あなたの「富士山物語」(八十路を生きてなほ恋ゆる富士の山/山田その)

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ページID1019375  更新日 2023年1月13日

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八十路を生きてなほ恋ゆる富士の山/山田その

拙い短歌の中から富士の山、ふるさとを年代順にうたったものです。

  1. ”下校時 一人で越えし 峠道 六十年前の 学生時代”
    戦中戦後の学生は大変でした。入学は現在の中学一年生です。バスも通わなくなった片道十キロの山道、二、三人の友達とも逢えません。冬は叔父の家に御世話になりました。学校からの帰り道、中里山から見下す富士宮の町がだんだん薄れて行く中で、町のお友達は今日一日の事をお母さん達と話しているだろうか、宿題をやっているかなあと…右に見える富士の雄姿を見つめながら「さあ今日も一日頑張った。」父母達の待っていてくれる家に早く帰ろう…。家につく頃はおなかぺこぺこでした。
    月日は過ぎて、三年生の二月より八月十五日の終戦の日迄、学徒動員として働く事になりました。三工場に分かれ、私達は第一工場、三班に分かれ、ゼラチン作り、唯々お国のためにと頑張りました。昼休み時間は勉強したものです。
    そしてあの夏の暑い一日。ラジオから天皇陛下の玉音放送、平伏してお聞きしました。涙が止まりませんでした。
    「あぁ、戦争は今日で終ったんだ。」
    と子供心に、又これで学校に行く事が出来ると唯々漠然と思った事でした。
  2. ”富士の峰 二十才の夏の 思い出よ 我が家小さく 小さく見えたり”
  3. ”日暮れ時 富士を仰ぎて 「母ちゃん」と 呼びしふるさとの 富士は変わらじ”
    嫁に来て形の少し変わりし富士を眺めて、心の中で五、六分話し「我慢しなさいよ。頑張りなさいよ。」と、まるで目の前に母が居る様でどんなにか癒された事でした。
  4. ”裾野なる 古里の庭に 立ちて見る 揺れる田の面に 富士山移れり”
  5. ”柚子匂ふ 風呂に浸かりて 思い出す 薪の香りの 恋いしふるさと”
  6. ”亡き父の 文にて思う 在りし日の 母への想い 切なきまでに”
    日本一の富士の麓に生まれて生活出来る私は幸せ者です。これより先、何年生きるやも知れません。ふるさと、亡き父母、主人を想い、兄弟、お友達と皆仲良く日々おだやかに過ごして行き度いと願うのみです。

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