あなたの「富士山物語」(富士山への想い/高橋フジ)

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ページID1019396  更新日 2023年1月13日

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富士山への想い/高橋フジ

私が生れた横浜の家から富士山が小さく見えました。それで富士子と名付けられました。ガラス戸を開けると見える可愛らしい富士山を見て楽しんでいました。やがて小学校に上り、漢字で富士子と書く事に喜びを覚えました。然しあと一年を残し、父親の転任に伴ない横浜を去り、静岡の学校に入ることになりました。予期しなかった事なので戸惑いましたが、未知の土地へ行く好奇心もありました。引越しの日、級友達が横浜駅のプラットホームまで見送りに来てくれました。「富士山が見える三保の松原の方へ行くのね。」と教科書で学んだ事に興味津々だったようです。当時は新幹線は勿論、丹那トンネルさえ完通していなかった時代でしたから、御殿場線を利用して静岡へ来たわけです。

やがて転校した新しい学校生活が始まりました。運動場の後の小高い山に登ると、富士山が横浜で見たのとは違い大きくてきれいで立派に見えました。我が家の二階からも見えました。良い名前をつけて貰い、その御縁で静岡へ住むようになったと感謝でした。ところが当時は市役所の戸籍課へ届ける時、漢字は間違い易いからカタ仮名でしたそうで、私の名はフジになっていたのです。現代とは違い和紙に複寫紙を挟み鉄筆で書いていた時代でのことです。カタ仮名だと不盡、不二、不死とも想像出来ますし、お山が私を守ってくれるのではないかと思えました。昭和十五年の静岡大火、昭和二十年六月の静岡空襲と未曽有の大災害を経験しましたが、命だけは取り止めました。又、昨冬に思いがけぬ病気を背負いましたが、偶然ある方から俳句を送られ勇気づけられました。「晴朗の富士は寒波に身じろがず」です。越し方を振り返り思いますと、私は富士山に守られながら生きて来たのではないかと思っておりますし、これからもそうありたいと願って居ります。

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