人づくりちょっといい話17
「道楽」は学問の原点
今日のテーマは「道楽」です。「あらあら」と思われるかもしれませんが、悪い言葉ではなく仏教用語です。隠者、つまり社会の仕事をし終わって、次の世代に仕事や責任を譲り後は悠々自適、という人達が楽しんだことを道楽と言います。
面白いのは江戸時代の道楽です。江戸時代の社会は、経済成長がゼロの定常(※)社会。元禄のころには、新田の開発を止めてしまっている。人口もそんなに増えないものだから、やっていけたんですね。定常社会では、当然、時間が余ります。武士の場合、勤務時間は一日五時間くらいです。その余った時間を道楽に使ったんですね。
道楽には三道楽というものがあって第一は園芸、二番目は釣り、三番目は学問でした。ガーデニングがあり、釣りがあり、学問がある。道楽で学問をやるなんて素敵ですね。もっとも学校、学問、学ぶは、ギリシャ語でスコラと言います。スコラの語源は暇(ひま)。そこからスクール(学校)という英語ができたんです。つまり、暇が人間の教養をつくる、逆に言うと教養のある人は暇な人とも言えますね。
神沢杜口(貞観)という与力が京都におりまして、四十歳まで与力を努めた後、娘婿に家督を譲ってボランティアになります。元の職場にたくさんの事件の資料が詰まっているのですが、ここへ資料整理に入るんです。整理をしているうちに、事件や記録を読み出して「こんな心中があったのか」「こんな盗人がいたのか」と面白がってそれを克明に写したんですね。写しに写してしまいに『翁草』という本にしました。それが二百巻もあります。ちなみに作家の森鴎外はこれを全巻読んでいて、世にも悲しい小説『高瀬舟』の原点はこの『翁草』にあるそうです。
そうかと思うと、五十歳の農民が、京都の伊藤東涯という屈指の儒学者の門下生になり勉強を始めます。「今日はこういうことを習った」という日記を自分の言葉で書いているのですが、「学問とはこんなに面白いものか。努力をしてやるものだと聞かされてきたがそうではないんだなぁ。どうして学者やなんかが出てくるかというと面白いからみんな学者になるんだな」と書いているんですね。
これが本当に学問の原点ですね。一農民が伊藤東涯のところへ入って、学問が持っている面白さを悟る。自分の世界を自分で開いていく面白さを人間が悟った、ということでしょうか。私は、そういうことが素晴らしいな、と思っています。
※定常=常に一定していて変わらないこと。物理学などで「定常状態」というと、流体の流れの速さや電流の強さなど状態を決める物理量が、時間とともに変わらないで、一定に保たれている状態を指す。
草柳大蔵著「午前8時のメッセージ99話」(H21年発行静新新書)より
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