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常葉学園大学客員教授・評論家 金 両基
ハンセン病回復者といっしょに風呂に入れるかと聞いたら、「ハンセン病ってなんですか」、「伝染するのでしょう」と聞かれた。熊本県のアイレディース黒川温泉ホテルが、ハンセン病回復者の入浴を拒否して社会的に大きな話題になった数ヶ月後、わたしが講じている「人権教育」の授業中のことである。学生たちを無関心だとみるべきか、それとも想像を超えるような事件の連続で入浴拒否程度ではショックを受けなくなった、あるいは個人の力ではどうにもならないと諦めているのであろうか。理由は別れるであろうが、傍観者としてそのニュースを聞いていたことは否めない。
ハンセン病の感染力はきわめて弱いと話しても素直に届かない。わたしが医者でないからである。熊本県がホテルに三日間の営業停止を命じた直後行ったアンケート調査によると、ハンセン病の感染力がきわめて弱いということを知っているという回答者が77.9パーセントであった。ところが偏見が残っているという回答が70パーセントを超えていた。偏見がかなり残っているが24.7%、残っているが47%であった。入浴拒否事件以降の感染力が弱いという啓発活動で理解が深まったいうが、深めた人たちの71.7パーセントが偏見が残っていると回答している数値に、偏見の根深さが表れている。
理解は深まっても偏見が消えない要因の一つに、わたしは傍観者的大人社会をあげている。入浴拒否の事件が起きた以降、自分がホテル経営者だったらどうするか、自分がハンセン病回復者であったらどうするかを考えたことのある人がどれほどいたであろうか。わたしが学生や社会人に同じ質問をしてみたが、ほとんどが答えに窮していた。
ある大学の人権講座に障害を持った社会人受講者が数人いた。講義が終わるとわたしに話しかけてきた。その人は病気で目が見えなくなったが、それまで障害者のことを考えたことがなかったといった。そして「目が見えなくなって不自由していますが、心は豊かになりました」とことばを添えた。障害をもった当事者を超えてすべての差別や人権を考えるようになった。そして健常者のときなぜそれに気づかなかったのかを悔いているともいった。心に響く声だった。それに対して、当事者にはなれないからそれは無理だ、当事者になれないのに当事者の振りをして行動することは欺瞞にならないかという人がいた。はたしてそうであろうか。医者が病気にかからなければ患者の気持ちを察することが出来ないとすれば、治療が出来ないと言うことになる。当事者にはなれないが限りなく当事者の立場に近づいて考えることはできる、とわたしは考えている。そこから人権に温もりが漂う。