あなたの「富士山物語」(父の金剛杖/小山綾子)

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ページID1019366  更新日 2023年1月13日

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父の金剛杖/小山綾子

我家の玄関には二本の金剛杖があり、毎日家族を見守ってくれています。四年前に八十四才で亡くなった父の手作りの金剛杖です。

父は亡くなる前の年「俺を富士山に連れていってくれ。」と、突然私に言いました。船大工であった父は、駿河湾に浮かぶ富士山を毎日見て仕事をしており、富士山には特別な思い入れがあったのだと思います。

登山当日、迎えに行くと、父は二本の杖を待って立っていました。父と私の、富士登山用の金剛杖です。廃材で作ったのでしょうか、大小少し大きさの違う二本の杖には、父と私の名前が彫ってあり、名前の下には「富士山」という文字と当日の日付も彫ってありました。富士登山がよほど嬉しかったのでしょう。杖を両手に持って「これに焼印全部押してくるぞ。富士山の横っ腹もテッペンもいっぱい突っついてくるんだ。どんなもんだい!」と、子供のように目をキラキラ輝かせて言っていました。

ただ、その夏八十四才を迎える父は既に癌を患っていて、悪天候もあってか、七合目あたりからは五メートル登っては立ち止まる、の繰り返しとなりました。

金剛杖をしっかりと握り締め、それでも山小屋に着くと嬉しそうに焼印を押してもらい、また次の山小屋の焼印を目指して、ガツ、ガツと富士山の横っ腹に杖を突きつけて登って行きました。

しかし途中一泊するも、天気も父の元気も回復せず、八合目の救護所で「八十才過ぎたらここが頂上ですよ。」と医師に説得され、やむなく下山となりました。

帰路、父は悔しそうに「焼印、八合目までだったなあ、上まで押したかったなあ。」と、上部が空白になっている杖を見ながら何度も何度も言っていました。

そして翌年、父は亡くなりました。

あれから五年後の今年、五十代半ばの私は、その時の二本の金剛杖を持って富士山に登ってきました。

ねえ、お父さん、ひとりでテッペンまで登ってきたよ、富士山のテッペンでお父さんの金剛杖二本、天に突き刺してきたけど見えたかな。勿論富士山もいっぱい突っついてきたよ。富士山くすぐったかったかな。雨の中、焼印も頂上まで全部押してきたよ。杖の上まで全部だよ。焼印を押して貰う時、皆が手作りに気が付いて、力を込めてゆっくり丁寧に押してくれた。すれ違う登山者の人達も気が付いてくれて、「素晴しい金剛杖だね。」って。皆が、富士山もお父さんの金剛杖も、日本一だって言ってくれた。よかったね。

頑張ったから、私にも一言言わせて、

「どんなもんだい!」

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