• 総合トップへ
  • ふじのくに魅力情報
  • 音声読み上げ
  • 文字サイズ・色合いの変更
  • ふりがな表示 ふりがな非表示
  • 組織(部署)から探す
  • Other language
  • ホーム
  • くらし・環境
  • 健康・福祉
  • 教育・文化
  • 産業・雇用
  • 交流・まちづくり
  • 県政情報

ここから本文です。

更新日:令和2年10月28日

技術と人権

~ハイテクとローテク~

常葉学園大学副学長 角替 弘志

ハイテクという言葉と並んでローテクという言葉がある。ハイテクが「高度(先端)技術」と説明されるのに対して、ローテクは「レベルの低い技術」と説明される。今日の豊かな社会を生み出した技術革新を支えているのがハイテクであり、知識社会が標榜(ひょうぼう)されている中では、ハイテクは益々重視され、ローテクは次第に影を薄くしてきているように感じられる。しかし、ローテクを「レベルの低い技術」として軽視していいものだろうか。
「高い技術」=ハイテクは、誰もが有する技術ではない。長い期間の修練によって、場合によっては非凡な人のみが獲得できる技術であるし、今日私たちが手にしているハイテク製品は、精密な機器で設計どおりに作り出された物であり、機械でしか作り出せない。身の回りにふんだんにあるパソコンや乗用車等のハイテク製品によって、私たちは便利で快適な生活を営んではいるが、その原理や構造を理解している人はまれであり、多くの人にとってこれらの物はブラックボックスである。
それに対してローテクは誰もができる単純で素朴な技術である。「誰もができる」ということは「皆でできる」ということである。ある意味では、ハイテクは人を疎外するが、ローテクは人を結び付ける。レーシングカーは熟練したレーサーが一人で運転するが、山車・屋台は誰でも引っ張れるし、皆で引っ張らないと動かない。さらに、ローテクは基本的には「手作り」であり、自分の手で作るから、作り方は無論のこと、その原理も構造も容易に理解できる。
考えてみれば、どんなハイテクもローテクから出発しているし、どんなハイテク製品も日々の生活の中で、多くの人が「こんな物があったらいいな」と思っていたことが元となって創出された。実はハイテクはローテクに支えられて存在しているのであり、あらゆる「ものづくり」は「手作り」から始まる。「誰もができる」ことを「皆でする」ことから本当の意味での「高い技術」は生まれるのではないか。
「ものづくり」は巧拙(こうせつ)を問わなければ誰にでもできることであり、本来的には「ものづくり」ほど楽しいことはないはずである。ただ、便利で精巧なものが容易に手に入り、周りに多くの人がいると、自分で物を作ることは億劫(おっくう)になる。その結果、自分でできることまで他人任せにしがちになる。さらに、あまり重要さを感じないと「そんなことは自分でやることではない、他の人にやらせればよい」という尊大な態度を生むことになる。
ローテクを大切にするということは、人を大切にすることである。それぞれの人は生まれながらにそれぞれ何かを作り出す能力(技)を有している。それには本質的には上下・貴賎(きせん)はないのであり、それこそが大切にされなければならない。「人権を尊重する」ということは「物を作り出す能力(技)を尊重する」ことに他ならないと言える。その技が少しでも正確に、確実に、巧みにできるように努力を重ねることは大切なことである。しかし、それがどんな些細な技であっても、それを軽視し、蔑視することは許されることではない。ローテクを担っている人達が社会を支えているのである。