あなたの「富士山物語」(富士山と妹/二宮ち江)

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ページID1019369  更新日 2023年1月13日

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富士山と妹/二宮ち江

十五年前の初夏のある日、妹が突然姉の私に「ちいちゃん、一緒に富士山に登ろうよ。」と誘いが有りました。妹は毎年八月中頃一人で富士登山して居り、ちょうど其の年が十回目の節目の年との事。六十五才にならんとする私を誘ったのです。「私登れるかしら。」「大丈夫、私が頂上へ立たせてあげるから。」と云う。これまでも妹と八ヶ岳や近くの山へ登っていたので足には自信が有りましたが、富士山となると心配でした。自分自身も登って見たいと云う思いもあり、登る事に決めました。

八月十二日午前二時、車で迎えに来てくれた妹と、富士宮五合目に向いました。妹はなれたものどんどん登り始めました。私はついて行くのがやっと。六合目、七合目と過ぎ、私はだんだん苦しくなり缶入酸素を吸い始めゆっくり登りました。その頃は今のように登山者も多くなく、妹が先に登って行くのがよく見えました。八合目の休所で待っていてくれたが、「私もう登れない。」と云うと、妹は自分のリュックの上に私のリュックをのせて、「もう少しよ、鳥居が見えるでしょ。」とはげましてくれ、どんどん登って行きました。

やっと頂上に着きました。浅間神社にお参りし記念写真をとり、自宅に頂上より電話した所、家族は信用しませんでした。ウソみたいと思ったらしかった。九合目の胸付八丁当りが一番大変でした。頂上は晴天で雲上の世界を味わいました。すばらしかった。妹が体が続く限りは登ると云った事がよくわかりました。あの美しい雲海、すばらしいパノラマ、私の脳裏から忘れ去る事はないでしょう。

妹は其の二年後九月三日、胃ガンのためこの世を去りました。発見時すでにおそく、手術も出来ずあっと云う間でした。たった二人の年のはなれた姉妹、私はただただ悲しみにくれました。今想えば十回目の富士登山を、私と登りたかったんだと後で想いました。今本当に妹にありがとうと云いたい。今日も雪のない夏山富士を眺め、妹を想い出しながら一筆書きました。富士山をこよなく愛した妹。富士山はすばらしい。登って見なければすばらしい景色はわからない。朝夕毎日眺められる静岡に生まれて幸せです。

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