第4回伊豆文学賞 審査委員選評

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ページID1044450  更新日 2023年1月11日

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紡ぎ出された運命

草柳 大蔵

マラソン競技にたとえると、出発した競技場に帰ってきた5人がデッド・ヒートを演じ、その中から抜け出した島永さんが優勝のテープを切った、という光景である。

島永さんの勝因は「語り口」のうまさ、現代を生きる人の心の挙動に対する「目配り」のこまやかさにある。「いまを生きない人はその程度の未来しか生きない」という名言が、娘の鮎子とその夫の川中欣也に投影され歩き出したような不気味さが伝わってくる。鮎子は網代から東京の女子短大に入学、授業はサボるわ酔って帰えるわのていたらくで、相手の川中は二十歳でひろりと背の髙く品の良い顔立ちをしている。二人の間に秀介が産まれるが、4、5年して二人は離婚、鮎子はこんどは吉田というブティックを経営する男と一緒になるのに及んで、息子の秀介を網代の実家に預かって貰う。小説の筋書きは日本のどこにでもあるような話なのだが、作者は一人の初老の母に語らせることによって、日常性の垢を洗い落して作品のレベルを実現してみせる。「事実は小説より奇なり」というが、とんでもない解釈で、小説のもつ力は事実の糸から人間ひとりひとりの運命を紡ぎ出すものである。静かな語り口が現代のノイズが何も伝えていないことを証明している。

優秀作の「姫沙羅」は人物の設定が異色で虚を衝かれる思いがするが、物語が進行すると最初の違和感はすぐ消滅し、次世代の「現実」の誕生を納得させられる。仏像を彫る男とスポーツ科学の分野に進もうとする女性の取り合わせもおもしろいが、お互いの自由度がそれぞれ全く質の違うところが新鮮だ。白人の女性の肌に姫沙羅から赤い投射が見えるという一シーンが作者のロマンの泉を感じさせる。「ボットル落とし屋の六さん」は、話が定型的なのが難点だが温泉地に生を営む男のそれしか考えられない人生を描き、行間から醗酵してくるものがある。ただ、作者が温泉地独特の醗酵体に少し酔って、対象との距離を縮めたままの箇所があるのが惜しい。

佳作二篇のうち「東浦往還」は歴史小説として期待できるが、参考文献に挙げた「史実」に心が踊ってしまったのか、馬士たちの人間像が類型的でさらに一ノミも二ノミも彫り込んで欲しかった。また、鯛を生かす工夫を教えて貰いたい。「やまゆりの花に託して」もテーマの選定は万全だが、医学か文学についての筆の運びが観念的にすぎ、「人間・木下杢太郎」に届いていない。

第4回伊豆文学賞選評

杉本 苑子

今回の最優秀賞は『海の光』に決まった。とりたてて、うまい小説というほどではないが、文章に難がなく、なめらかに筋を運んでいる。父親や、娘の鮎子、その夫の川中、幼児期から少年に成長してゆく秀介など、登場人物のいずれもが、過不足なく、また不自然さもなく描き分けられてい、何よりは中心となって小説を動かしてゆく母親の心理の綾が、こまかく叮嚀に綴られている。このため、哀しく、しかしほの明るい後味を、読む側に与える佳品となった。

また優秀賞2編の内の『姫沙羅』は、こまかい欠点はあるものの、葛藤や和解など、夫と妻の心理の起伏が細い強靭な糸さながら全編をつらぬいて、渋滞なく読み通せた。結局、本物の仏師とはなりえず、一彫刻家として終わるであろう夫と、時に激しくそんな夫に反発しながらも、結局は愛しつづけるイギリス人妻との人生の一時期を描いて、爽やかな読後感を読む側に与えてくれている。

優秀作のもう一編『ボットル落とし屋の六さん』は、「筋を追うのに急」といった感じで、文体にふくらみやゆとりがない。しかしそのぶん、テキパキした展開に一種の弾みと気迫が見て取れる。登場人物の描き方も巧みだし、読後に、乾いた哀愁を感じた。ただし主人公は"六さんの娘"なのだから、題名に、もうひと工夫あって良いのではないか。

佳作の『やまゆりの花に託して』はいささか不器用だが、まじめな作品。ただし、木下杢太郎に限らず、一定の評価がすでに出来上ってしまっている人物に、筆者が自らを仮託して書くという手法は、その人物と同等の身丈が筆者自身に無ければ無理。杢太郎の内部に踏み込み、その心理になり切って書こうとしたために、かえって身丈の足りなさが露呈してしまったのは、惜しい。

佳作のもう一編『東浦往還』は、生き鯛の運搬という珍しい素材を扱いながら、よくまとまっている。一応、人足同士の喧嘩や土砂崩れ、鯛の弱りなど"事件"はあるものの、全体に牧歌調な、のんびりとした雰囲気のため嫌味なく仕上った。文章にもとりたてて難はないが、題名に「一考の余地あり」と感じた。

視点への意識

三木 卓

島永嘉子さん「海の光」を読みだしたとき、この作品が受賞作になりそうだ、という予感がした。それはやはり文章のよさが感じさせたものだと思う。切れがよく落ち着きがある。そして全作品を読み終わったとき、やはりこの作が一番優れていると思った。

物語は語り手である母親の視点から、きっちり語られている。その視点から、夫の予感も、娘の行動も、孫の成長も描かれている。しかもその母親は、自分を絶対に正しいものとは思っていず、愚かな母親であり祖母であると感じている。

物語それ自体は、あちこちの家族で体験しているようなもので、とくに人目をひくようなものではない。けれども、文学は人間の生活にどのような照明をあてることができるか、ということを基本としている。結末もさわやかで、わたしは作者の人生智ともいうべきものを感じ、感銘を覚えた。

前田健太郎さん「ボットル落とし屋の六さん」は、温泉町のボットル落としや射的のある店の家族の変転のものがたりである。正義派だが酒乱の六さんが世界の中心にいるが、主たる話はその娘さんの波乱と破綻の人生で、ここでも人間はだれも賢い生き方はできない。ボットル落とし屋の時代遅れの懐かしい雰囲気が、読む者を救済してくれるようなところがあり、その味わいが心に残った。

西原健次さん「姫沙羅」は、仏師志願の彫刻家がイギリス人のスポーツ医学を専門にしている女性と結婚して、伊豆で暮らしているという設定であるが、今回の応募作のなかで一番小説的プロットを意識している、と感じた。この女性が下田へいって、外人相手に飛び入りの観光ガイドをして稼いでいる、というようなところにもなかなかリアリティがある。もしかしたら実例があるのかもしれないと思わせた。しかし、この主人公を作者がどう見ているのか、どう方向づけをしようとしているのか、が必ずしも明瞭ではない。

漆畑稔さん「東浦往還」は、生きた鯛を山越えして江戸へ送るという話で、権力のばかばかしさが浮き出してくる。だが素材のおもしろさをもっと作家の目で生かしたかった。

夏崎涼さん「やまゆりの花に託して」は、人生を懊悩する木下杢太郎を描いていて真面目な作だが、濃い人物像をむすぶには至っていない。

大人びた最優秀作品

村松 友視

今回は、前回の最優秀作「軍曹とダイアナ」のような突出した作品がなかったが、それでも比較的スムーズに決まったのが、最優秀作の「海の光」だった。鮎子という奔放というか自己中心の人生をゆく娘への母親「私」の気持ちが、事あるごとにスカされてゆく感じが、現代によくある母娘の関係を映し出している。それだけでなく、この作品では鮎子の息子であり、「私」の孫である秀介が、最後で見事な役を演じている。その場面に救われる気分が、読み手側に生じてくる。これは、ちょっと趣のあるラスト・シーンで、孫と「私」の種類の違う成長が描かれていてなかなかのものだ。「私」が秀介の喉仏を見て、男としての成長に気づくシーンなど、あざやかなワザだった。前回に比して大人びた受賞作と言えるかもしれない。

次に四作が浮上し、「姫沙羅」、「ボットル落とし屋の六さん」が、わずかの差で優秀作に決まった。「姫沙羅」は、彫刻家と仏師のどちらの道にあるべきかの見きわめがつきかねている主人公と、上海で結ばれたアメリカ人の妻でスポーツ医学の道に進みはじめたシェラーとのあいだの、屈折した対立と愛情を描いた作品。この設定にはリアリティがあったが、主人公の悩みの解決が読者にはやや説得力を欠いていた。

「ボットル落とし屋の六さん」は、主人公の生き方に影をさす父親六助のイメージが生きていて、タイトルが浮き出る作品だ。文章がやや梗概的な感じで、小説の文章になりきれていないのが不満と言えば不満だった。

「東浦往還」は、活鯛を難所のある6里半も運ぶ……という着想が新鮮だったが、その着想を上回る小説的展開に乏しかった。人物が類型的で、運搬中に起る事故の設定もありきたりの感が否めなかった。

「やまゆりの花に託して」は、やはり木下杢太郎に爪がかからなかった。さまざまな有名人物を織り込んだが、そこから、"文学""詩"と"生活""人生"の溝を埋める札がみちびき出されなかったという印象だ。

選外となったが、随筆「伊豆の良寛」は、素直な筆致で好感が持てた。相原沐芳の功績をクローズアップしたのも意味があった。ただ、筆者にとっての良寛とは何か……がいま少し強く出ていたらという気がした。

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