第8回伊豆文学賞 佳作「母子草」

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ページID1044416  更新日 2023年1月11日

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佳作「母子草」

杜村眞理子

海は晴れていた。雲ひとつ無い空の青さを映して、輝いている。ときおり風が吹き、波頭が白く光る。だが沖は、鏡のように静かだ。

空と海の境はすっかり融けあって、じっと目をこらしても、見わけることができない。神津の淡い島影だけが、遠く浮かんでいる。

─さだかでなく遥かなあの境を越えたなら、恐ろしい流行病から逃げおおせるだろうか。

芙佐は重い心で、下田の外海に臨むお茶ヶ崎にひとり立ちつくし、水平線の彼方を見つめた。

麻疹という命定めの病がこの下田湊に流行り始めたのは十日程前、如月の末だ。未患の者に病人の咳が届けば必ず染り、妊婦が罹れば流産死産になる。麻疹の流行は二十年ほどに一度、麻疹に罹ったことのない者がその土地の半数を超えたころにやって来るという。この前に流行ったのは宝暦三年、今から二十三年前のことで、十八歳の芙佐は麻疹を病んでいない。嫁いで一年経たぬ腹には、五月の子が宿っている。

─この儘では子は流れてしまう、だが今なら間に合うやもしれぬ。医師は昨日、そう言った。

屋敷の一間に隠って人との交わりを断ち、麻疹に罹らずに済ませた山国の妊婦の話が、江戸の医師仲間からの便りに認められてあったという。人の往来の少ない離島や山奥には麻疹が流行ったことすらない村がある、とも話していた。

─湊は未患の者が次々に入るから、麻疹も半年では治まらぬだろう。さりとてその身で船に揺られ、離島へ渡る事は叶わぬ。しかし、無事に子を産むまで霜田家の広い屋敷の奥に隠れば、きっと病を避けられる。生まれて一年経たぬ赤子は不思議と罹らぬから、出産までの辛抱だ。是非そうしなされ??長崎帰りの若い医師は熱心に言い続けた。夫が奨めてくれた名医である。

だが霜田の家は、武家とはいえ廻船問屋だ。人が忙しく出入りする。初産の妊婦でも、嫁が奥に隠る我儘など許されない。湊に流行る病を学んでいるという医師の助言を受け、夫の孝太郎は、難しい顔をした。それから、麻疹に罹って子は流れても母親は必ず助かるか、と尋ねた。若く丈夫な芙佐のことゆえ、肺や心の臓に余病を発しなければ助かると、医師は請合った。

─おまえさえ生きていてくれるなら私は幸せだ。子はまた授かる。悲しいが此度は諦めよう。

医家の門を黙ったまま出た孝太郎は、屋敷の先にある了仙寺も行きすぎてから立ち止まり、芙佐をじっと見て、喉から押しだすように囁いた。考え抜いた様子だった。夫らしい思いやりの滲んだ声音でもあった。厳格だが慈愛に満ちた両親に育てられた孝太郎は、思った事を裏表なく口にする誠実な人だ。妻に向かっておまえがいれば幸せと言ってくれる夫は少なかろう。

─どうしても諦めねばならぬだろうか……。

岬の風に吹かれながら、芙佐は脹らみ始めた腹にそっと手をやった。中秋の月の頃には生まれると言われた子だ。諦めれば、この子は秋の海も見られない。それはあまりに酷い。

芙佐は目を伏せた。足許の岩に、黄色い花が咲いていた。茎と葉を白い綿毛におおわれた、母子草。毎年、加納にある実家の庭の一角を、黄に染めた花だ。吐き気を止め熱を除く薬だと、祖母から教えられた。亡き母に代わって、芙佐を育ててくれた祖母であった。

群れて咲く花が、このような断崖にたった一本、吹き上げる海風に揺られているのは、どんな鳥のいたずらか……思わずのばした指先に細い綿毛が触れた。芙佐は我にかえった。

─手折ってはいけない、どのような命でも。

芙佐は唇を噛み、城山の坂を下った。小さな黄いろの花影は、同心町の屋敷に帰りつくまで消えずに、瞼のなかで揺れつづけた。

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