第8回伊豆文学賞 佳作「埴輪の指跡」

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ページID1044417  更新日 2023年1月11日

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佳作「埴輪の指跡」

川﨑正敏

僕の少年期は、引っ越しの連続であった。小学校を七回も転校した。転校を繰り返していると、言葉遣いや身の処し方を覚えて、目立たないように絶えず周囲に気を配り、行動するようになっていた。

小学校の五年生が終わった春、伊東から松崎に引っ越して来た。その時、左足の怪我で松葉杖を突いての転校であった。引っ越しの前日、家具を菰で包んで縛りつけた縄に足を掛けてよじ登り、天井に頭をぶっつけては、その家具の上でひとり飛び渡って遊んでいた。
「兄ちゃん、昼ご飯」

と、五歳の妹の声がした。僕は箪笥の上から菰を巻いた荒縄に足を掛け畳に飛び降りた。足裏に何かを踏みつけた。肉が焼け、激しい痛みでその場に座り込んだ。見ると独楽の芯棒が足裏に突き刺さっていた。その怪我で引っ越しが一日延びた。

引っ越しの当日、トラックの運転席には父と交互に運転する同僚が乗った。幌のないトラックの荷台の奥には、わずかばかりの家財道具と生活用品が積まれ、荷台の入り口に妹を挟んで母と僕とが乗り込んだ。僕は布団袋を背に、伸ばした怪我の足の下にクッション代わりに座布団を置き、脚を伸ばして座った。僕の横には、迷い込んで来た子犬のシロとヤギが荷台の柵に縛り付けられていた。妹が生まれてまもなく、母乳の代わりに飲ませたヤギである。ヤギの乳搾りの時、後ろの足首を掴まえている僕に、そのことを母から聞かされた。そのヤギの役目も終わったが、手放すに忍びず飼い続けていた。

家財道具と家畜と僕たちを乗せたトラックは、上り下りの激しい海岸線に沿って南下し、あるところでは崖が切り立ち、眼下には波が砕けている岨路を越え、岬の付け根を通り抜けて行った。いたる所に小さな入り江と漁村があり、桜が咲き乱れ、いつの間にか沖の大島の島影が荷台の右手に見えてきた。

昼過ぎに下田の港に着いた。

港の出口を塞ぐような巨大な戦艦が停泊していた。初めてみる戦艦に圧倒され、トラックの荷台で握り飯を食べた。

西海岸にある松崎は、下田の港に注ぐ川に沿って遡り、半島の山を半日掛かりで越えて行く。

トラックは川沿いの桜並木の下を走っていた。満開の桜の花びらが荷台に絶えず降り、陽の光を乗せてキラキラと輝いては遠のいていった。

妹とキャラメルをしゃぶり、川沿いの咲き匂う桜の下をトラックの荷台から見上げては、舞い落ちてくる花びらを、手で掴み取っていた。

桜並木が途切れた。はるか彼方に下田の街並と停泊している戦艦のマストや大砲の筒先が見えた。それらを取り巻く山々は、芽吹いた新緑に萌え、鮮やかな輪郭を浮かび上がらせていた。その上には靄のかかった空が青みを帯びて膨らんでいた。

山が両側から迫り、視界が狭まった。トラックは唸りを上げ、山肌を掠めて上りだした。路に張り出した新芽や若葉の枝は積荷に擦られ、折れたりして路上に点々と散っていた。その山路の狭間から霞んだ海が見え隠れしていた。時々、どこからともなく山桜の花びらが降りかかってきた。

片側の山がとれ、切り立った崖下から木々の梢が頭を出している。

トラックは山の尾根を走り、坂を上りきると、半島の背骨に当たる山並みの峠で止まった。

西海岸は濃紺色の海であった。風が山裾から吹き上げていた。

「ここが婆娑羅峠、昔は姨捨山だった。海沿いに見える村が松崎の地だよ」

と、母が西海岸に顔を向けたまま言った。

僕は、松葉杖を突き、海を見ていた。群青色の寒々とした海が広がっていた。
「この海が駿河湾で、海の向こうにぼんやり見える陸が静岡市。中島もあるし、大谷もある」

中島には父の、大谷には母の生家がある。共に海岸沿いにある地名である。
「近くに見えるのに遠い。松崎は陸の孤島だね」

と、母は駿河湾の蒼い海を見て言った。

草原の峠を縦に走る山径を、妹が子犬を追いかけて走りまわっていた。
「置いていってしまうよ」

と、母は何回も声を掛けていた。子犬を追い掛けている妹の姿が、叢に消えては現れていた。

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