あなたの「富士山物語」(二〇一〇年夏/鵜野森鴉)

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ページID1019385  更新日 2023年1月13日

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二〇一〇年夏/鵜野森鴉

GWの肋骨骨折をキッカケに、僕の身体は様々な不具合が噴出して動かなくなった。それはまるで、氷壁を滑落するかのような勢いで、突然に動かなくなってしまった。立つこともままならなければ、椅子に座ることさえ出来なくなり、仕事も休むことになった。整体マッサージやカイロプラクティック、果ては鍼治療まで試したが全く効果がない。

僕の心は、憔悴と絶望の狭間に深く埋もれていた。

職場の先輩から紹介して頂いた調整師さんに、藁をも掴む心境で診て頂いた。すると、身体がこれまでに経験したことがない反応を示した。もうこの先生に頼る他はない。そうして、週一度から二度のペースで身体のケアをお願いしてから一ヵ月が経ち、ようやく社会復帰の目処が立ったのは七月末だった。

あの冬の日、彼等に誓った富士登山は、梅雨明けしたにも関わらず未だ果たされていない。調整師の先生は身体の不具合を改善するだけでなく、患者の心にも触れることが出来るらしい。僕の身体と心にギャップがあることを、アッサリ指摘された。さらに、僕が富士登山に拘る理由に合点がいかないようであったが、彼等のことを話し、富士登山が気持ちの切替えに必要な儀式であると、理解して頂けたようである。

かくして、まだ万全ではない体調だが、己の魂を解き放ち、彼等の魂を供養するために富士へ上がることにした。

八月五日、二十一時。富士宮口五合目駐車場は、既に満車に近い状態であった。長男と二人、一年ぶりの富士は満天の天の川で迎えてくれた。腹ごしらえを済ませ、小一時間ほど高所順応のために車内休憩を取ったのが間違いだった。まだ十二歳の長男は、本格的に寝息を立て始めてしまった。

無理矢理起こして支度を済ませ、登り始めたのだが…。長男のペースは最初から思わしくなく、下界とは違う雰囲気に圧倒され呑まれてしまっていた。案の定、御来光の時点でやっと九合目の万年雪荘に辿り着いたのだが、お座敷に倒れ込んでしまった。暫く休ませてから再び山頂を目指したが、三五〇〇メートルを超えた地点で動けなくなり嘔吐した。山頂の鳥居が手の届く距離に見え、後ろ髪を引かれる思いだが、置いて行くことは出来ず撤退した。

きっと、彼等の好物だった焼酎を持ち忘れたので、取りに戻らされたのだろう。次のチャンスを待って、いや、チャンスを作って、この夏の間に必ずあの現場へ行く。

八月二十七日、十七時、富士宮口五合目駐車場。これから出発までの数時間、暮れ行く夏の富士を、ビール片手にゆっくり堪能する。

霧が立ち込めては流れてを繰り返し、空の色は青から赤へ変わり、そして夕闇が支配する頃には、駐車場は満車となり長い路上駐車の列が続いていた。夏休み最後の週末とあって、登山口周辺にはこれまで見た事がない程の人で溢れ返っていた。今夜は富士宮口でも頂上直下で渋滞するかも知れないと思い、出発予定を繰り上げることにした。

二十二時ちょうどに登山開始。六合目までの緩い登りで身体と対話し調子を探る。悪くない。天気も上々で月明かりでヘッドライトも不要なくらいである。但し、登山者の数は壮絶で、見上げた登山道には既に光の帯が出来上がっていた。

二十三時半、元祖七合に到着。小屋前はゴッタ返しており、休憩するスペースなど見当たらない。そのまま無休憩で歩き続けた。八合、九合と高度を上げるにつれ気温は下がって行く。九合目の気温は五度だった。山頂は三度くらいだろうか。ゆっくり登っていれば寒くもなく発汗もない。呼吸も全く乱れず、確実に元の身体に戻りつつあると実感していた。

午前二時半、九合五勺の胸突山荘に到着。この先、渋滞があっても三時半には山頂に立てるだろう。予想通りに山頂手前で渋滞に嵌り、三時四十分に浅間大社奥宮に到着。

富士山頂とは思えない人混みを避け、浅間大社奥宮の裏手に廻りザックを降ろした。乾いたシャツに着替え、新アイテムの防寒着を着ると寒さは感じなかった。ストーブを組立て湯を沸かし、お決まりのカップ麺を食すと、早々に剣ヶ峰へと歩を進めた。立つ場所が残っているか心配だった剣ヶ峰は意外と空いており、いつもの撮影場所を確保した。

御来光を待つ間、昨年からの一連の出来事を辿ってみた。彼等との出会い、将来への展望、突然の死、喪失感と孤独感…。それらは身体の不調となって噴出し、動かない身体に憤り、更なる不安に襲われた。どうすれば這い上がれるか解らなかった。それでも生きるしかない事は解っていたが、心の切替えは難しかった。何かキッカケが必要だった。

全ての想いが富士に繋がっていると感じてここに来た。長く苦しかった夜は終わろうとしている。新しい一日が眩しい光となって始まろうとしている。

「大丈夫、きっとまだヤレる。」そう自分に語り掛けると、胸の奥の支えがスッと消えた気がした。ラッシュアワーの小田急線並みの剣ヶ峰をすり抜け、浅間大社奥宮に参拝し下山を開始した。

あの忌まわしき現場で彼等の供養とサヨナラを告げるため、御殿場口へと向かう。宝永山との分岐付近、今は穏やかな山肌が続いている。本当にこんな所で命を落としたのだろうか。改めて冬富士の厳しさに畏怖の念を抱いた。

見晴らしの良い小高い丘に上がり、石を積んだその上に木製のぐい呑みを二つ並べ、彼等が大好きであった酒を溢れるまで注いだ。そしてその傍らに線香を灯して合掌。

「あなた方と過ごした日々は決して忘れない、安らかに眠ってください。」

こうして長く暑かった今年の夏も終わろうとしている。そして、また明日から日常が始まる。

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