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更新日:令和3年11月10日

君が代

静岡大学人文学部教授 根本 猛

私は、改善すべき点は多々あるにせよ、我が国の人権状況はなかなかのものだ-大学の成績なら「優」-と思っている。それまで、人権思想とは程遠かった我が国に曲がりなりにも人権が根付いたことは奇跡といっても良い。いくら言われても、民主主義と人権尊重が定着しない国が何と多いことか。しかし、ひとつ気になることがある。
公立学校の入学式や卒業式での君が代をめぐる騒動である。騒動の源が君が代の歌詞にあることは否定しがたいだろう。曰く、国民主権の現在に相応しくない、と。そういう声がプロテストになり、逆にそのプロテストを何とか抑え込もうという動きになる。これが、校歌などによくある「郷土の里に元気な子」式の歌詞なら、何も揉めないはずだ。
私も君が代の歌詞はどうかと思うが、大多数がこれで良いというなら仕方ない。よその国の国歌だって似たようなものだ。フランス国歌のぞっとする歌詞に比べれば、お上品とも言える。主催者や参加者が式で歌いたいというなら、それも良いだろう。あらゆることに全員一致が必要なら何もできなくなる。
だが、強制はおかしい。他人の意に反することを強制するには、相当の理由が必要であるというのが民主主義国の常識だろう。兵役という国家の存立にかかわる義務についてさえ多くの国では、宗教上の理由などによる兵役拒否が容認されている。
事案はやや異なるが、15年ほど前、アメリカ合衆国で星条旗を焼き捨てることが、憲法を保障する表現の自由として保護すべきか否か争われたとき、最高裁判所は、5対4の一票差だったが、2度にわたって、国旗焼却を処罰するテキサス州法と連邦法を違憲と断じた。判決はこう結ばれている。
「この判決は、星条旗が拠って立つ自由と包容力という原則と、被告人のような批判[国旗焼却]に寛容であることは我々の強さのしるしであり源であるという信念を再確認するものである。…国旗の特別な役割を保護する方法は、そのことについて違った考え方をする人々を処罰することではなく、間違っていると彼等を説得することである。…我々は、国旗への冒とくを処罰することによって、国旗を神聖化することはしない。なぜなら、それは、この大切なエンブレム[星条旗]が象徴する自由という価値を希釈することになるからである。」(テキサス対ジョンソン判決、1989年)
嫌々歌われたり敬意を表されるのは君が代だって不本意だろう。歌いたくない人に手を出すより、一人でも素晴らしく歌えるように喉を鍛えて歌の練習をしたら、というのはカラオケ好きの妄言か。最低限、音程を外さずに、「さざれ」と「いしの」は切らずに歌ってください。(笑)