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更新日:令和3年11月10日

少年事件に思う

人権擁護委員 杉山 佳代子

~メディアは慎重に~

夏休みに娘の家に行くと、「お母さん、息子Kのことで、先日すごく感心したよ」と娘が話してくれた。私の孫K(小二年・男)が絵を描きながらテレビを見ていて、そばで娘は下の子のおしりの世話をしていたという。
テレビでは、ダウン症でしかも肺と心臓も病に侵され、六歳で逝った我が子への想いを母親が手記・手紙文で放映していたようだ。それを見て娘もジーンときたらしいが、ふと息子を見ると、顔のしたに涙を見せまいと一生懸命に手でぬぐっているではないか。
昨日まで幼いと思っていた我が子が、「かわいそう…」と人の悲しみが客観的に分かるようになり、娘は感動したという。こうして、人間は人と人の中で、たくさんの優しさや悲しみを体験しながら、本当の思いやりとは何かを感じ取っていくのであろうか。
人は命授かってこの世に赤ちゃんとして無垢な心で誕生する。しかし、長崎市で十二歳の少年が、四歳の男の子を駐車場の屋上から転落させ殺害した事件、そして佐世保市で小学校六年生の女の子が同級生の女の子を殺害した事件があった。何とも痛ましく世の大人たちを震撼させた事件であり、青少年問題に関わる私にとってはずっと気掛かりなものになっている。
特に少年事件の場合、ともすれば加害者側に目がいき、被害者側の立場を思いやる人権が見落とされているのではないかと疑問に思うことが多々ある。事件直後に二つの事件とも、加害者少年の付添い弁護士によって一方的に記者会見で発表され、全国に報道されてしまったことは大変残念に思う。
なぜならまだ加害者に関する正確な情報が被害者側に伝えられていないままの時であり、被害者側はどうみても大変気の毒である。少年事件では、少年法により報道機関が情報を得ることが難しいからといって、安易に情報源としての弁護士の記者会見では、あまりにも無責任ではなかろうか。
「メールで悪口を言われたから…」と、まだ不正確なまま面会した加害少女の発言を発表し、これをもとに全国の多くの親たちや教育関係者などがそれぞれ考え巡らせたことはまだ記憶に新しい。
大好きだった学校で、殺害された御手洗さんのお父さんは「(加害女児の)心の奥底で何があったのかを知りたい」と今もなお大変苦悩されておられるだけに、胸が痛む。
メディアは心してほしい。事件事実が明確になっていない段階で、軽々しく加害者側弁護士などの記者会見・発言は、悲しみのどん底にいる被害者の人権を奪うことになるのだ。
私たちは自分の命が掛け替えのない命であるように、他人の命もまた、掛け替えのない命であることを大切にしたいものである。