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更新日:令和2年10月28日

福祉と教育の狭間で考えた人権

(福)富士旭出学園理事長 山川 忠洋

福祉という言葉が、公的に私たちの生活に飛び込んできたのは日本国憲法(昭和21年11月制定)の個人の尊厳と公共の福祉を謳う幸福追求権からではなかろうか。かつて福祉は何かしら特別視され、特定の限られた人たちを対象に営まれているものであるという印象があった。今は全ての人々を対象にしているので、福祉抜きに私たちの生活は成立しないくらい、私たちが生きていく上で必要不可欠な水や空気のようなもので、もはや福祉は当たり前感が強い。既に福祉という言葉がタブーになったスウェーデンやデンマーク等の話も聞くが、日本では福祉という言葉は、今最も使用頻度の高い言葉の一つではなかろうか。この現象は国民の福祉に対する関心度の高さと福祉が未だ貧しいからかもしれない。福祉とは人間らしく、その人らしさを実現し、人間としての誇りと尊厳をもって生きられるように保障することであると思う。
そして教育とは人間らしく発達していくことへの保障であり、その根本の姿は自らを教育し続けることである。しょせん所詮、福祉も教育も人間を対象に人間らしく生きられるよう、発達するよう、そして共通のテーマとして個々人の尊厳性を掲げ、従って福祉も教育もキーワードは人権になり、“教育なくして福祉なし”と福祉と教育は本来絶対切り離せない関係にあるのではなかろうか。また人権とは人が生まれながらにして持っている基本的な自由と権利のことで、この世に生まれたその瞬間から人間の証として必然的に与えられるものである。それ故に人権を抜きに福祉も教育も論じ合うことは困難である。さて、人権に関する問題や課題は身近にいっぱいあるが、それは私たちが病気をして初めて健康の有難さを身にしみて感じるように、人権侵害や差別を受ける立場になって初めて気付く場合が多く、平穏な生活が続くと人権意識や感覚が薄れがちである。
だから平素より私たちは日常生活のあらゆる視点から人権を注意深く見守ることが大切である。何故ならば、人間の営みは全て人権に関連しているといっても過言でないからである。世界に目を転ずれば、同じ人間なのに彼の国では、人権差別や人権侵害は日常茶飯事で、かくも過酷な生活を強いられ、今にも人々の悲痛な叫びが聞こえてきそうだ。
福祉は他人事でなく、自分ごとに受け止めることであるが、人権には国境がないから、私たちは地球人の一人として世界的視野で考え、地域に根差して行動するという基本的な姿勢を忘れずに持ち続けたいものである。今、福祉も教育も改革が続いているが、それぞれのプランや制度や施策に今一つ手応えが感じられないのは、人権の視点からの議論や人権重視の姿勢が足りないのではなかろうか。21世紀は共生と人権の時代といわれるが、人権は全ての人間の問題であり、人間を原点として人権問題を総合的視野から考えて、人権が尊重される社会づくりを目指せば、共生社会の実現も夢ではないと確信したい。