あなたの「富士山物語」(わたしの心のふるさと富士山/川島安一)

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ページID1019402  更新日 2023年1月13日

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わたしの心のふるさと富士山/川島安一

半世紀も前になるが、進学のため佐世保駅から寝台特急「西海号」に乗った翌日の午後、静岡駅をすぎてまもなく車内が騒がしくなっていた。「富士山だ。」「富士山だ。」という声だった。ベッドに腰掛けて休んでいた私は、急いで通路に立って窓越しに一瞬「真上」の空を見上げた。満員に近い乗客は車内の通路に立って「遠望」していた。私の目にも真白で雄大な富士山が飛び込んできた。もっと聳えた富士山を想像していた。意外に低いような感じもした。これが、私が見た最初の富士山です。今でも鮮明です。

高校時代から富士山への憧れはあったが、学生時代に住みたい県を静岡県に決め、首尾よく希望もかない、以来県民として五十年余となった。この間、初任地の函南村(当時)では愛鷹山の峰越しに富士山を眺め、つぎの異動先は、ずばり富士山のご当地御殿場市。生活の拠点も地元とあって、よく職場の友人や家族連れで御殿場口や須走口に車で登った。

御殿場生まれの娘の名前には富士山の一字を頂いた。田舎から遊びにきた甥子は、須走口の遊園地で大好きな富士山をスケッチしたことがあったが、目前の富士山が余りに巨大なため、画用紙に収まらないと困っていたこともあった。また田舎の兄弟三人と登山した時のこと、地上の余りの暑さに、山頂で冷えた西瓜を美味しく食べようと思って担いで登ったが、頂上では体も冷えきりとても食べる気にはならなかった。今でも笑い話だ。さらに田舎の妹やその友人一行六人を案内した時のこと、私が五合目に残って車内から携帯電話で登山を誘導することにしていたが、途中から電波がとどかず携帯が通じない場所があり、大変心配をしたこともあった。などなど。

富士山は私の心のふるさとです。私も後期高齢者の身。現在、冥土からでも富士山が望める場所をと探し回っているところです。

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