あなたの「富士山物語」(嬉しかったら富士を見よ悲しかったら富士を見よ/下村王子)

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ページID1019363  更新日 2023年1月13日

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嬉しかったら富士を見よ悲しかったら富士を見よ/下村王子

私は県内でもとびきりの富士山を眺められる三保の松原の近くに住んで五十年になる。

私の心に刻まれた富士山は、色々な顔を持っている。高校の時に初登山した事。その時山頂で見た天の川のすばらしさや、愛犬と散歩し思い出の写真を撮った事。そして私が小学生の頃、担任が「毎日、三保街道の正面に見える富士山を見て通勤し、先生も今日一日頑張ろうと思う。この学校に通えて幸せだ。」と言っていた事を思い出す。当時の私には、それほど富士山が眺められる事が凄いものだとは思っていなかったが、四十年の時を経て、この言葉の意味をこんなにも考える事になろうとは思ってもみなかった。なぜなら、それは私と息子との絆を考えさせ、共に富士山を見て毎日祈った日々を思い出させてくれるキーワードこそが富士山なのだ。

「嬉しかったら富士を見よ 悲しかったら富士を見よ」この言葉は私にとって、富士山を語るのに胸キュンとする言葉だ。

息子が平成十四年に、陸上自衛隊の高校に十五歳で入校した。親元を離れ慣れない生活を始めた頃に、親代わりの自衛官が生徒達を集めて、相模湾越しに見える富士を指差したそうだ。遠方より来た生徒は、初めて見る富士山に感動したり、日々の訓練の厳しさも加わり涙したとの事。国防の一担を担う夢を持ち入校したものの、そこは十五歳の少年。ふるさとの親兄弟や友を思い出し涙したり、あるいは、富士から勇気をもらった事もあっただろう。まさに「嬉しかったら富士を見よ 悲しかったら富士を見よ」なのだ。代々、この学校に脈々と受け継がれているのだ。しかし息子は、「同期はそれを見て泣くんだ。でも自分は相模湾越しの富士山は、富士山じゃない。自分はいつももっとすごい富士山を見ていたんだ。自分はその小さな富士山を見るたびに、余計に辛くなるんだ。」と言った。私は、そんな思いで富士山を見なければならない息子の心の葛藤を知った。慣れない厳しい環境の中で心が折れそうになっていたのだと思うと、私も毎朝、通勤途中で見える富士山に向って息子の平穏を祈り「頑張れ。」と車中で何度叫んだことだろう。あれから九年、今では他県に住み一人前の自衛官となり、家庭を持ち子の親となった。地元三保より見える富士山と、他方より見える富士山のその違いやすばらしさが、子どもの頃から染みついていて、いわば富士山DNAがそうさせたのだろう。体にDNAのごとく染みついている我がふるさと富士山。他県に行って改めて知る本家の富士山のすばらしさは、当り前のように体に染みついている。
今年は、三保の羽衣の松も世代交代を迎えようとしている。新しく衣替えし、その後ろにそびえる富士と共に、私たちにとっても守らなくてはならない大切な財産であり、私たち親子にとって心のよりどころに間違いないと思っている。

『学びの窓の朝夕に ふりさけ仰ぐ 富士の嶺の清き姿の 気高さや これぞ我らの 鏡なる』

私は、私と息子の母校の校歌をいつまでも忘れない。そしていつまでも、富士山というキーワードで私たち親子が繋がっていることも。

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