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更新日:令和3年11月10日

精神障害者の二重の不幸の意味を考える

静岡県精神保健福祉士協会会長 原田 正美

大正7年に当時の東京大学精神医学教室の呉秀三は、「精神病者私宅監置の実況及び其の統計的観察」という論文を著しています。その中の一節に『我邦十何萬ノ精神病者ハ實ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生マレタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ。精神病者ノ救済・保護ハ實ニ人道問題ニシテ、我邦目下ノ急務ト謂ワザルベカラズ』と報告しています。当時の日本は、明治33年に制定された精神病者監護法によって、自宅の敷地の一角に、座敷牢と呼ばれる小さな小屋を作り、その中に精神障害者を閉じ込めておくことを警察の許可を得れば出来た時代でした。その時代は50年間続き、廃止になったのは、昭和25年という戦後のことです。
私は、その座敷牢の歴史を捜して時々各地に出掛けます。もちろん当時の座敷牢が現存しているわけではありません。当時、座敷牢を作れない家族は、神社やお寺に精神障害者を預けて生活させていたこともあったので、そういう場所を訪れることもあります。
あるとき、座敷牢の資料をもとに訪れた先で、中年のある方に、「座敷牢って言葉を聞いたことがありますか」と質問すると、「ああ、聞いたことあるよ」と答えられたので、「この辺に、…」と切り出すと、「そんな人はいないよ」と、いうことでした。その後、いろいろと説明をしてやっと分かってもらえたのですが、精神障害者に対するイメージは呉(秀三)の時代から100年が過ぎた現代でも、たいして変わっていないのではという感想を持ちました。
精神障害者に対する差別や偏見は、このように国の制度や政策からも作り出されてきたのでしょうか。平成15年7月には、「心身喪失者等医療観察法」が制定されました。この法律は、重大な犯罪を犯した精神障害者の社会復帰を促進するための制度ということで制定されたのですが、精神障害者の中での新たな二重差別を引き起こさないようにしていきたいものです。