あなたの「富士山物語」(富士山と共に過ごした子ども時代/飯田八重子)

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ページID1019370  更新日 2023年1月13日

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富士山と共に過ごした子ども時代/飯田八重子

富士宮で生まれ育ち、二十二才の時に地方公務員の夫と結婚し、転勤のため引っ越しを繰り返し、現在は清水に住んでいます。

今から五十五年位前になりますが、私が五才位の時です。土建業をやっていた父は、富士山周遊道路建設のため二合目に飯場小屋を作り、数名の土木作業員(当時は土方と言っていました)と飯場の飯炊き役の母、二才違いの弟と私は生活しました。遊ぶ物など何もない弟と私は、外(山の中)で虫などを追いかけて遊んでいた様に思います。

日中、何回か『カラーン』『カラーン』と鐘が鳴り、すぐ後に「発破だぞー。」と大声が聞こえてくると、急いで机などの下に耳を塞いで隠れるのです。ダイナマイトが大きな岩を砕く大音量と山小屋の屋根に叩きつけられる石の音。「お母ちゃん おっかないよー。」あの時の怖さは五十五年も絶った今でも鮮明に覚えています。

夜になると土方の中には酒乱の人がいて暴れるので怖かったのですが、発破の怖さに比べたら小さい怖さだったと思います。酒乱の人は昼間はおとなしいおじさん達だったせいかも知れません。

両親は二十年以上前に他界しているので、今になっては当時の事を聞く事ができません。生存中に聞いていれば、沢山色々な事を知る事ができたと悔やまれます。

今回、富士山の作文の事を知り、昔の事を想い出しました。作文を書き始めてふと、父が富士山周辺の発展のために、人力を尽くしたんではないかと思いました。改めて亡き父に尊敬の念を抱かせていただきました。

子供の頃、当たり前にいつも側にいてくれた富士山が今では恋しいです。

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