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更新日:令和3年11月10日

健やかに生きる権利と良心

評論家・人権語り部 金 兩基

いま、ペコちゃんでお馴染みの不二家が企業倫理を糾弾されてその屋台骨が揺れ動いている。期限切れの原料を使った生菓子やケーキを製造・販売し、健康を害する危険性をはらんだ商行為が批難を浴びながらも、被害者は出ていないと釈明していた。このニュースを聞いたとき、健康を害した人が出ていないというのでほっとしたが、不二家の企業倫理は人権を侵しかねないとわたしは口走っていた。不二家の商品を食べて健康を害すれば、それは人権を侵すことになるからである。

そのつぶやきを聞いた人が怪訝(けげん)な表情で、なぜそれが人権を侵すことになるのだ、それでは何でも人権問題になるではないかと言った。不二家の商品を食べて健康を害すれば、健やかに生きようとしている人の権利を侵すことになり、健やかに生きようとする権利、それが人権だとわたしは考えているからである。人権は”humanrights(人間の権利)”、つまり人間が生まれたときから与えられている生きる権利のことであるが、それをわたしは”健やかに生きる権利”と言い換えただけのことである。時代はその方向に向かっている。

いじめ問題が大きな話題になった1980年代の半ば頃、いじめを子どもが大人になるための通過儀礼のようにみなす声が目立った。そのときわたしはいじめは人権侵害だと反論したが、それは健やかに生きようとする権利をいじめという手段で侵しているからであった。それについては拙著『ふだん着の人権論』(明石書店)に譲るが、不二家の問題もそれに通じる。当初、不二家は健康を害した人はいないと言ったが、数年前に不二家の商品を食べて健康を害する事件があったことが明るみに出た。

子どもたちから不二家の商品が姿を消した理由を聞かれたとき、腐敗した企業倫理と購買者の健康を害した経緯を大人たちはどう話すのであろうか。嘘はつけないから事実を話し、それを聞いた子どもたちから「大人は信用できない」と言われたらどう応えるであろうか。期待を裏切って「ごめんなさい」と謝って済むほどの軽い過ちではない。人間には悪い人もいるが良い人の方が多いのだ、といえば弁解になり、説得力が乏しい。さりとて名答も思い浮かばない。

ことの善悪を判断する良心を活性化し悪なる心を退ける道がある。その良心が死語化しつつある現状に強い関心を払うことから始めるしかない。