第4回伊豆文学賞 優秀賞「姫沙羅」

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ページID1044446  更新日 2023年1月11日

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優秀賞「姫沙羅」

西原 健次

さわれば簡単に折れそうな、細長い指だった。早朝から、彼は真剣な眼で彼女の指先をたんねんに磨いていた。指のつけ根の丘状のふくらみは、脱脂綿と軟らかなスポンジで、微細な汚れまでもぬぐいとる。指の肉についた長い歳月の汚れはそう簡単に落ちない。洗剤はいっさい使わず一つのしみや汚れを落とすのに二日も、三日もかかる。それがまた夢中になれる魅力のひとつだった。

物音ひとつない、ふたりだけの空間のなかではじめて出会ったとき、背筋をのばした彼女には心なしか自閉的な淋しさを感じた。うっすらと目を開け、おなじ角度の目線のまま、こちらをじっと見下ろす。なされるままに、すべてをまかせてきた。それがまた彼女への愛着につながっていた。

艶やかな光沢となった指先に、俊鑑は思わず口づけをしたくなる衝動をおぼえた。

昼食も取らず午後からは、円い肩からのびた色っぽい腕を磨きはじめた。右腕の肌がことのほかざらざらする。それだけに磨くほどに肌の表面がしだいに光沢を現わす。彼女の胸にそっとふれた。こんどはしなやかな女体の首筋をなでてみる。時折り、こうした感触のよさを味わう。

女体の全身が輝くのはいつの日か。

時間をかけて根気よく磨く俊鑑はからだの位置を変え、一息入れた。彼女の端正な横顔は見厭きなかった。やさしい目とほほ笑みは格別だ。耳を澄ませば、彼女の息づかいが聞こえてくるようだった。

背後にひとの気配を感じた。
「ご苦労さまです。私が手をかけるべきところを。なにぶんこの老体ですから」

合掌した老住職がお茶に誘った。やりかけていますから、と俊鑑は丁重に断った。新たな雑巾を手にし、埃を拭う。座像の彼女には恋人のように惚れ込んでいた。歴史を感じる観音菩薩をたんなる仏像としてでなく、俊鑑は《彼女》として接していた。

仏像磨きの一日が終わると、からだの力が抜けたような強い疲労感に襲われてしまう。紫の作務衣から、セーターとコールテン・ズボンに着更えるのもわずらわしいほどだった。庫裏の外から、住職に声をかけた俊鑑は石段を下りていく。寺門の向こうには春がすみの下田港があった。

観光客帰りが多い伊豆急下田駅の雑踏のなかに、妻のシェラーをみつけた。金髪のスコットランド人の彼女は鼻が高く、二重瞼のはっきりした顔立ちであった。
「待たせたかい」
「ちょっぴりね。きょうはカナダ人の夫妻をガイドできたわよ」

妻が妙に嬉しさを含んだ微笑を浮かべた。そして、抑揚の変わったリズミカルな鼻歌をうたう。イギリスでかつて流行した歌らしい。歌がでるのは妻の機嫌のよさでもあった。

シェラーはガイドとして下田の歴史的な場所を幾つかまわり、米国ドルで五〇ドルもらったと紙幣をみせた。彼女は俊鑑へのプレゼントだと言い、神社の境内で買ってきた小さな可愛い《鈴》を差しむけてきた。
「これは、いい音色だな」

彼が耳もとで何度かチリリンと鳴らすと、シェラーが俊鑑の腕に手を通してきた。ホームの乗客がちらっと横目でふたりをみた。

三七歳の俊鑑は不精髭づらで、長い頭髪を後ろで無造作に束ねる。角張った彼の顔はどちらかといえば、ふけた四十代後半にみられる。二九歳の水色のアンサンブルをきたシェラーは、若々しく、服装やアクセサリーのセンスもよかった。ふたりはまずもって夫婦にみられたことなどない。

このところ週に二度ばかり、ふたりは住まいの河津から下田にやってくる。駅前で別れると、俊鑑は迷わず寺に直行する。シェラーは欧米人をみつけると、積極的に接近し、ボランティアだと言い、英語によるガイドを売り込んでいる。……一日が終われば、相手はチップ感覚、あるいはガイド料として金を差しだす。昼食のごちそうだけで終わってしまうこともあるようだ。ときとして、いかがわしい英国人として追い払われるらしい。

きょうのカナダ人は当初かなり警戒していたという。誤解を解いたうえで、ガイドの口を確保したのよ、と妻は説明する。下田には外国人旅行者に対するガイドの縄張りがない。とくに観光客が白色人種となると、日本人は尻込みし、消極的になる。そんな日本人の盲点をついた職というか、小遣い稼ぎとして、シェラーはとらえていた。
「一度訊きたいとおもってたけど、下田をどんなふうに説明してるんだい?」
「イギリスの立場から下田を紹介しているわ。日本の鎖国を解いたのは英国ですもの」
「それは史観が違うな」
「日本人はペリー提督一辺倒すぎるのよ」

シェラーは真剣な目でこう説明する。……幕末には欧米の商船や軍艦が日本近海に数多く現われた。一七四九年には英国軍艦が開国を要求し、一度下田に入港している。おどろいた老中の松平定信はみずから総勢四百人を連れてこの下田へ巡視に出向いてきた。この事実は消しがたいという。そればかりか、一九世紀半ば、イギリスは薩摩藩を介し、江戸幕府に沖縄貿易を求めた。そのうえで、日本は鎖国を止めるようにと要求していた。

その後、アメリカ軍艦ポーハンタ号でペリーが浦賀にやってきた。たまたま他国に先んじて強引に条約を結んだ。しかし、開国の下地は長崎で通商交渉をしていたロシアとか、薩摩を介して開国を要求した英国だという。アメリカは俗にいう《鳶に油揚げをさらわれる》だったと、大英帝国の視点と立場で語る。そこには英国独特の強いプライドが見え隠れする。
「神社仏閣とか、文化の説明は?」

鎌倉時代後期に創建された下田八幡神社はガイドから外さないという。むろん、戦国時代の山城であった城山公園も。

下田船改番所跡は必ず観せる。家康が江戸に幕府を開くと、膨大な物資が海路で運ばれてきた。風待ち良港の下田は江戸航路随一の港となり、下田奉行をおいたと説明する。
「随分、学んだな。シェラーはもともと研究熱心な性格だからな。へたな日本人以上だ」

というと、彼女は神社仏閣の説明となると、英語のボキャブラリーに限界があるという。「きょうラッキーな収穫があったのよ」
「なにかプレミアムでもあったのかい。特別なごちそうにありつけたとか」

残念賞。変な抑揚の日本語が、列車待ちの観光客と女子高校生をふりむかせた。ふたりは奇異な視線を浴びた。
「人生が変わる出来事かもよ」
「すると、ぼくにも関係することかい?」
「無関係」
「妻の人生が変わって、夫のぼくが無関係?」
「ガイドしたひとはね、ミスター・マーロウの知り合いなの。マーロウって知ってる?臨床スポーツ医学の世界的な権威者なの。来月、マーロウ博士が熱海で開かれる国際シンポジウムに参加する予定らしいの」

マーロウ博士が日本にきたら会われるとよい、シェラーのことを紹介しておくからと、カナダ人が親切にいってくれた。いまから楽しみだと目を光らせる。スポーツ医学は日本ではまだ未開拓の分野というか、普及度が低いので、これを機に道を拓きたいという。

シェラーは米国のドクターライセンスをもっている。日本で治療するとなると、法律的な問題とか制約があるけれど、スポーツ・アドバイザーなら可能なはずだと見通す。

河津駅まえでバスに乗り、三つ先で降りた。面倒をみてくれる婦人に預けておいた四歳児の優太を引き取った。俊鑑は片腕でわが子を抱きあげ、家路に向かう。

夕霞の川の土手筋には、黄色い菜の花が咲く。頭上にはうす紅色の満開の桜が咲き乱れる。愛らしい数多くのめじろが枝を飛び跳ね、花弁の蜜を吸う。手を伸ばせばとどきそうな、人間を怖れないめじろたちだった。

野鳥と花と同居できる、こんなにも情感がある町に住みはじめてから、もう何年になるだろうか。

橋の手前を折れた先には、彼の貯金とか退職金とかで建てられたログハウスがあった。一階はアトリエで、二階は住居だった。
「あとで、モデルを頼む」

彼は二階に上がろうとする妻に声をかけた。シェラーはウインクした。

フローリングのアトリエの隅々には、児童の立像、病院長の胸像のブロンズ像が未完成のまま置かれていた。それらは芸大大学院の彫刻科卒の俊鑑に、恩師や親しい先輩からまわってきた仕事だった。このごろ西洋の彫刻にたいする情熱は色褪せてしまい、気乗りもせず、どれもやりかけのままだった。

最近は、もはやどこからも仕上がりの督促がこなくなっていた。

俊鑑はアトリエの中央を照らすライトのスイッチを入れた。自然色のハロゲンランプが強い燭光で、制作ちゅうの仏像を浮かびあがらせた。胡坐を組んだ俊鑑は正面から凝視し、きょう下田の寺で磨いた《彼女》と見比べた。(どこか違う)

この像をまえにした人が、思わず手を合わせたくなるような、仏像ではなかった。……紀元前から数千年にわたり、仏師たちの手で、見事な仏像が数多く彫られてきた。古代社会は飢餓や疫病が蔓延し、その恐怖との戦いであった。多くの庶民は骨と皮膚が張りついたような病的な身体で、短命だった。不安と恐怖を鎮める、心の救済となったのが信仰であり、仏像であった。

古寺にみる釈迦如来像、阿弥陀如来像、観世音菩薩像などの仏像は庶民の願いである豊饒な土地、豊熟なからだへの憧憬を巧く表現し、ふっくらと柔らかな、魂が吸い込まれていくような秀作が多い。あの《彼女》にも不思議な魅力と、肌の滑らかさと、優雅さがそなわっている。それに比べると、自作は遠くかけ離れた貧相な仏像だ。

アトリエには、どれも不満足な仏像が七体ほどある。試行錯誤の連続で、いまだに完成の領域には一体も達していない。ひとつとて寺に寄進できるできばえではなかった。自作は技巧に走ってしまい魅力がない。自身の燃える魂が彫らせたという実感すらもなかった。《彼女》に近づきたいと願いつつも、単に頭脳で考え、手先で彫った像ばかり。
「なんのために仏像を彫るのか」

俊鑑の自問はつづいていた。

時代を問わず、人間には死への恐怖がつねに潜在する。そこに民がなんらかの救いを求める信仰がある。信仰の対象として仏像が存在するのだ。自分は彫刻科の師から、西洋の厳格な写実主義をたたきこまれて出発した。それだけに仏像のリアリズムというか、現代人の美への憧憬に近づけようとする技工から抜け切れていない。

まわりの七体をひとつずつみた。共通した等身大で、顔の表情はおのおのが違うけれど、だれがみてもシェラーそのものだった。

八体目の、いま制作ちゅうの仏像は下絵から粗彫がおわった段階だった。長い迷いから抜けきれない俊鑑にはこの像も、未完成のまま放置されるだろうという予感があった。

迷いが昂じると、下田に足しげく通い、仏像磨きを通して仏師たちの創作の術と心をつかもうとしているのだが、その神髄はまだつかめきれていなかった。
(きょう磨いてきた《彼女》の仏像でもつくってみるかな……)

芸術とは模倣からはじまる。模造品で自分の技を磨く。試みる必要があるかもしれない。(いや、《彼女》はやめておこう。模造に納得してしまう自分がこわい)

アトリエでのしごとは砥石で彫刻刀を研ぐことからはじまる。愛用の丸刀、平刀、三角刀の柄はみな汗と脂で汚れている。精巧に、かつ無心に砥石と刃先に精神を集中させる。「夕飯ぐらい、優太と一緒に食べるものよ」

シェラーが湯上がりの浴衣姿で、アトリエに入ってきた。
「浮かんだイメージを先に、スケッチしておきたい。次の作品に使うから」
「冷えたからといって、食べ残さないで」

浴衣を脱ぐと、シェラーは裸体だった。このごろは羞恥心に拘泥せず、なれた手つきで、左肩から天衣をかける。天衣は俊鑑があえてこだわり、インドから取り寄せた細くてやわらかい布だった。インド人はゲルマン民族系。仏教発祥の地のインドで見た仏像を思えば、シェラーの顔に違和感はない。だが、日本人の信者には馴染みにくいだろう。

裸身のシェラーがさらに胸飾り、腕輪、足輪などの装身具をつけていく。俊鑑はシェラーに禅師のような瞑想するポーズをもとめた。彼女は素直に応じる。モデルをやりはじめたころのシェラーは半裸体のからだをずいぶん硬くしていたものだが、このごろ自然体のポーズがとれる。

八番目の作品はインドの観世音菩薩像に類似したものになると説明した。
「トシアキ、あなたがいつも口癖にしている納得いく仏像はいつできそうなの?」
「いまのところ皆目見当がつかない?こればかりは腕前と相談というわけにもいかないし……」

俊鑑はイーゼルに置かれたスケッチブックにむかった。
「トシアキはハングリー精神がないからね。親の遺産で生活しているうちは、傑作ができないわよ」
「辛辣だな」
「ねえ、気になることがあるの、六体目の仏像は胸がおおきいね。あれはだれの乳房?」「特定の人物じゃなくて、ひとつの象徴さ。仏像にもセクシアルな感覚が必要だと思う」

多少の好みもあるけれど、多くのものは豊かな胸への願望が強い。西洋の彫刻の立像もそれを強調する傾向にある。現代人の乳房への美的願望はこの程度の膨らみじゃないかなと考えたのさ、と俊鑑は説明した。
「私の乳房に美がないんだったら、なぜ、私をモデルにつかうの?」

納得できない顔で、シェラーが自分の薄い胸を指す。俊鑑は一瞬、言葉に窮した。
「実像から発展させて、普遍性を追求していく。だから、モデルはそれなりに必要さ」「苦しい答弁ばっかり。本当は大きな乳房の女性が好きなんでしょ」

シェラーが不満顔でいった。

次の下田ゆきは雨だった。寺の軒下のつり灯籠から雨垂れが落ちる。欄干に落ちて跳ねる。それが小刻な好いひびきとなっていた。住職がお茶の席に誘った。なぜ仏像磨きに専念されるのですかと訊いてきた。
「仏像を磨くことで、仏師の心をつかみたいと考えてるからです」
「きけば、西洋の彫刻の道から、仏師に転向されたとか。経緯ともうしますか、どんな動機で仏師の道にお入りになりました?」

老僧はどこまでも興味ある目だった。

お茶を一口飲んだ俊鑑は、大学卒業まえからの自分を語りはじめた。

大室山の山麓に理想郷がある。俊鑑はかつてさくらの里で彫刻科の卒業作品として白御影石をつかい裸婦の像を彫っていた。

大学院進学を強く希望し、建築の事業を継がせようとする父親と正面から対立し、自宅に寄りつかなかった時期でもあった。芸術指向の人生しか、俊鑑の頭のなかにはなかった。あるとき黒塗りの車がやってきた。降りてきたのはダブルの服をきた父親の祐一郎だった。父親がそばにきても、俊鑑は鎚を打つ手を止めなかった。
「このさき二年間だけは好きなことをやらせてやる。大学院は修士課程までだ。そのあとは事業を継げ」

俊鑑はひとり息子だ、それが当然だという態度で、祐一郎は決めつけていた。

一部上場の大手建設業として名を列ねるが、叔父やら祖母までが顧問でいる同族支配の会社だった。俊鑑は親と絶縁してでも、彫刻をほる人生を歩む、と自分の信念を語った。父親は立ち去ったが、母親や親戚を巻き込んだ強引ともおもえる説得工作がつづいた。修士課程を卒業後、俊鑑は屈した。しかし、父親の建設会社にいきなり入ることを嫌い、国際的な建築設計コンサルティング会社に入社した。デザイン面を担当する一方で、年数は多少かかったけれども、一級建築士のライセンスもなんとか取れた。これで一人前だ、合格祝いだという祐一郎の奇妙な言い種の下で、アナウンサーだった女性と見合いさせられたが、即座に断った。

俊鑑は、勤務先の会社が落札したロンドンスタジアムの意匠設計のプロジェクトチームたずさわった。イギリスに渡り、仕事に追われる、余裕のない日々だった。スタジアムの竣工まえ検査が完了し、仕事に区切りがついた。一時帰国の折り、インド、ネパール、上海に立ち寄った。

上海の市街地をどのくらい歩いただろう、禅寺の王仏寺の山門をくぐている自分に気づいた。大雄宝殿には本尊の三尊仏が安置されていた。両側には一〇体の諸天が立つ。臥仏堂に足をむけた。人間の背よりもやや高い釈迦涅槃像はヒスイとメノウで飾られた豊麗な姿態であった。みるからに艶やかな肌で、心にじーんとひびくものがあった。生涯かけても、こんな肌の素敵な仏像を彫ってみたい、と時間を忘れて凝視していた。
「この像は何世紀に作られたんですか?」

背後から、女性に英語で質問をむけられた。「十九世紀にビルマから伝えられた……」

と答えると、二十代の彼女は幾つかの質問をしてきた。俊鑑はスムーズに応えた。シェラーと名乗った彼女は現地で買ったのだろう、メノウのイヤリングを付け、刺繍のブラウスに水色のスカートをはいていた。彼女の英語の発音からすると英国人だとわかったが、米国のボストン市にある医科大のマスター・コースで学んでいるという。
「東洋の庭園を見たいの。どこがいいかしら」
「上海で特別な予定はないし。ぼくでよかったら案内してもいい」

俊鑑は《豫園》を案内することに決めた。道々、俊鑑が中国人でなく日本人だというと、彼女はおどろきの目をむけていた。

近世中国風の《豫園》の庭園は、龍をかたどった白壁の塀で仕切られていた。四角形の池の中央には朱塗の湖心亭があった。甍の波が池の水面に写る。ふたりは柳下の石段から池の淵へと足をむけた。木漏れ陽がきらめく池面で、鯉がやたら浮上し、口を開ける。岩間のスッポンがランデブーしながら泳いでいく。俊鑑がロンドンスタジアムの意匠のしごとにたずさわってきたというと、彼女は親しみのある目で、自分の生れはエジンバラだとおしえた。ふたりの間には英国の地理、風土、文化などの共通の話題ができた。
「なぜ、アメリカの医科大に?」
「臨床スポーツ医学はアメリカが数段に進んでいますから」

相互単位制度の下で体育大学にも学び、保健管理の科目を修得したと内容を語る。彼女の話題はさらに広がった。来年九月にはドクターコースに進む予定だと快活に語る。
「日本の庭園も、こんな風ですか?」
「ぜんぜん違う。苔とか、松とか、自然の風景を取り入れたものが多い」
「一度、日本にいってみたい」
「そのときは案内するよ」
「うれしいわ。互いにスケジュールが合わせられるかしら。仕事が忙しいんでしよう」
「プロジェクトが一段落したから、場合によったら退職して彫刻家か、仏師になるつもりだ。そうなると時間は自由につくれる」

意気投合した心境で、俊鑑は将来の展望を語った。シェラーと話すほどに、退職の決意が深まった。一方で、愛の予感があった。

俊鑑は日本での連絡先をおしえた。

翌年の夏、マスターコースを終了したシェラーが成田にやってきた。退職していた俊鑑は、空港に出迎え、翌日から彼女と各地の名刹をまわった。ふたりの愛が日々に高まっていった。観音山石仏群を観た帰り、河津の丘に建設ちゅうのログハウスに案内した。俊鑑はすでにここで仮住まいをしているとおしえた。庭には彫りかけの石像が霧雨に濡れていた。
「アトリエが完成したら、シェラーをモデルにしてみたい」
「OK、トシアキの作品づくりに協力するわ」
「いつ実現するかな?」
「いまの愛を大切にしたい」

ドクターコースへの進学は一、二年先でも、五年先でもいい、学ぶことに年齢は必要としないからといった。日本人のように、とんとん拍子に大学院生の進路をいくという発想は彼女になかった。米国に帰らず居座ったというか、ごく自然に未完成のログハウスで同居をはじめたのである。

シェラーが妊娠した。骨盤が小さくて帝王切開したけれども、男子が無事に出産できた。優太がまだ生後三ヵ月のとき、父親の祐一郎が心筋梗塞で死んだ。社葬まえから建設会社のなかでは銀行筋が二派にわかれた、醜悪な内紛をくりひろげていた。俊鑑は同族の諍いなど自分の性格にあっていないと、株式市場で父親の保有する株をすべて売却し、いっさいの関わりを断った。母親と話し合い、財産を二分したのである。

役員に名を列ねる親戚筋から、こんな時期に株を売却すれば、会社が他人に取られるん
だと、強い反発と顰蹙をかった。激怒した叔父もいた。株売却は財産狙いの外国人妻の入れ知恵だろうと、母親までもが叔母たちとともに見当ちがいの批判をくりかえした。嫁姑問題でも、俊鑑が全面的にシェラーに加担したことから、母親とも絶交となった。

父親の遺産のみで生活しながら、俊鑑はブロンズ像の彫刻の創作から、しだいに仏像づくりへと魅せられていったのだ。

下田の住職には茶の席で、このように歩んできた道をおしえた。
「じつは自分でも、まだ仏像なのか、彫刻なのか、定かな境界線ができてないんです」
「仏像は作品でなく、魂の象徴です。作品という意識が障害じゃないでしょうか」
「だと思います。だから、気持が仏師と彫刻家の間を行き来しているんだと思います」
「はっきりいって、信仰心がない仏師に、魂のある像は創れないでしょう」

住職からそう批判された。

仏はみずから宗教を信じなければならないのか。俊鑑は胸のなかに悶々とした疑問をもち、軒下の春の雨垂れを見つめていた。

夏の夜になると、ログハウスの窓ガラスには昆虫や蛾などが張りつく。虫たちは窓越しに裸身のシェラーを観ているようだ。

瞑想ポーズのシェラーが目を閉じたまま、マーロウ博士から熱海のホテルのディナーに招かれた、俊鑑も一緒にという。俊鑑の頭から博士のことはすっかり消えていた。

ホテルの展望レストランから、市街地の灯火のかなたに漁り火がみえた。窓際の白いテーブルにはステンドグラスのランプがならぶ。品のよいスリップ・ドレスをきたシェラーの横顔を照らしだす。静かなムードによく似合う女性だと、俊鑑はあらためて妻を惚れなおした。

白髪の品のよいマーロウ博士が、先刻から臨床スポーツ医学の必要性と普及について語っていた。博士の主たる研究は骨密度の測定らしい。……スポーツごとに骨密度がちがい、極度につかう局所にはストレスが累積してきて、それが骨に影響する。たとえばウエイトリフティングのような重量物をもちあげる種目だと、脊髄の骨硬化が進行する。その進行を追跡すれば、椎間板ヘルニアとの関係がさぐれると、博士は緩やかな口調で、懇切丁寧に語っていた。

そばの夫人が、夫の会話の潤滑油のような微笑みを浮かべる。

俊鑑はある程度の英語は理解できる。しかし、医学の専門用語となれば、それは別物だった。ときには理解できず曖昧に聞きながす。ワット・ミーン・イット、とシェラーは疑問が生じたならば、即座に質問する。博士の会話のながれを寸断するが、シェラーはお構いなし。理解できるまで質問をくりかえす。マーロウ博士はシェラーに、日本でスポーツ医学の普及を志すならば、助力するという。「ぜひとも協力を仰ぎたいです」

シェラーの目は熱意に満ちていた。

熱海帰りの彼女は、母校の医科大ドクター・コースへの未練を口にしながらも、独学で猛烈に勉強をはじめた。彼女の集中力と熱意はすさまじいものがある。

ある日、シェラーがボランティアをやると言い、パソコンで作成した小冊子をみせた。《高年齢者へのスポーツ・アドバイザー》

老夫婦がほほ笑み、河岸の道でジョギングする表紙まで作成していた。これを各スポーツ団体や協会に配布するという。
「日本はますます老齢化に進むでしよう。そのぶん年配者のスポーツは盛んになるわ」
「老人は転んだだけでも、大腿骨の骨折だ。それに走りすぎたら、心臓発作だぞ。応急処置を誤ったら、死ぬんだ」
「なぜ、賛成してくれないの?たしかに健康のためのスポーツはときに過度な運動量となることがあるわ。生命に関わるケースもあるし。だからこそ、高年齢者の健康に気を配れる、スポーツ医学の立場からのアドバイザーが必要になるのよ」
「老人に事故が起これば、責任がアドバイザーがわにあるんじゃないか」
「リスクを怖れては何もできないわ」
「五歳の児をかかえる母親に、そんなことに関わる余裕があるのかい?」

優太の育児は大切だが、自分の人生も大切だという。妻は本気でスポーツ・アドバイザーをやるつもりらしい。

小冊子の反応は早かった。シェラーが七〇歳の日下部光治と名乗る男性に会ってきたという。妻の説明だけでは不明瞭なところもあるけれど、海軍兵学校に入学した年に終戦となり、大学に再入学し、卒業後は総合商社に入った。海外生活は延べ一六年間にわたる国際感覚がある人物で、取締役ニューヨーク支店長までのぼりつめたという。

六二歳で思うところがあったのか、日下部は会社を辞めてスポーツに打ち込んでいる。妻君に先立たれた独身で、住まいは東京。娘ふたりは結婚して札幌と大阪にいるという。「危ないんじゃないか」

俊鑑が彫刻刀の手を止めた。
「なにが危ないの?健康な人よ」
「下心があるんじゃないか。スポーツ・アドバイザーを上手に口説き、家に引き込むとか」
「それって、トシアキの嫉妬ね」
「やいたっていいじゃないか。シェラーはぼくのワイフなんだから。愛しているんだ」
「私は不倫などしない。スポーツ・アドバイザーは健全な精神のみよ。ミスター日下部は陸上の世界選手権で記録を狙っているの」
「七〇歳で、陸上の世界選手権?」
「そう、大会で五〇〇〇メートル走るの」
「なにかの間違いだろう。七〇歳で中距離ランナーとは考えられない」

嘘じゃない、と言い切った。

ある日、二階のシェラーの部屋をのぞいた。医大生が下宿したかのように、英文の臨床スポーツ医学の書物がならぶ。下田ガイドで稼いだ金は自分の金だという意識から、ほとんど書物の購入にあてている。マーロウ博士からも頻繁に資料が送られてきているようだ。「モデルをたのむ」
「きょうは忙しいから、だめ」

パソコンにむかったシェラーは、日下部の走るフォームを分析しているさなかだった。ここ一週間の予定で、日下部が下田ホテルに滞在し、シェラーの指導を受けている。城山公園で柔軟体操したあと、日下部は坂道を下り、ペリー上陸記念碑がある平坦地の海岸沿いを一五キロほど走っているらしい。シェラーは自転車で伴奏しながら、健康状態や一キロごとにラップをとって記録する。そのデーターをグラフ化し分析しているようだ。
「トシアキ、画面を見てみる……」

妻がキーボードをたたいた。ランナーの両手の振りだし動作、上半身の前方傾斜の角度、ストライドの伸びなどがグラフィックに変えられた。画像がコマ送りで動く。最初の一キロと、三キロでは身体の角度が違っていると、ふたつを重ね合わせた。

俊鑑は設計士の目で画像を凝視した。建造物に対する地震の揺れのグラフィック手法に似ていると思った。
「このデーターをマーロウ博士に送って返事をもらうの。世界陸上選手権までにフォームを改造させたいし。だから、急ぐのよ」
「ほんの少しでもいい、アトリエにきてくれ」
「私も条件ある。トシアキが協力してくれたら、いいわよ」
「料理づくりかい?」
「ちがう。料理なんて、私がいくら頼んでもトシアキはやらないね」

とひとこと不満をいった。シェラーは、ランナーが疾走ちゅう大腿部の肉離れを起こすケースが多いし、筋肉障害が起きた場合、段階的なリハビリテーションが必要だから、俊鑑を使った実践的な研究がしたいという。
「そのくらいの協力なら、まあ、いいか」

アトリエで、俊鑑が床に仰向けにさせられた。彼の右足がシェラーの肩へ。腰から曲げた片足が九〇度まで高々とあげられた。
「痛い、いたい」
「硬いのね。からだがもうお年寄りなのね。こんどはこの椅子に腰かけて」

大腿部の肉離れが回復にむかったときのストレッチングだという。座ったまま、片足に引っかけた輪のチューブをもちあげる。筋力トレーニングだけに、筋肉がたちまち突っ張り、一五回もつづかなかった。
「スポーツ選手なら、かるく二〇〇回くらいできるのよ」
「ふだんスポーツをやっている人間と、彫刻に打ち込んでいる人間じゃあ、筋肉が違うさ。さあ、こんどはシェラーがモデルだ」
「あっ、優太の迎え時間すぎた」
「このごろ、逃げ方が上手になったな」

俊鑑が舌打ちした。

数日後、仏像の素材の檜がアトリエに運びこまれてきた。新たな香りが創作意欲を刺激する。先に手をつけたいが、九体目は全身の粗仕上げがひと通りすんだ段階で、これから細部に手を入れる必要がある。

木の逆目と順目を見極めながら、彫刻刀で彫り進んでいく。右手の小指を彫木につけ、刃先が暴走するのを防ぐ。左手の親指は刃元を強く押しながら、頭髪のほうへと刃先を変えていく。指先と彫木との間に刃物の存在がなくなるほど、気持ちが熱中していた。

彫刻の力量は足もとにあるという。力学的には仏足が彫刻本体を支えるので、実物よりもかなり太い。宗教的には大地との接点で崇高な場所でもある。細長い足指を横削りしながら、爪の形を整えていた。
「へんな足?もっと美しくして」

と背後から声をかけられるまで、俊鑑はシェラーの存在に気づかなかった。
「実物のように細い足にすると、立像が倒れてしまうんだ」
「モデルどおりに作らないなんて。いんちきだわね」

下絵の段階でも妻から同じようなたぐいのことばがあった。……の首を太めにし、
三つの皺を刻む三道を入れていた。スケッチをのぞいたシェラーが、《年寄りの像》なら、モデルはやらないと反発した。リアリズムの観点からシェラーの要望に応じてみた。しかし、仏像としては頭部に不安定感が残ってしまった。

仏像の手は転法輪印と言い、右の親指と人差し指で輪をつくる。もう一方の左手は、親指と中指で丸を描く。こうした手と指の表現は仏像のいのちでもある。
「来月の初め、一週間、高地トレーニングにいくからね」
「何人で?日下部もかい」
「そう、ふたりで。場所は伊豆高原」
「男と女がふたりきりで、七日間も山中に閉じこもるなんて異常だ」
「トシアキ。理解してちょうだい。メダルをとるために、大切な訓練なのよ」

来年一〇月には南アフリカ・ダーバンで世界陸上選手権が開催される。マーロウ博士のデーター分析によるアドバイスから、日下部の体力づくりの一貫として、一年計画で筋力強化をおこなうのだという。
「ほんとうに七〇歳で、陸上の世界選手権に出るのかい。ごまかされて誘惑されてるんじゃないのか」
「高地訓練が必要といったのは、私よ。伊豆だと海抜はせいぜい一二〇〇メートル。この条件でも我慢しているのよ。メキシコまで行って、というわけにはいかないでしょう」
「七日間で、からだの体質がそう簡単に変わるものか。本当は日下部が上手に誘いだしたんだろう。あるいはそう仕向けられたとか」「誘惑は一度もされてないわ」
「なにかの本で、高地トレーニングの効果は疑問だ、という記事をみたような気がする」

というと、妻は二階から英文の書物を持ってきた。……高地は低酸素と低温を主とするから、換気量の増大、心迫出量の増加、赤血球の増加がある。ランナーが高地に順応し、適応能力が増せば、身体機能の改善がはかられると、シェラーは熱ぽい口調で日本語に翻訳してみせた。
「七〇歳のランナーは機能の改善というよりも、日々に低下だろう」

何をいわれても、妻は伊豆高原ゆきをやめない態度だった。万二郎岳と万三郎岳の稜線を走ることで筋力強化にもなるという。
「稜線を走る?捻挫するのがおちだ」
「富士山とか丹沢とかで、山岳マラソンやボッカマラソンをやっているでしよう。山を走ることは特別なことじゃないわ」

今回の高地トレーニングで記録があがれば、今後もくりかえし、山岳で実施したいという。

一〇月初、妻が伊豆高原に出かけた。

日下部とシェラーが怪しげな関係になるのではないかと、俊鑑は悶々としていた。シェラーの像を彫るという心境にもなれず、酒を飲み、心が乱れつづけた。シェラーから電話ひとつない。居ても立ってもいられない心境に陥った。

四日目、彼は六歳になった優太を連れて伊東にむかった。バス終点の伊豆高原ゴルフ場から、山霧が流れる万二郎岳への道を登りはじめた。岩苔の涸れた沢沿いをいく。五歳のこども連れだけに、多くの登山者が後から来て追い越していく。
〈偵察とは姑息だ。卑怯だ。妻を信じてやれない男だ〉

俊鑑の心では、もうひとりの自分がずっと批判をむけていた。醜い罪の意識が心をかき乱す。それでも彼は引き返さなかった。

樹木が道幅を狭めてきた。落葉と病葉が重なった径では靴裏がキュッきゆっと鳴る。木の根と対話するように登る。丸太の階段では吐く息が荒くなった。道筋にはぶなの大樹があった。青い花弁のトリカブトが咲く。毒をもった花とは思えないほど可憐だ。水色の帽子をかぶる息子のほうが健脚に思えた。パパ早くおいで、と元気がよかった。
「お花きれいね」
「採ったら、ダメだ。花にもいのちがあるんだぞ」

というと、青い目の優太がおどろいて手を引っ込めた。また、先頭を行く。

前方には巨木の姫沙羅が径の道標のように立っていた。樹皮のない幹は滑らかな淡赤黄色の光沢をみせる。姫沙羅に近づくほどに、彼はふとシェラーとの出会いの場でもあった上海の王仏寺を思いだした。釈迦涅槃像はヒスイとメノウで飾られた豊麗な姿態で、見るからに艶やかな肌であった。こんな肌の素敵な仏像を彫ってみたい、と時間を忘れて見つめていたものだ。あの釈迦涅槃像と目のまえの姫沙羅の木肌と重ねあわせていた。

一息入れるぞと言い、俊鑑は姫沙羅の樹のそばで腰を降ろした。存分に空気を吸い込むと、乳白色の霧までが胸の奥にとどいた。

ふたりで飲み物を分け合った。
「この樹つるつるだね。お風呂で石けんをつけた、ママのからだみたい」

優太が幹を撫でていた。
「パパもなでて。気持ちいいよ」
「ママの樹だな。これは」

二度、三度とくり返す俊鑑の脳裏に、七〇歳の日下部が裸体のシェラー肌を撫でる、よからぬ想像が拡がってきた。釈迦は娑羅双樹の林のなかで、死んだという。自分には悟りなどない。嫉妬の深みで悶々としている。

万二郎岳の山頂直下は急勾配だった。登りきったけれども、シェラーの姿はなかった。万三郎岳への稜線が訓練コースだといっていた。そちらにむかった。道は時折りアップダウンがあるが、割に平坦だった。

枝が横拡がりの特徴ある馬酔木の群生地があった。馬酔木トンネルの先端が霧で霞むほど、数百メートルも直線でつづく。前方からジョギング姿の男がやってきた。七〇歳というよりも、まだ五〇歳すぎにしかみえない。Tシャツにショートパンツ、白髪混じりの頭髪はバンダナで止めている。年齢の割りには筋肉質な脚だった。
(これが日下部か)

見るからに厳つい感じの顔立ちだった。現役の商社マン時代は部下を頭ごなしに怒鳴っていたようなタイプに思えた。

すれ違う日下部の吐く息を感じただけでも、俊鑑は胸の奥に不快なものをおぼえた。

俊鑑と優太が万三郎岳の山頂に着くまで、日下部は二往復してきた。ゴール地点と想定しているのだろう、日下部が生気を使いきるように、スパートをかけた。飛び込み、地面に座り込んだ。登山者の邪魔になると判断したのだろう、シェラーが日下部に肩を貸してベンチに移す。

男の汗が妻の肌につく。それを意識するだけでも俊鑑はいたたまれない心境だった。

シェラーは日下部をやや抱え起こし、スポーツドリンクをあたえる。もう一方の手はタオルで日下部の汗を拭う。

ママ、と優太が駆けだした。
「なぜ、ここにいるの?」

パパもいるよ、とふりかえって指す。シェラーが笑みで息子を抱きあげるのかと思っていたら、お仕事ちゅうよ、とシャットアウトした。きょうは十三秒ほどラップがあがったと、シェラーが日下部に笑みをむけた。優太が危険なものでもみるように、母親の顔をみていた。シェラーのいまの意識は息子よりも、あきらかに日下部にあった。
「このお爺さん、走るの早いんだね」
「世界選手権にでるのよ」
「それなあに?」

わが子にどう理解させようかと迷った表情で、シェラーはいくつかの言葉をつなぎ合わせていたが、途中であきらめたようだ。
「きょうは?」

シェラーが俊鑑に訊いた。
「大学の卒業記念に作った、さくらの里の像を見にきてみたんだ。帰りの途中、ちょっと寄ってみただけさ」

俊鑑は自身でも苦しい説明だと思った。

ベンチから立ち上がった日下部に、俊鑑は型通りの挨拶をした。軽く応じた日下部だが、「奥さんを連れもどしにきたんですか」

といいながら頭からバンダナをはずす。
「別にそんなつもりでは……」
「ぼくはスポーツに残る人生をかけている。遊び半分じゃない」

世界ベテランズ陸上競技選手権大会の五千メートルで、七十歳代の公認記録、アメリカ人のW・ユーテスがもっている十八分五四三秒の世界記録を塗り替えたい。ちなみに七五歳代では日本人の金森幸作の二〇分二一秒が世界記録である。新記録達成に執念を燃やしている。それゆえアドバイザーと気持ちをひとつにして高地訓練に臨んでいるのだという。「ぼくは浮ついた気持ちで、伊豆の山地まで訓練にきたんじゃない。大切なトレーニングを邪魔されたらこまる」

日下部は鼻っ柱の強い態度だった。
「心外な。邪魔などしてない。スポーツ・アドバイザーとして、女房がどんな活躍をしているのか、この目で確かめたかっただけだ」「ならいいんですがね。奥さんを信用していないのかと思いましてね」

日下部は刺のある口調で、じろっとにらんだ。俊鑑はむかむかしてきた。
「シェラーは信用しているさ。だけど、男は信用してない。女房が男とふたりして山にこもれば、気がかりになるのが当然でしょう。あなたに文句をいわれる筋合いじゃない」
「とどのつまりは奥さんを信じてないんだ」

日下部はバスタオルを首にかけると、足の向きを変えた。
「なんだ、あの男の態度は」

俊鑑は後姿をにらみつけた。
「喧嘩しないで。あなた」
「優太、帰るぞ」

息子の手をとった俊鑑は、複雑な気持ちで万二郎岳へときた道に向かった。

天城山から帰ってきた俊鑑は、毎日が沈鬱だった。創作の迷いと嫉妬の下で、仏像を手がける限界をも感じてきた。このさい創作修業をかねて旅に出るべきかもしれない。……人間はつねに旅し、終着は死。だれもが死への怖れをいだきながらも、一方で明るく喜びに満ちた人生をとねがう。しかし、人間の欲望、性のいとなみ、あらゆる事象が思いどおりにならない。きょうは苦悶、あすは希望との間で一喜一憂しながら生きている。

旅先で煩悩と向かい合い、願わくば嫉妬と創作の迷いを乗り越えたい。像のなかに生身の人間を感じさせる、人間の魂がのり移った作品を創りたい。

そんな想いが日増しに強くなってきた。俊鑑はシェラーに旅にでる理由を説明し、承諾をもとめた。
「私の顔はこんなふうじゃない」

シェラーが突然、そばのノミを手にすると、像の顔面を傷つけた。
「からだも違う」

木槌で像の腕を壊す。木片が床に飛び散った。彫刻の悲鳴がきこえるようだった。俊鑑は、制作への精根がこの場で尽き果てるような心境で、茫然とみていた。唐突すぎて、自分の処し方がわからなかった。
「夫婦ってなあに?私が嫌いになったのね。嫉妬がすぎるのよ。病的よ」

これが女の怒りの素顔かと、俊鑑は距離をおいて見つめていた。仏像の喜怒哀楽のひとつの点描にも使えると思った。
「年に一、二度逢って感動する、そんな夫婦でも悪くないとおもう」
「世のなかが変わるように、人の心も変わるわ。夫婦がふたつの生活を持ったらよくない。トシアキが身勝手に旅にでるなら、私はボストンの大学院にいく」
「理解してほしい。なにも家庭を棄てるわけじゃない」

このままでは意図する神髄の像が完成しない、と訴えた。夫の信念がもはや変わらないところにある、拒絶をつづけたならばかえって俊鑑の心が屈折してしまうと、シェラーは判断したのだろう、条件付で認めた。
「月に一度はかならず居場所のわかる手紙か、電話がほしいわ。ただし二年間よ。それを過ぎたら、私はボストンよ」

こばむ理由もなく、その約束のもとに、彼はあえて無銭同様の身で旅立った。

家を出てから三ヵ月。放浪の身として俊鑑は寝床の多くを寺の片隅にもとめた。真冬の伊豆の山をいくつか越えた寺で頼まれたものは、文化財にも指定されない名もなき仏像の保存修復だった。

像が手にする壊れた紅蓮華や、虫喰った垂髪の補修やら、腐食が進んだ框座の補強などだった。貧寺だけに宿泊場所の提供と食事の見返りがあるのみ。観る仏像への失望感から創作意欲の失速に襲われることもあった。

月日の意識がだんだん疎く消えはじめた。彼は貧寺でもらった法衣とゴム草履を履いた姿で、なおも旅するのだった。腰には妻からもらった《鈴》を吊るす。天城山麓の加茂村で、一人の老人と出会って宿をもらった。流浪の仏師だというと、老人が目を光らせた。

一昨年、地震による山津波で郷の民家が流された。死者の霊を祭る仏像を現場に彫ってくれないか、形式は問わないし、心があればいい、という。

老人が案内する道のかなたには西海岸の海が見え隠れしていた。やがて杉木立の道に野鳥がさえずり、沢筋の音が木霊す、こころ静かになれる場所にきた。ここが事故現場だという。土砂崩れの山肌が岩盤を剥きだす。そのさきに三段の滝があった。

俊鑑は、滝壷近くの岩盤に四角い祠を刳りぬき、そこに像を収める構図を描いた。《鈴》が鳴った。シェラーとの約束を思いだし、逗留先は加茂村だと連絡してから、岩盤にノミを入れはじめた。鋼製のノミと鎚の音がカーン、カーンと沢筋にひびく。朝が楽しみで日没が憎くなる。四角い祠ができあがってきた。

霧が流れる日、背後にひとの気配を感じた。シェラーだった。ジャケット姿にスカーフを巻いた妻は四ヵ月も連絡がなかったと口先で怒る。だが、目には再会できた微笑みがあった。ふたりで食べましょう、と妻が姫沙羅の大樹の側で布バックから弁当を取りだす。「ダーバン行きの結果は?」
「アドバイザーの私と、ランナーの意見が対立したから、大会まえに降りたの」

日下部は心臓と脳に動脈硬化の兆候があると診察されていた、ドクターストップがかかっていた、それなのにアドバイザーの自分には隠し、世界陸上競技大会に参加するつもりでいた、無理すれば心筋梗塞や脳出血をおこす。競技ちゅう日下部が倒れたら、アドバイザーの自分は自信をなくしてしまう。自信喪失からスポーツ医学の普及の夢が頓挫する。そんな人物とはもう付き合いたくないと、シェラーは強い調子でおしえた。
「こんど青少年を相手にすることに決めたの。年寄りでも、トシアキが嫉妬するからね」

彼女はいたずらな目をむけてきた。
「あれはちょっと病的だったかな。青少年にどんなアドバイスをするんだい?」

スポーツは青少年の身体発育をうながす一方で、事故も多い。スポーツ障害は種目によって特徴があり、野球の場合だと肩の脱臼がある、鉄棒やマット競技では首や脊柱の骨折などの事故がある。障害の程度によっては、その影響が生涯におよび、心に傷を残す。
「事故を起こしてからのリハビリでなく、予防医学の普及が必要なの」

こどもが将来どんなスポーツをやるか。種目の選択は、本人の希望、それに対して親、教師のみならず、スポーツ医学の面からも適正なアドバイスが必要だという。

シェラーがそんな趣旨で抱負を語っていた。彼が道具箱を手もとに引き寄せると、ここにどんな仏像が入るの、とシェラーが岩盤の四角い祠をのぞいた。

死者の霊をたんに静めるのではなく、人間がこの自然と調和できる喜びの像を彫りたい、と俊鑑は漠然とした概念を語った。
「いいところにきた、モデルをたのみたい」「だれか、のぞきにこない?」

彼女は滝壷の脇で、警戒心をむけた。
「大丈夫だよ」

春の肌寒さのなかで、シェラーは下着まで脱いだ。妻の裸体はひさびさに見る。それだけに新鮮ななまめかしさと魅力を感じた。彼女は天衣の代用のスカーフを肩からかけると、奇岩のうえで座禅を組み、瞑想するポーズをとった。

スケッチから起こすのでなく、俊鑑の手が自然にノミにのびた。妻の上半身の輪郭を彫る。鎚の音が快い。創作意識よりも、魂が彫らせていると感じられた。

夕日が姫沙羅に反射し、シェラーの白い肌を淡赤色に染めた。姫沙羅の艶やかな輝きとシェラーの肌とがごく自然に一体化してきた。瞑想していたシェラーが瞼の裏に夕日の光線を感じたのだろう、目を開けた。光の反射の方角に顔をむけた。
「この樹はなんていうの。素敵な肌の樹ね」「姫沙羅だよ。優太がママの肌だってさ」
「ほんとう。私の樹なのね」

妻の顔からほほ笑みが洩れた。この微笑をしっかり像に表現しよう。そう決めたとき奇妙なことだが、俊鑑の胸のうちに、迷わず生涯かけてシェラー像を一筋に彫りつづけるのだという、強い意欲と決意がわきあがってきた。それがたとえ信仰や崇拝の対象とならなくてもいい、妻への愛を表現した像として、自分自身の魂として……。それだけで充分ではないか。そう思うと、俊鑑は長い迷いから抜け出られた心境になれた。
「姫沙羅の花はいつ咲くのかしら」
「夏かな」
「いつ河津にもどってくるの?」
「姫沙羅の白い花が咲いた頃、この創作はそのころ完成するだろう。そしたら帰る」

俊鑑のことばは確信に満ちていた。

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