第4回伊豆文学賞 優秀賞「ボットル落とし屋の六さん」

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ページID1044447  更新日 2023年1月11日

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優秀賞「ボットル落とし屋の六さん」

前田 健太郎

今さらあの家に帰ってどうなるというの?そう自問してみるが、答えは返ってこない。節子は軽く身支度をし、マンションの鍵を掛け商店街を小田急線の駅へと歩いている。
「大丈夫よ。あたしは身体を売ったりしないから」

沙織の声が遠く、だがやけにはっきりと聞こえた。

あの瞬間に、節子の中で何かが壊れたような気がする。
沙織は、娘は、去ってしまった。

実家には母の葬式以来帰っていない。もう一五年も前のことになる。帰らぬと決心した訳ではないが、足が向かないまま気づいたらそれだけの年月が経っていたのだ。次に帰るとしたら、きっと父の葬式……。漠然とそんなことを思っていた。
父がひとりで住む家は、伊豆長岡の鄙びた温泉街の中ほどにある。父の六助はそこでボットル落としと射的の店を営んでいる。店の創業は昭和一二年というから、もう六〇年以上になる。六助は二代目で、母あさの婿であった。初代の、節子にとっての祖父母も昭和二十年代のおわりに相次いで亡くなり、節子の兄啓二がやくざ同士の抗争によって死に、母が死んで、以来六助はひとりでその店を守っている。
ボットル落としというのは、木製で細長い立方体のボットルをつみ木状に積み上げ、ボールを投げて落とす遊びである。落としたボットルの数により点数が付き、客は景品をもらう。伊豆の温泉街が華やかだった頃は何件もあったのだが、今では修善寺とこの伊豆長岡に数件が残るだけであった。
小田急で小田原まで行き、小田原から新幹線で三島へ。三島からは伊豆箱根鉄道に乗り、伊豆長岡駅でおりる。節子のマンションから都合三時間とかからない。しかし節子と実家との距離は、これまでのいろいろないきさつから非常に遠かったのである。
駅前のロータリーから長岡温泉循環のバスに乗った。そのバスであれば、『ボットル落としの坂下屋』のすぐ近くのバス停まで連れて行ってくれることを節子は憶えていた。
バスにはおばあさんのふたり連れが乗っているだけだった。節子は窓の外を見るともなく、眺めていた。駅前からだらだら坂の商店街が続く。狩野川を渡って少し行くと古那の温泉街となる。変わらぬ店もあり、新しくなった店もあったが一五年前に比べて寂れているように感じた。
夕方というにはまだ少し間がある時間帯。早めに着いた客がひとりやふたり浴衣姿でうろうろしていてもよいはずだったが、誰もいなかった。射的などの遊技場の多くがシャッターを降ろしている。そしてそのなかのいくつかは、錆び付いてもう二度と開けられることのないようにも見えた。
やがて、バスは長岡の温泉街に着いた。

節子はバスを降りる。むっとする暑気が身体を包んだ。降りたのは節子ひとり。おばあさんたちは途中の大学病院前で下車していた。無人となったバスは次の停留所に向けて発車して行った。

大きなホテルや旅館が軒を連ねている。それらの建物の中からは活気ある喧噪が漏れている。だが、長岡の温泉街を貫く目抜き通りには、人通りはほとんどと言っていいほど、なかった。
いわゆる『抱え込み』で、泊まり客がホテルから出なくなったのはここ二十年来の傾向だった。年毎にそれは顕著になった。カラオケやスナックなど、元々外に行かなければ楽しめなかったものが、今はすべてホテルの中にある。客はチャーターされた専用バスで送迎され、宴会の後の二次会三次会から土産までホテルを一歩も出ることなく帰ってしまうことが多い。
ホテルに背を向けて今バスが走って来た泉街のはずれの方へ歩く。ほどなく古い瓦屋根の建屋が目に入ってくる。二階建てで、一階が店舗、ガラス戸で覆われていて中がよく見える。建屋は通りに突き出るような格好で建っていて、道はそこでやや細くなって右へ折れている。要するにその店は目抜き通りからよく目立つポジションにある。

看板には『ボットル落とし射的 坂下屋』と大書きしてある。よく磨かれたガラス戸の向こうにボットルが並んで積まれているのが見えた。その後ろの壁には野球の絵が描いてある。バットを持って構える人が何人か描かれている。それが例えば巨人の王や長島また川上ですらないところが、その尋常でない古さを物語っている。
もちろん客の姿はない。父もいなかった。無人である。ふと、節子はこのボットル落とし屋自体が奇妙な生き物であり、父とともにこの場所で静かに死を待っている……そんなふうに思えた。

節子は大きく息を吸う。目を閉じると、耳の奥でざわめきが聞こえた。うわん、と言う低いうなり声のような音。たくさんの群衆の声が入り混じった音。かつてこの通りにはそんな音が満ちていた。いろんな匂い。食べ物や、白粉の匂い。たくさんの芸者衆の嬌声。目眩がするほどの人いきれ。
節子はガラス戸に手を掛ける。それをゆっくりと引いた……。ちりちりん、と呼び鈴が鳴った。

「あらセッちゃんお帰り」

紅千代が振り向いた。くりっとした瞳が節子を見下ろした。肉付きのよい大柄な紅千代は、学級でもどちらかと言えば小柄な節子と話す時はやや前かがみになる。それがまた、子供扱いされているようで最近の節子には余計に不満であった。

紅千代は信玄袋から何やら取り出すと、節子の前に差し出した。
「こないだお客さんにもらったの。珍しいでしょ」
それは外国製のチョコレートだった。
近づくと紅千代の濃い化粧の匂いがした。何となく不潔な感じがして、素直に貰う気になれなかった。
「……チョコレート、いらんわ。太るし」

それまで愛想よく紅千代の連れて来た客の相手をしていた父の六助が表情を急に変え、きっと睨んだ。
「こら節子、失礼だろうが、紅千代さんに」別に怒鳴る訳ではないが、そうした時の父の声にはある種の凄みが感じられる。節子は紅千代の手からチョコレートを受け取った。小声で、ありがとうと言った。
「そうだわね、セッちゃんももう中学生だもの。チョコレート貰って喜ぶ歳じゃないわねえ」
紅千代はほほ笑んで節子を見つめる。節子は恥じらうように目を逸らした。
「セッちゃんもう中学生か……学校出たら何になるの、もう決めた?」

節子は最近自分の将来について考えていたことがあるのだが、もちろんそれを今言うつもりはない。
「女優さんかな、何たってセッちゃんの節子は原節子から貰ったんだものねえ」

節子は首を振った。笑い声、六助が大声で笑っている。
「ダメだそいつは、完全に名前負けしちまって。まあ節子は俺と違って学業優秀だからな、師範学校でも行って先生になるか。そうすりゃ万が一嫁に行けなくても生きていけらあな」
「酷いわ、それが父親の言う台詞?」

紅千代が拗ねたように六助を見る。それが節子にはふたりの親密の証しのように見えて、嫌な気がした。
「でもね……」

紅千代は節子に向き直った。節子の目を見つめた。
「セッちゃんにはね、何て言うか、こころの中にね、火のような激しさって言うか、そういう魅力があるのよ。あたしには分かるの」節子は紅千代を見返す。紅千代の瞳は節子を見ず、まるで節子の目を通してこころの奥底を覗き込まれているような気がした。

ポンという空気銃の音が、一瞬の静寂に響いた。
「落ちた落ちた」

浴衣の客がはしゃぐように言った。
「あらうまいじゃない」

紅千代が客の方へ戻って行く。それをしおに、節子は紅千代たちの背中を抜けてボットル落としと射的の間の細い通路に向かう。ちりちりんと音がして、芸者衆に連れられた新たな客が入ってきた。

外は夕闇が迫っている。温泉宿の提灯に火が入って、それがぼんやりと明るく見えた。芸者衆と射的屋は相互に扶助しあう関係にある。芸者衆が射的屋にお客を連れてくる。芸者衆に連れられた客はたいていは気前よく金を使った。射的屋は芸者衆に手当を包んだり、また客に芸者を紹介することもあった。
その中でも紅千代は坂下屋にとってよくお客を連れて来てくれる馴染みのひとりだった。

紅千代が馴染みになるのにはちょっとした事件があった。節子がまだ小学校に上がるかどうか、紅千代はこの長岡に流れ着いてまだ間もないころだった。紅千代が連れて来た客が悪ふざけに空気銃で彼女の肉付きのよい尻を撃ったのだ。コルクの弾だし別に痛くはないが、屈辱である。温泉場芸者は、そうしたこころ無い仕業を何より嫌う。紅千代のくりっとした瞳が怒りで潤むのを見た六助がとっさに機転を利かせた。お客の銃身をぐいと掴むと、
「お客さん、アンタが狙うのはこっちだろ」的の方に力づくで向けた。機転と言っても何ということもない。ほんとんど喧嘩を売ったも同然だった。
酔っていた客は怒りに顔を歪めた。
「何をする貴様、はなせこら、はなさんか」客は銃身を引こうとする。六助ははなさない。と、次の瞬間六助はぱっと手をはなした。酔客ははずみで床へどすんと尻餅をついた。一緒に来ていた酔客の連れが集まる。

何だどうした?こら射的屋、お客に対して無礼だろうが。

騒然となる。連れの客も全員が酔っていて制止しようとする者もいない。一方六助は悪びれる様子もなく、射的の台座の中から昂然と凄みを利かせた目付きで睨み下ろしているものだから、両者の険悪さは増すばかりである。とうとうしびれを切らしたように客のひとりが、
「ふざけんな射的屋!」
と叫ぶと持っていた空気銃を六助めがけて投げ付けた。六助はひょいと上体を軽く逸らしただけでそれを躱した。そしてそれが合図だったように六助は台座を飛び越え、客たちの中へ突っ込んで行った。
妻のあさが騒ぎを聞き付けて表へ飛び出した時、ちょうど水泳のスタートのように六助の小柄な身体が客の中へ向かって飛び上がったのを見たと、後で節子に笑いながら話してくれた。
六助は最初に紅千代の尻を撃った客の胸倉を掴むと足でガラス戸を開け、通りに放り投げた。
「長岡の芸者し(衆)はな、身体張って商売してんだ。射的の的にされてたまるかってんだ。てめいらのような奴ぁ客じゃねえ。とっととけえっんな」
六助は東京は神田の生まれであった。その歯切れのいい江戸弁の啖呵は、長岡の人間には粋で勇ましく聞こえた。もっとも喧嘩はそれでおしまいではなく、六助は五、六人相手に大立ち回りを演じた揚げ句、警察沙汰となった。六助は三日三晩警察署に留置されたが、『ボットル落とし屋の六さん』は長岡の芸者衆の間では知らぬ者のない英雄となった。もし六助があの客に喧嘩を売らず、紅千代が客に食ってかかるようなことがあれば客は置屋に文句を言い、置屋は紅千代を干すだけだった。

その結果のひとつとして、紅千代と六助がいい仲となるのも当然と言えば当然だったのかも知れない。ただ妻のあさと物ごころがつき始めた娘の節子にとって紅千代の存在は、やはり面白くないものであった。
狭い通路を抜けると家族が暮らす居間になっている。兄の啓二が野球を見ていた。巨人戦で、ちょうど長嶋が打席につくところだった。たのむぞ長嶋、と啓二が言った。母が夕飯のおかずをちゃぶ台の上に並べていた。節子は二階に駆け上がって子供部屋に鞄を置いた。チョコレートをゴミ箱に捨てようとしたが、やめた。啓二が気づいて食べそうだったからだ。トントンと階段を下りる。下りたすぐ先が御手洗いになっている。節子は御手洗いに入る。ちょっと躊躇らってから、思い切ったようにカラフルなチョコレートを金かくしの中へほうり込んだ。ぽちゃん、と小気味よい音がした。
「まあ、どのみち行き着くところはおんなし(同じ)だら」

そう思うとおかしくて、ちょっと笑った。居間に戻る。母を手伝って茶碗や箸を並べた。すぐ夕食が始まった。父はいない。店があるからだ。この家では両親が夕食に揃うことは滅多にない。母子だけの慌ただしい夕食が終わると、母は店に出る。父は居間で長い晩酌をするか、近ごろはそれが毎日の日課のように外へ飲みに出掛けた。いったん出て行くと帰宅は深夜を過ぎ、明け方になることも珍しくない。深酒をする方で、酒乱であった。だれかれ構わず喧嘩を吹っかけたり、店の物を壊したりした。その度にあさは頭を下げて回ったものだった。

また、酔ってはあさを殴りつけるのも日常茶飯事だった。母子がどんなに楽しい雰囲気でいても、ひとたび六助が酒臭い息を吐きながら据わった凶暴としか言いようない目付きで乱入すると、途端に奈落の底へ突き落とされる。ちゃぶ台はひっくりかえり、あさには殴る蹴るが始まる。理由はあってなきようなもので、いわく目付きが悪い、今朝のお茶がぬるかったなどであった。節子は気丈で、母に覆いかぶさったり、隣家のお父さんを呼びに行ったりしていた。一方兄の啓二はいつもそうなるとめそめそ泣いていたが、中学に上がったころから母を庇って父の前に立ちはだかるようになった。その都度父に張り倒されて終わっていたのだが、ある時はどうしても引き下がらない。父に横っ面を張られても、堪えている。このままでは六助に兄は殺されると思ったのか、逆に母がふたりの間に割って入ったくらいだった。
母のあさは何回も怪我を負わされ、町立病院に入院したことも一度や二度ではなかった。

それで『ボットル落とし屋の六さん』は、実は『ろくでなしのロク』とも言われていたのだった。
がとりあえず、六助は酒を飲む金に不自由はしていなかった。戦争の傷も癒え、世は高度成長の時代を迎えていた。温泉街も好景気に沸き、坂下屋もその充分すぎるおこぼれに与かっていた。節子が小学三年生の時東京五輪があり、新らし物好きの六助はカラーテレビを買った。その時分カラーテレビが家にあったのは学級の中でも老舗旅館の飯島純一の家ぐらいであったから、ボットル落とし屋の羽振りもなかなかのものだったのだ。
ろくでなしのロクと陰で言いながらも、長岡の人たちは六助の度胸と気っ風を愛していたし、また頼りにもしていた。好景気の温泉街はその土地を仕切るヤクザにとってもおいしいシマだった。長年その一帯を仕切ってきた笹原組に関東から進出してきた別の組が挑んできた。彼らはまずママがひとりで営業しているような小さなバーに協賛金、つまりみかじめ料を要求した。払えないと言うと今度は数人で押しかけ、それぞれ一本のビールで開店から閉店まで粘らせる。柄が悪いから当然客はドアを開けた瞬間に異常を察知して出て行く。これを何日もやられたら、小さな店は堪らない。酒屋の掛けも払えなくなる。

ある時、六助の懇意にしているママが経営しているバーがこの手でやられた。笹原組の若頭に電話をしたが不在だと言う。ママはタバコを買いに出る振りをして六助に知らせに走ったのだ。六助は突っかけのままその店に乗り込んだ。
「堅気し(衆)に遠慮して往来も真ん中は歩かねぇのがヤクザもんの心得ってぇもんだろが。そんな風に店の真ん中にどんと座ってちゃあ堅気が座る場所がねえ。どかねえかい、この三下め」

と、例によって威勢のいい啖呵を切った。六助は相手によって怯んだりしない。
「俺はおめえ、フィリピンのミンドロ島でよ、アメリカさんとも素手で殴り合ったことがあるんだよ。そいつを思えば酔っ払いやヤクザもんなんてものの数じゃねえよ」
と、六助は機嫌のよい時に節子にこう言ったことがあった。六助は南方戦線で九死に一生を得たのだが、それについて節子が聞いたのはこれだけだった。
「何なんだ貴様は?」

相手の中で一番年かさらしいヤクザ者が訊いた。
「ボットル落とし屋だよ」
「えっ?」
関東の温泉地には射的はあってもボットル落としはなかったのでピンと来なかったらしい。
「なに屋だって?」

と、聞き返した。六助はそれに答えず、その男の足を払った。不意を襲われた男は、それこそボットルのように崩れ落ちた。あとは例によって大立ち回りであった。ただ、今回駆けつけたのは警察ではなく、笹原組の若頭だった。若頭はあっという間に男たちを叩き出した。と、言うより男たちは若頭の顔を見知っている様子で、鍾馗に睨まれた鬼のように逃げていった。
若頭は山岡と名乗った。

山岡はママに遅れたことを詫び、六助の大立ち回りで割れた酒やグラスの代金として過分の金をカウンターに置いた。
「ボットル落とし屋の六助さんですね。お噂は伺っています。この度はお世話をおかけしました」

と低い声で言い、丁寧に頭を下げた。六助は山岡の礼儀正しいのに少なからず驚いた。毎月集金に来る笹原組の若い衆がヤクザにしては割合礼儀が行き届いているのも上にこのお人がいるからだ、と思った。
ふたりはその店で飲むことにした。近づきのしるしに、と六助が誘ったのだ。飲むうち六助は、山岡が同じミンドロ島で戦った経験があることを知った。また階級も同じ軍曹だった。ふたりは戦友とも言えないことはない。それから六助は山岡と近しく付き合うようになった。節子も店で山岡の姿をよく見かけた。真夏でも黒っぽいスーツに身を固めている、気味の悪いくらい礼儀正しい山岡はとても印象的だった。ただ山岡は店でボットルや射的で遊んでも、決して母屋へ上がろうとはしなかった。いつか酔った六助がしつこく誘ったが、
「ヤクザ者は堅気の家に上がってはならないんです。わたしはずっとそれを守ってきた。勘弁して下さい」

と、固辞していたことを節子はよく覚えていた。
ふたりの付き合いもそうして十年ばかり続いたが、ある事件をきっかけにして絶縁してしまった。

それは兄の啓二のことだった。
啓二の名は、映画好きの六助が人気俳優の佐田啓二からその名を頂戴したのだった。長岡に昭和四十年代まであった映画館の常連だった六助は、子供の名前を男なら啓二、女なら節子と決めていた。一男一女が誕生したのでその両方の名を持つ子供に恵まれた事になる。節子は父の言うように名前負けで、器量の方は十人並でそれ以上ということはない。が、兄の啓二は鼻筋の通ったきりっとしたいい男に成長した。啓二は学業の成績もよく、韮山の県立高校へ進学した。両親はてっきり大学まで進んで一流企業か役所へ就職してくれるものと思っていたのだが、高校を卒業するとすぐ啓二はあろうことか笹原組に入ってしまった。

その朝のことを節子は鮮明に覚えている。置き手紙を残して啓二が去った後、山岡が店に現れた。山岡の姿を見るなり六助は今にも掴みか掛からんとする見幕で食ってかかった。「そりゃあ俺はろくでなしの六助だ。だがな、ヤクザもんじゃねえ。てめえは俺の大事な息子をヤクザもんにしやがった」

山岡は例の低い声で、わたしも止めたんだが……啓二君の意志が堅くて、実はもう笹原の親分に盃をもらってしまった……盃をもらっちまった以上この世界ではもうどう仕様も……そんな内容のことを静かに話した。山岡は終始俯いて、まともに六助の顔が見られないようだった。

すると六助ははっしと店の土間に蹲った。土下座をしているのだ。
「たのむ、山岡さんよ。息子をけえしてくんな。この通りだ」
六助はお客以外に下げたことのないだけが自慢の頭を、土間にこすり付けた。山岡は俯いたまま、こう言った。
「……啓二君はこの山岡が命を懸けて守る。約束する」

山岡は立ち去ろうと踵を返した。それを見た六助がまるで巨大なカエルのように跳びついて、山岡の足に縋った。山岡は必死に逃れようとするが、六助は離さない。そのまま六助はずるずると引きずられ、通りの半ばまで出てしまった。
「山岡よ、息子をけえしてくれ、後生だ」

念仏のように六助はそればかり繰り返した。山岡はもう堪え切れぬと言うように、反対の脚を持ち上げてしたたかに六助を蹴り降ろした。いったん離れた六助はまた這い寄ってくる。そこを山岡は今度は蹴り上げた。六助は大の字に倒れた。あさと節子が駆け寄った。「山岡さん」

節子は山岡の背中に投げ付けるように言った。山岡はくるりと振り向いた。その目は、節子が知っている山岡のそれではなく、冷たく凄みの利いたヤクザ者の目だった。しかし節子が負けずに睨みかえすと、山岡は逃れるように目線を外し、背中を向けて歩き始めた。あさが六助を起こした。あさに縋り付くようにして六助は往来の人目も憚らず、大声で泣き出した。
啓二がなぜヤクザになったのか?節子は今だにその理由が分からない。ただ、そのことを考える時必ず思い出すのが、酒乱の父に横っ面を張られても張られても向かって行く兄の、目だった。憎悪に燃えると言うのでもなく、何かこころの深いところで重大な決意をした人のような、目。
父六助へのそれが兄の復讐なのではないか。節子はそう考えたこともある。が、そうだとすれば、啓二は自分の人生を随分と粗末にしたことになる。
六助はそれからしばらく腑抜けたようになり、往来での大泣きの一件が恥ずかしいのか外へ飲みにも行かず、家に籠もって酒ばかり飲んでいた。学校から帰ると居間で六助が据わったような、家族の団欒をこれまで何度となく無茶苦茶にしてきたあの目付きで睨みつけた。母への暴力も減りはしなかった。節子は母をこれまでずっと可哀想な人と思って来たが、この頃は少し違うように見ていた。母はこれでよいと思っているのではないか、と節子は思いはじめた。六助には家の奥でデンと君臨してさえいれば、多少の暴力は自分が辛抱すればよいと。それどころか、これまでほとんど自宅で夕食をとることのなかった六助のために毎食の支度をするのが楽しいのか、心なしか浮き立っているようにも見えたのだ。節子は女という生き物の不思議を思った。
そしてそう思うと、この家、そして両親に対する未練も捨てられるような気がした。

節子は中学生になった時分から密かに決めていたことがあった。それは将来は小説家になることであった。三島の私立女子校に進んだ節子は文芸部に所属した。だが所詮お嬢様芸の域を出ていないことに落胆する。と同時に、やはり外へ目を向けなければだめだとも思う。こんな片田舎にいては、だめだと。
節子は高校三年の夏、駆け落ちをした。
相手は幼なじみの飯島純一だった。作家三島由紀夫の自衛隊での割腹事件の影響もあったのかも知れない。行動の美学、とでも言うものを節子は意識していた。
故郷を去るにあたって、最高に衝撃的かつ美しいのは即ち『駆け落ち』である。その相手は長岡で屈指の老舗旅館の跡取り息子、ちょっと頼りがいがないが割合とハンサムで通っていた。
夏休みの最後の日。明け方にふたりは町立病院の前で落ち合った。そして手に手を取って故郷を後にしたのだ。まず新宿に向かった。新宿こそが前衛的な若者文化の発信地、であると節子は思っていた。
まずパチンコ屋に夫婦と偽って住み込むことにした。そしてその内余裕ができてきたらゴールデン街に行って作家や作家志望の若者たちと交わろうと思っていた。だが現実はそんなに簡単ではなかった。まず飯島純一が一週間で長岡に逃げ帰った。そうするとひとりになってしまい、パチンコ屋の店長や他の従業員から当然狙われることになる。節子は自分が擦れた言い方で『男好きする』タイプであることに気づいた。特に美人ではないが、何となしに男を引き寄せてしまう。

いつか紅千代の言ったことを思い出した。「セッちゃんはね、こころの中にね、火のような激しさって言うか、そういう魅力があるのよ」
運命の皮肉と言うことを思ったがどう仕様もない。ただこうなると父親譲りなのか、妙に度胸が座る。

なるようになるさ、と思った。駆け落ちまでした以上はもう長岡には死んでも戻れない、その思いばかりが強くあった。
パチンコ屋にも居づらくなった。さりとて住所不定の保証人もなしではまともな就職など望むべくもない。節子は思い切って水商売に飛び込んだ。しかし新宿は田舎出の小娘がひとりで生き抜いて行けるほど甘い場所ではなかった。
その男は佐々木と名乗った。客で節子の居る店へ来た。三十代の前半ぐらいで精悍な顔付きをしている。気の利いた会話が出来、文学の素養もあったので節子とは話が合った。店が終わった後で食事をするようになり、やがて節子は佐々木のマンションに泊まるようになった。佐々木は、節子がこれまで味わったことのない女としての歓びを教えた。そして佐々木と出会って三カ月ほど経ち、何度目かの逢瀬で節子は佐々木がヤクザ者であることを知った。これまで真っ暗な部屋でしか抱き合わなかったので気づかなかったが、佐々木の上半身は刺青でびっしりと埋まっていたのだ。

節子は気の遠くなるほど驚いた。

だがこの時節子は離れられなくなっていた。佐々木は節子にもうひとつ教えたものがあった。ヒロポンだった。当時常習者が非常に多く社会問題となっていた覚醒剤の一種である。「アメリカでは音楽家や芸術家や、そう作家もね、みんなマリファナやLSDを使ってインスピレーションを得て、創作活動をしてるんだってさ。LSDに比べればこんなの全然たいしたことないよ。止めようと思えば何時だってやめられるし」

節子は佐々木に勧められるまま、興味本位で試してしまったのだ。しかしいったん依存してしまった覚醒剤を簡単に止められるはずもなかった。ヒロポンが切れると激しい禁断症状に襲われ、幻覚を見た。

正体がバレると佐々木は態度を一変させた。ヒロポンと暴力で節子を支配した。やがて佐々木はヒロポンの代金を節子から徴収するようになった。その後は実に簡単だった。ヒロポンの代金を稼ぐために、節子は佐々木の組の息が掛かったトルコ風呂で働くようになったのである。
家出からここまで約半年。本当ならもうじき迎える卒業式を楽しみに、友と別れる、社会に出る、不安と期待に胸を膨らませているそんな時期。節子はまるでベルトコンベアーにでも乗せられたように、あっと言う間に転落してしまった。
佐々木は、そういう役割なのか節子がトルコ風呂に定着するのを見届けるともう現れなくなった。節子は代わりに売人を紹介され、その男からヒロポンを買った。
節子はそれから一年かけてヒロポンから逃れた。そしてもう一年で借金を返した。身に覚えのないも同然の借金だったが、借用書に印を押している以上仕方がなかった。節子は二十歳になった。長岡にいればみんなと一緒に振り袖を着て、町民会館で成人式の記念式典にでも出ているのだろう。上京して二年。何か二十年も経ったような気がした。
節子は佐々木の魔の手からは逃れることができたが、トルコ風呂から出ては行かなかった。新しい人生を切り拓こうという勇気が沸いて来なかった。また知らない環境へ飛び込んで、騙されるのが恐ろしかった。

馴染み客に石堂という中年の男がいた。一度離婚しているという石堂は、優しく誠実に見えた。中学校の教諭をしていると言う。いつしか節子は石堂に思いを寄せるようになる。しかし自らの境遇を思えば、まともな結婚生活など望むべくもない、そう考えていた矢先、節子は石堂に求婚されたのだった。
石堂の求婚を受けるか否かを悩んでいる時分、節子は兄の啓二と新宿で出会った。啓二は節子を訪ねて来たのだった。節子は一応あさにだけは自分のアパートの電話番号を伝えてあった。
兄とはもう七年ぶりの再開だった。

啓二は寿司を御馳走してくれた。寡黙で控え目だが、どこかに凄みのある印象は山岡によく似ていると思った。その山岡が死んだ、と啓二が言った。啓二は最後に節子に小遣いだと言って一万円札を何枚か寄越した。
「もうおまえは長岡に帰れ。帰って一からやり直せ。まだ若いんだできるだろう」

と、言った。節子は曖昧に頷いただけだった。それが啓二との永遠の別れとなった。

山岡は例の笹原組と対立するヤクザ同士の抗争の中で短銃で撃たれて死んだ。啓二はその仇を取るべく、単身で相手の組長に襲いかかったが、あえなく返り討ちに会ってしまったのだ。
啓二の葬式で、節子は五年振りに長岡へ戻った。父の六助は、随分と老いた気がした。

節子は石堂の求めを受け入れようと思った。翌年、節子は石堂と結婚した。新婚生活は平凡だったが、充分に幸せだった。久しぶりに訪れた穏やかな時間、がそれも長くは続かなかった。
石堂は酒乱だった。
それを知ったのは結婚して二年目だった。恐らく今まで堪えていたものが爆発したのだろう。殴る蹴るは凄まじいものがあった。六助よりも、比べものにならなないくらい長い時間、しかも陰湿に石堂は節子を攻め抜いた。だが六助と違うのは素面に戻った時、石堂は泣いて詫びるのだった。

節子はその時最初に妊娠した子供を流産してしまった。
それでも泣いて詫びる石堂の姿を見ていると、この人はきっと病気なのだ、あんなに苦しんでいると思い、哀れになった。そして石堂を許した。だが、これが何度も繰り返された。もう限界、もう別れよう、その都度思うのだが、素面になって泣いている姿を見るとどうしようもなくなるのだ。
そうこうしているうちにまた妊娠して、今度は無事に出産することができた。子供は女の子だった。沙織と名付けられた。

沙織が三歳の時に、母あさが死んだ。別に六助に責め殺された訳ではなく、脳卒中だった。実はあさは再婚で、六助より三歳年かさだった。六五歳だった。寿命と言えばいえなくもない。

節子は沙織を連れて長岡に帰った。石堂は来なかった。この頃夫婦は完全に冷えきっていた。六助はこの時六二歳、齢よりも老けて小さく見えた。孫の沙織を目を細めて見つめていた。その姿にはもう大勢の酔客やヤクザ者を相手に大立ち回りを演じた男の面影はほとんどなかった。そこにいるのは、ただ無力で人の良い老爺であった。
それから石堂と別れるまで三年が必要だった。その間、節子は救急車で三度運ばれ、二度の骨折をした。あれほどに酒乱の父を憎み、言いなりになる母を半ば蔑んだ自分が、こんなにも酒乱の夫で辛酸を嘗めることになろうとは……運命の皮肉に節子は唇を噛み締めた。しかし石堂の手を離れて新しい生活をしかも幼子を抱えて自分の手で切り拓くことは、ほとんど不可能に思えた。また、素面の時には自らの酒乱ゆえの所業を悔いている姿を見ているとつい自分さえ我慢すればいいのだ、と思ってしまう。
だがある時、自分さえと言っていられない事態が起こった。殴ろうとする石堂の前に沙織が立ち塞がった。どけっと言ったが沙織はどかない。一瞬の躊躇いの後、石堂の手が沙織の頬を強く張った。沙織は軽く吹っ飛んだ。悲鳴を上げて節子は沙織ににじり寄った。沙織は朦朧としているようだが意識はあった。節子は咄嗟に背中に沙織をかばい、石堂と対峙した。この時ばかりは何があっても、たとえ刺し違えても沙織を守り抜く覚悟だった。節子の目に石堂は臆したらしく、高く上げた手を下ろした。そしてこう言った。
「この売女め、どうせその娘も俺の子じゃあるまい。貴様はトルコ風呂で何人の男に抱かれたんだ」
「あなた、何てことを沙織の前で」
「うるせえ、聞かしてやればいいじゃないか。何人だよ。五百人か、千人か。もっとか。この薄汚い商売女が。出て行け。貴様の顔など金輪際見たくないわ」
節子はその夜、沙織を連れて家を出た。そのキリスト教会が運営する、夫の暴力を逃れた妻がとりあえず何日か暮らすことができると言う施設を、節子はテレビで見て知っていた。母子はそこで一週間あまり過ごした。そしてほとんど居抜きの女子寮付き求人を見つけ、節子はそこへ移った。仕事はパチンコ屋のホール係だった。結局、振り出しへ戻ったのだ。節子は昼間はパチンコ屋で働き、夜は通信教育で商業簿記の勉強をした。やがて商業簿記二級の試験に合格し、節子はそのパチンコチェーンを所有する企業の経理として正職員に採用された。離婚も正式に成立し、沙織の親権も獲得できた。石堂から養育費も取れることになり、節子の再出発は順調な滑りだしを見せたかに思えた。

節子には不安があった。

あのことを、あの石堂の台詞を沙織は聞いたのだろうか?

沙織は五歳。あの言葉を記憶していて、後で思い出してその意味を知ることがあるのだろうか?
節子の仕事は順調だった。経理を任せられたのは最初は一店舗だったが、二店舗三店舗とだんだんと増えた。部下もでき上司に信頼もされ、給料も上がった。
就職して六年目に小田急線の沿線に中古のマンションを買った。バブルの崩壊から何年か過ぎ、高かったマンションが値崩れを起こしかけていた頃だった。三LDKの八〇平方米超と母子ふたりには広すぎる間取りだったが、いずれ沙織が結婚でもしたらここで三人で、もしくは孫ができれば……と言う思いもあった。
節子は沙織には厳しい母親だった。
門限もきちんと守らせたし、服装や髪の毛の色にもうるさかった。沙織は中高一貫の私立女子校へ入学させた。名門と言うほどでもないが、今の節子の年収では精一杯の背伸びだった。沙織にはきちんとした結婚をしてほしい、自分のような人生は歩んでほしくない、その一心だった。

だがその思いは娘には伝わらず、いや伝わっていればこそ逆に娘にとっては煩わしいものだったのかも知れない。特に沙織が思春期を迎えてから、母子の対立はより激しさを増した。ことに節子から見ると沙織の男性関係はルーズすぎるように思えてならなかった。ひとりの男の子とじっくり付き合うという感じではなく、いろんな相手をとっかえひっかえしているように見えた。それでもよく気を付けていると、中にどうやら本命らしい男がいるのに気づいた。その男が沙織を迎えに来たところを、たまたまマンションのキッチンの窓から見ることができた。
節子は一目で幻滅を感じた。むかし六助がぶちのめしたヤクザの三下をもっと軽薄に弱々しくしたように見えた。もしあんな男が沙織の齢の節子に言い寄ったら、六助は片手だけで五、六メートルはふっ飛ばしたに違いない。
「この大ばか野郎め!おととい来やがれ」
節子はこの時ほど父親がいないことを悔やんだことはなかった。そのイメージは石堂ではなく、なぜか六助であった。
高校の卒業が近づいた頃、沙織が改まった様子でこう言った。
「あたし結婚することにしたからさ。反対しても無駄だからね、だから……何て言うか、ママともさあ、変な風になっちゃって、そのままバイバイって言うのもよくないと思う訳よ。だから……」
「相手は誰なの?」

節子は訊いた。沙織の恐ろしく語彙の乏しい台詞から想像するに、相手は恐らく以前キッチンの窓から見たあの男のようだった。
今後の人生設計についても、
「とりあえず彼のとこで一緒に暮らしてぇ……」

と言っているところを見ると、何の仕事に就いているか知らないが彼は独りで生活しているらしい。
節子はそんな思いつきの結婚を認める訳にはいかなかった。しかし頭ごなしにダメだと言っても反発するだけだろうから、
「とりあえず短大に行って、それからでも遅くないんじゃない?その後で、お互いの気持ちが変わらなければ、結婚したらどう」
と、言ってみた。
沙織は、今が大事なの、だって若い時ってそう長くないから、そんな意味のことを言った。『若い時は長くない……』今の若い子たちはどうしてこう生き急ぐようなこと言うのだろうか、と節子は思った。振り返って自分はどうだったろう、と考えている時、沙織はあの台詞を言ったのだ。
「大丈夫よ。あたしは身体を売ったりしないから」
咄嗟に節子は沙織の横っ面を平手で思いきり張っていた。節子が沙織に手を上げたのは、これが初めてだった。
沙織は驚いて、しばらく泣きもせず大きく目を見開いて節子を見ていた。節子は振り下ろした手のやり場に困って、うろたえていた。沙織は走って自分の部屋へ向かった。バタンと戸が閉まる音が響いた。節子はしばらくぼんやりとその場に立ち尽くしていた。
「あの子は知っていたんだ。知ってて知らん振りをしていたんだ」

そう思った。
沙織は翌日、家を出て行った。
「じゃ、行くから」

まるで海水浴にでも行くように、そう言った。節子はその後ろ姿をぼんやりと見つめていた。沙織がいなくなった後も、玄関を、扉を、じっと見ていた。

節子はガラス戸を開ける。ちりちりん、と呼び鈴が鳴った。節子は誰もいない土間に足を踏み入れた。懐かしい、土壁のちょっと埃っぽい匂いがした。

射的もボットル落としも、昔のままだった。ガラスケースに収まった、大きな景品、点数を溜めて取る人形も縫いぐるみも陽に褪せて、変色していた。もう十年もその中にじっと鎮座しているようだった。もしかするとそれ以上……。
この家で暮らした父と母と兄とそして私、誰ひとりとして思い通りの人生を生きられなかった。兄はヤクザになって早死にし、母は父の暴力に耐えるだけの人生を終え、父はここで、まるで棺桶のようなこの家で死を待っている。わたしと言えば、身体を汚し、あんなに嫌だった酒乱の夫に苦しめられ、やっと手にいれた幸せの中で、自分の身を削るようにして懸命に育てたつもりの娘に……捨てられてしまった。
節子はボールを手にした。
子供のころは「商売道具を子供が触ってはいかん」と滅多なことでは触らせて貰えなかったボールである。
振りかぶって、投げた。ボットルは下から四本三本二本一本の順で積まれている。ボールは真ん中の三本に当たった。最下列の四本の内、二本を残しただけで一発であらかた倒してしまった。カラカラカランと、ボットルが倒れる乾いた音が響いた。
「誰?」

奥から嗄れた声がする。

節子はもう一球、振りかぶって……投げた。何と残りの二本に当たって、しかもボットルは台座からきれいに落ちた。ボットルは倒れただけではだめなのだ。台座からきれいに落ちないと得点にはならない。
たったこれだけのことだったが、節子はほんの少し気分が晴れたような気がした。
「誰よ?」
声が大きくなった。
考えてみれば、人生は思いどおりに行かないものなのかも知れない。
「そりゃそうよ。何でも思い通りに行く人生なんておめえ、人生じゃねぇやね」

ボットル落とし屋の六さんだったら、そう言うかも知れない。節子はそんなことを考えて、ちょっと可笑しくなった。
「まったくしょうがねえな、誰だい今時分から」
足音がした。六助が居間から店へ繋がる狭い通路を歩いている。
「あたしよ」

節子は妙に明るい声でそう言うと、またひとつボールを握った。
(了)

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