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更新日:令和3年11月10日

高齢者の人権

静岡県民共済福祉事業本部理事・事業部長 小栗 栄子

~長生きするっていけないこと?~

8月の暑い日の夕方でした。東京の八王子にある有料老人ホームに出かけました。ホームで働く全職員の研修の講師を頼まれたからです。そのホームは、まだ残る武蔵野の自然と落ち着いた住宅地に隣接して、室内プールや囲碁ルーム、お茶室もあり、外には2面のテニスコート、園芸畑や敷地内の森の散策道などを備えたとてもすてきな老人ホームでした。エレベーターですれ違う老齢の御夫婦への職員応対も丁寧で且つ暖かく特に私の話など必要ないのではないかと思ったものでした。そこは終身介護が契約のようで、何年かして痴呆症や重度な介護を必要になった方は、日中は介護棟へ移り、ベット上で生活をされるということで、介護棟を案内してくださいました。個室ではあるけれど病院のように並んだ部屋のいくつかをドアの小窓から何気なく覗いた時、私の心に悲しみが電流のように走りました。「ああ、何と先ほどの光溢れる生き生きとした生活の場と違うのか」。8畳ほどの部屋は畳だけが敷かれて4面が白い壁の他には家具も色も何もなく、1人の老女が空を見つめて放心したようにただ座っていました。ひと目でわかりました。かなり重度な痴呆の方だろうと。その日、用意してきたテーマをきゅうきょ急遽変更して、私は「この素敵なホームに1箇所だけ枯れかかっている花がありました。皆さんは毎日目にされているのに、気づかないでいる」と話し始めました。「誰も老いの時が来たとき痴呆や介護される身を望むわけではない。それでも脳細胞も体細胞も老化する。有限な生き物=人間。あの方も例えいかなる身になろうとも最後まで普通の人が暮らす環境にあって温かく介護を受けたいと、このホームを信頼して選んだのではなかろうか。言葉も表情も記憶も表れなくなっても体の細胞は生きていることを感じている。皮膚に注ぐ日差しの温もり、頬をなでる風のさわやかさ、話しかける人の声、鳥の声、車の音、花の匂い食べ物の匂い…。生きているとはそういう感覚の中にある。いっぱいいっぱい生きていることを生命体に喜んでもらう介護をしませんか」と。
数日後にホームから手紙がきました。「介護の職員たちが『あっ』と言いました。散歩にも連れて行き、対人で世話をしている自負が見えなくさせていました。今度来ていただく時は枯れた花は見つからないでしょう」と。
みなさん、年寄りは嫌いですか?汚いですか?怖いですか?何回も同じ話をしてうるさいですか?ジーと観てください。年月を戦い抜いてきたしわ皺を、白髪を、黒ずんだ手足の皮膚を、耐えることを知りぬいた灰色に濁った眼を。誕生したばかりの赤ん坊とお年寄りと、与えられた1日の命の尊さは変わらない。痴呆症や重介護を要する高齢層が増加していく社会は眼の前です。お年寄りが暮らす場所が、自宅、ホーム、病院と場所の違いがあろうとも一緒に生きる喜びを感じあい、共に声を掛け合って暮らしていきませんか。