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更新日:令和3年11月10日

「いのち」について

静岡県民共済福祉事業本部理事・事業部長 小栗 栄子

「いのち」について考えてみたいと思います。

私は今年で60歳になりますが、「いのち」について真剣に苦しみ模索した時期がありました。私の夫が中学生、高校生の子どもたちを残して、くも膜下出血により働きざかりの44歳で急死した後の3~4年間でした。もう15年ぐらい前のことです。これからの人生にたくさんの計画をたてて実行に移そうとしている時でした。一方で福祉の仕事に携わっていた私が目にするのは、在宅介護の家庭の現場で90歳を過ぎて寝たきりになり、目も見えず体も拘縮して褥(じょく)瘡(そう)ができ、「いたいよー。はやく死にたいよー」とつぶやいている高齢者でした。家族も疲れきり「痛くてかわいそうでね。もう十分生きたのだから・・・」と。人の生死の矛盾。「何故なの?」その答えを求めて高僧の講話を聴きに行ったり、座禅を組んだり、教会へ行ったり、聖書を読んだりインド哲学などにも首を突っ込んだりしていました。

しかし自分が納得できることはありませんでした。わかったことは「わからない」ということでした。勿論、科学や理屈では日常納得していても、強烈に「死=いのち」と向き合う体験でした。「わからない」と心の底から感じた時に、私は吹っ切れました。そして二度と永遠に誕生することのない「その人」のいのち、ひとつのいのちというものがどんなにかけがえのないものかを感じました。さらに地球上には動植物をはじめ、あらゆるいのちが満ち溢れていることに改めて気づき、草も木も虫もいとおしくなりました。

いのちは、一刻、1日の積み重ねです。最近特別養護老人ホームを建設しました。70通の御入居通知を差し上げてからすでに3人の方が亡くなられました。「入居を心待ちにしていたのに」と御家族。先日は、親一人子一人で育てた職場の部下の息子さんが、まだ28歳の若さで交通事故によって亡くなられました。また、結婚以来同居して働く同僚を支えてくれたお母様が、御自分の心身が弱まった時、ふっと自らいのちを絶たれました。その心を測りがたく同僚は苦しんでいます。ひとつのいのちは多くの方々との絆で結ばれています。

それなのに、親が子の、子が親のいのちを奪うニュースが後を絶ちません。いつから私たちはこんなにいのちを軽んずる人間になってしまったのでしょうか?