分野で女性の進出がめざましいが、とりわけ文学の世界ではその傾向がいちじるしい。
一位に該当する最優秀賞を受賞したのは、萩真沙子さんの「月ヶ瀬」…。全体に地味な印象の作品だが、登場人物の人生と彼らが生きた時間が、よく書けている。冒頭数行の文章にも、さりげない書き出しでいながら読む側を作中に曳き込む力が感じられ、この作品が一位に選ばれたことに、異議が出なかったのも当然と思えた。
二位の優秀賞のうち、鎌田雪里さんの「ヴォーリズの石畳」は、作者名や性別が伏せられていた当初、私は男性の作かと思った。読者をして、そう思わせる力を秘めた作品と評せよう。
同じく二位の、優秀賞を獲得した志賀幸一氏の「曲師」も、読みごたえのある仕上りを示していた。作品全体に平均して力がこもっているが、その力が煩わしくも、押しつけがましくも感じられない。抑制力の効いた巧みな作品といえるだろう。
佳作二篇は、男女二人の書き手が仲よく分け合った形となったが、これもそれぞれに、力量を感じさせる佳品である。ただし川﨑氏の「埴輪の指跡」という題名は、無造作すぎて一考を要するし、特別賞を受賞した伊藤正則氏の紀行文「若山牧水の山ざくらの歌と酒」という題名にも、なるほど、そうではあろうけれども、いささか大雑把な印象を受けた。
ともあれ全体的に見て、伊豆文学賞の応募作品はレベルが高い。それだけ、突破するのが難しい狭き門と言えるかもしれないが、臆することなくどしどし応募していただきたいと思う。

確かな目の存在

三木 卓

伊豆文学賞は、今年も着実な歩みを見せている。最優秀作に選ばれた、萩真沙子さん「月ヶ瀬」には、そういうわたしをうなずかせるものがあった。
狩野川のほとりの月ヶ瀬。今そこで老いた女が、孤独に死んでいこうとしている。面倒を見に来ている嫁は、臨終が近いことを察して、ひとりで看取るのはこわい、と自分の娘にいう。その娘はこの物語の語り手であるが、妊娠子連れの身で出かけていく。つまり四代の生命が、その枠にとらえられている。
中心は、姑と嫁の対立である。山口の旧家出身の嫁は、戦後軍人だった夫の故郷月ヶ瀬に住むことになるが、家にも共同体にも溶け込めない。家族労働が基本の農業に決して参加せず、自分の生活の仕方を変えない。そのため帰京するまで摩擦が続いた。だが、再びやってきて、今は病んだ姑の介護をかいがいしくやる。
ふたりは異文化の対立である。その対立をあくまでもくっきりと描いていく。この嫁は存在感がある。そして彼女たちは対立したまま、ついには容認と感謝の域に達する。そこには、人間とその暮らしの関係を見る確かな目がある。
優秀賞の志賀幸一さん「曲師」は、浪花節語りの伴奏三味線を弾く女性の生涯を描いている。曲師という、かねて気になる、だがわたしなどは何も知らない、この陰の存在がもつ深さや力学を、説得力ある筆で展開していて、おもしろかった。同じく優秀賞、鎌田雪里さん「ヴォリーズの石畳」は、明治の、幻想的ともみえる下田周辺の特異な事態を描き出していて、思わず引き込まれた。
佳作の杜村眞理子さん「母子草」は、江戸時代、麻疹の流行に伝染・流産を恐れる妊娠中の女が、伊豆の中を逃げ回るという、地形をからませた話だった。また同じく佳作の川﨑正敏さん「埴輪の指輪」は、特高の子どもの戦後という屈折した設定と、大人になってから、埴輪に偶然ついている幼児の指の跡を見て、幼くして死んだ妹を思い出す、という結びが印象深かった。
伊藤正則さん「若山牧水の山ざくらの歌と酒」は、伊豆を楽しむ心が出ている。楽しい紀行文なので特別賞ということになった。

主人公の眼線に説得力

村松 友視

小説らしい小説が最優秀賞に選ばれた。「月ヶ瀬」は、主人公に気持がかさねられる作品というのが、第一の印象だ。主人公である身重の女性が、九歳まで暮した月ヶ瀬で、ただひとり姑の世話をする母を息子とともにたずねる。母からの切羽つまった電話があったからだった。かつて母と相容れぬ関係だった祖母の死が近い予感を、読者は与えられる。止ったような時間の中での世話する嫁と世話される姑。祖母と母を、プライドと文化観のちがいととらえる主人公の眼が、祖母と母の最終章を見とどけてゆく。そして、祖母が叫んだ最後の言葉が、冷え凍る母の心を初めて溶かした。この流れの中に、祖母と母の生き方がていねいに描かれ、それを感じる娘の眼差しもまた説得力がある。その構図をとらえる知性が、作品の格をつくっていた。虚空にひびく、「ありがとう!」という祖母の叫びが、読後に強く残った。
「曲師」からは、題材の魅力が強く伝わってきた。浪曲師のうしろ側に隠れた曲師の生活の具体性が、興味深く描かれている。ただ、地の文の中にしばしば見える説明的な文章は、作者のスタイルではあるものの、少し気になった。しかし、むずかしい取材をこなしたあげくの興味ある秀作だった。
「ヴォーリズの石畳」は主人公の設定がユニークで、その実在したアメリカ人の、伊豆のある村における不思議な体質の世界へと、読み手をさそい込む文章の力は十分だ。やがて、その村の教会を建て直すにいたる主人公の意識の流れがよく理解できた。事実と虚構の縫い目に、作者のセンスと力が見えた。
「母子草」は悲惨な話だが、文章の明るさが内容とのバランスをとっている。伊豆の地形が病を救った…というアングルも興味深かった。良太という男が少し完全無欠の理想像すぎるきらいはあったが。
「埴輪の指跡」もまた、文章の明るさに支えられた作品だ。幼い頃の記憶を、ていねいに辿り直す中で、妹の悲しい死が墨絵のようによみがえる。作者の心根が強く伝わってくる作品だ。
特別賞の紀行文「若山牧水の山ざくらの歌と酒」は、酒好きの牧水にあこがれる酒好きの作者の、心地よい牧水世界めぐりと読んだ。とくに鋭い視点は見出せなかったが、山桜と酒による酩酊感が全篇にあふれ、私も「天城」なる酒を呑んでみたい心持になった。

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