あなたの「富士山物語」(ふで箱に富士山/大野政子)

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ページID1019374  更新日 2023年1月13日

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ふで箱に富士山/大野政子

昭和十四年四月、安西小学校に入学しました。年が明けて昭和十五年一月十五日昼すぎ、「新富町付近が火事です。」と先生から早く帰るよう指示されました。西の方は黒煙が天高く、夜が更けても燃えていました。繁華街は全焼、駅南まで飛火。これを静岡大火と言う。

そして数日後だったかしら、田中屋百貨店(現伊勢丹)は、消火の際、水をかぶった良品を格安にて販売する報に、私の家の職人見習住込みの金作さんは急いだ。そして掘出し品の中から一品、金色にかがやくセルロイド製の筆箱を見つけた。通称「斑入りか渦のような柄」これぞ、日本を象徴する富士山が緃に天高く聳え立ち、その裾に横書きに、皇紀二六〇〇年と描かれていた。金作さんはこの品のいい筆箱を、親方「父」の女の子にプレゼントしようと求めた。父は大変喜んで厚くお礼を言っていた。私もこのピカピカの筆箱が気に入って、大事に大事に使った。

この年は紀元二六〇〇年の節目の年でした。国挙げての記念すべき年「あぁ一億の胸躍る」と歌ったものでした。

そして私は春が来て二年生になり、夏休みに入りました。宿題の夏休みの友「册子」の一ページに、高い富士山の裾に工場群が建ち並ぶそこに煙突が林立して、煙がたなびく絵を見て風の方向を答えなさいの問に、もう一人の住込みの林平さんがわかり易く教えてくれた。今思うとこの宿題の絵は、富士市の製紙工場群だったのですね。

そして戦火は激しくなり、金作さんは出征兵士となり名古屋の部隊へ。私達高学年は小学校の屋上で富士山を背に横にと見ながら、薙刀のお稽古です。

この頃、戦争に勝つと思っていましたところ、昭和二十年六月二十日未明、静岡大空襲に遭い、家もろ共、大切に使った好きな筆箱も、夏休みの友も、父の登山記念の六角柱の焼印した話題の多い金剛杖も、全部灰と化してしまった。

何故か入学時の親が用意してくれた筆箱よりも、この金色の筆箱が鮮明に浮かびます。

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