• 総合トップへ
  • ふじのくに魅力情報
  • 音声読み上げ
  • 文字サイズ・色合いの変更
  • ふりがな表示 ふりがな非表示
  • 組織(部署)から探す
  • Other language
  • ホーム
  • くらし・環境
  • 健康・福祉
  • 教育・文化
  • 産業・雇用
  • 交流・まちづくり
  • 県政情報

ここから本文です。

更新日:令和3年11月10日

報復の色濃い社会

静岡新聞社常務取締役 原田 誠治

~「知りたがる声」にこたえてはならない~

新聞記者になって40年になる。
人の人権や名誉にさわるようなことは一度としてなかったか。そう問われると正直、自信がない。報道、特に事件や事故の報道は悪や不正への憤りがバネになる仕事です。勢い踏み込みがちになり、人権や名誉にさわってしまう。
正義感は大切だが、報道が私的制裁になってはならない。「罪を憎んで、人を憎まず」-昔の人は本当にいいことを言っている。私たちがいつでも忘れてはならない教えです。
私たちは仮名や匿名報道に努め、どんな兇悪な事件の当事者も呼び捨てにせず、「容疑者」の呼称をつけて報道します。逮捕された人でも裁判で有罪が確定するまでは、無罪の推定を受ける権利があるからです。
しかし、そういう報道を生ぬるい、歯がゆいと思う人が多いことも事実です。「殺人犯をなぜ呼び捨てにしない」、「税金泥棒みたいな政治家になぜ『氏』なんかつけるんだ」-そんな抗議が絶えない。
世の中が荒っぽくなって、人の過ちを許さない、反省や謝罪を受け入れない、責任をとことん追及する、時に社会に報復の風が起こる。そういう社会の空気が少年犯罪をめぐる報道を直撃的なものにしているように思えてならない。
事件を起こした少年少女の実名や顔写真、調書まで公表してしまうメディアが登場する。明らかに少年法の精神を逸脱している。
でも、そういう逸脱行為をする人たちは突拍子もない事を言う。「事件が異常だから、事実を社会に公表する必要がある」、「犯罪が少年法で守るべき程度を超えている」…と。
そうだろうか。事件が異常なら、人権はどうなってもいいのだろうか。少年法で守るべき程度を超えていると誰が判断するのだろう。社会全体に「報復」のにおいがする。「仕返し」のにおいがする。
佐世保市の小学6年女児による級友殺害事件の報道は、かつてなくむきだしになった。女児がどんな格好で級友の首にカッターナイフで切りつけたか、その場の血まみれになった椅子の散らばりようがどうの、と惨劇の再現そのものです。
国民の「知る権利」にこたえるためだという。でも、鑑別所に送られる女児のスニーカーを車のタイヤの間から透かし撮りした映像まで見たいと思っている人が何人いるだろうか。
人間の心の中に潜んだ「知りたがる衝動」が気になる。私たちは「知りたがる声」にこたえてはならないのだ。