第9回ふるさとから広がる成長の循環

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ページID1035199  更新日 2023年1月13日

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藤枝市の「走生塾」の二見隆亮さん

こんにちは。静岡県中部地域局です。

地域活動に取組む方々にスポットを当て、地域と関わるようになったきっかけや活動内容について、中部地域局の職員がインタビューし、みなさんに情報をお届けします。第9回となる今回は、藤枝市岡部町で学習塾「走生塾(そうじょうじゅく)」を運営されている、二見隆亮(ふたみたかあき)さんにインタビューしました。

写真:そうじょうじゅく1

学びの循環を創り出す、寺子屋形式の塾

私は高校時代まで藤枝市岡部町で育ち、大学院修士課程を修了したタイミングでシャローム学園(学習進学塾)を引き継ぐことになりました。

そのシャローム学園を、他に並行的に行っていた活動と統合し、「走生塾」に改名しました。養生の「じょう」をあて「そうじょうじゅく」と読みます。「生き方としての走り方」が大きなコンセプトになりますが、「走り方」というのは「学び方」も「働き方」も「遊び方」をも同様に捉えています。「走」を語式化すれば「燃焼を伴う主体的行為×循環を伴う内省的行為=命の燃やし方」です。

学習グループには主に以下の5つがあります。

【學】(シャローム学園)では、小中高生の授業の補習・受験指導になります。ここでは講義は最小限に留め、個々の現在地を見定めた上で、個々がいまそのときにやるべきことに明確にしながら進めています。これは東井義雄(教育者)の「自分を育てるのは自分」等から集約される自己教育論を手がかりにしており、準じてサポートも個々に因ります。じっくりやりとりすることもありますが、「よし」の一言だけだったり、「これは3年前のここ」とつまずき要因の提示だけだったりと助言はシンプルです。すべてを説明だけで解決しようとすることも、考えるチャンスを奪うことも望ましくないからです。主眼は「独学の引き出し」をどこまで増やせるかという挑戦になりますが、走り方は人の数・星の数ほどありますから、一斉指導は学校だけでよいと考えています。中間層だけが居心地がよく、上下がこぼれるというのは教育ではありませんし、現にそれを求める生徒も保護者も多いです。

【走】は全国展開していたランニングクラブを学習団体に換えたもので、今年度はコロナ禍も相まって「脱ランナー走」をテーマに取組んでいます。実際的にランニングよりも大切なもののために走らなければ本末転倒ではないかと考えたからです。その大切なものはここでは言い尽くせないそれぞれの「生きざま」の中にあります。大人が中心ですが、小学生から大学生が参加することもあり、各回想定できないにぎわいが起こります。

【遊】は小学生のからだほぐし・からだつくりになりますが、内容は日替わりなので、続けていると気づいたら心も体も成長していたという子が多いです。ここでもその日の諸要因からぱっと内容を調整・修正するので、なんとなくですがこどもたちは「何かに縛られる必要のないこと」を体験的に学んでいるような印象です。初めはおそるおそる顔を出したような子もすぐになじみ、だんだん笑顔になっていきます。とはいうものの私が一番楽しんでいます(笑)。

【業】は地域の職人さん(個人事業主さん)を招いて、ご自身の現在・過去・未来を自由に語って頂く機会です。学校期に関われる大人は親と諸先生に限られるというのは非常に惜しいという思いから、独自の事業を苦労しながらも楽しそうに展開されている方からの生々しいお話からホントの学びを頂いています。感覚的には藤原和博さんが実践した「よのなか科」に近いのかもしれません。不特定のひょんなつながりが起きたりします。それが狙いです。

【生】(おとなの寺子屋)では、おとなが人生観、健康観、学習観等を交えながら敢えて小学校の問題を解くという活動をしています。「やったかなあ」とか「生活では使わない」とかいいながら、げらげらやっています(笑)。ご年配の方が多いですが、漢字検定に挑戦する方も多く、ご家族やお孫さんと共通の話題ができると喜んで頂いています。10級からていねいに始め、次は2級という70代の方もおられ、こちらも頭が下がります。

その他【歩】という就学前の3~6歳の子の運動遊びのグループがあります。こちらは「小学校入学前に運動してほめて計算させてまたほめると小学校に上がってから何でもできるようになる」と久保田競先生(脳科学)からアドバイス頂いたことに倣った活動です。実際はその断片しかできていませんが、始まったばかりなのでどうなるかが楽しみです。

このように、世代・ジャンルを問わずつながりの中で学び続ければ、「学びの循環」を創り出せると思っていますし、私自身もそのための研究を続けている最中です。

写真:そうじょうじゅく2

写真:そうじょうじゅく3

写真:そうじょうじゅく4

写真:そうじょうじゅく5

写真:そうじょうじゅく6

写真:そうじょうじゅく7

走ることは、生き方を探究すること

塾のすべては「思い」の具現化にほかなりませんが、私が死んだら塾は残りませんから、現在、博士論文に「考え方だけ」は遺したいと思っています。「思い」も「考え方」も私自身が多くの方から授かったものながら、私以外が記すことはできませんから、その精緻化に励んでいます。ただ、論文ではなかなか本音がいえないので、我慢に我慢を重ねたタテマエレベルに過ぎません。終わったらたいぶ羽ばたきます。そのテーマは「自己の探究を目的とした『内省型ランニング学習』の開発」というものです。塾の学習事業と運動事業を一貫したような、いわば広義のキャリア教育になりますが、多湖輝(心理学者)の「まず動け」に似た感覚で人間論を多角的に実証していくものです。

この研究で目指すものは、拙著『明日の学び舎』(リーブル出版)に据えたものと同様で「走ることと、学ぶことと、生きることはつながっている」という考え方が根底にあります。研究動向の分析、文献レビュー、インタビュー調査、大学生を対象とした実践、中学生を対象とした実践までの妥協案に留めていますが、意志さえあれば誰にでも応用はできるプログラム素案を開発中です。時代も自分史も、もはや「やる」か「やらない」かの連続なので、キャリア教育のあり方もこの先だいぶ動くと思っています。博士論文を書き終えた後は、再度一般書に変換し、英訳して海を渡らせるまでを描いており、それが故郷で貫徹できたのなら、それに越したことはありません。いけるところまで走ります。

写真:そうじょうじゅく8

ふるさと、藤枝市岡部町から広がる「つながり」と成長の循環

多くの小中学生が通っていたシャローム学園から転身した走生塾は、3名の塾生からスタートし、「思いのつながり」のみで生き残ってきました。小中学校で学ぶべき教科書上のものは限られていますから、そのアウトラインの整理は3年かけて済ませた上で、年度ごと・また教科書改訂ごと社会の動きに合わせて更新しているようなこれまでです。

私は体育講師でもあるので、動きや表情・声のトーンなどを診ながらの関わり方を選んでいますが、実はその視点を授かったのはブラインドランナーの伴走活動でした。ゆっくりの方から競技者に至るまでの伴走経験を通じて、こちらが選ぶ言葉と動きは関係性のもとでその都度精査すべきであることを学びました。

そうなると小中全科を細分化しながらも、提供は最小限に留めるというスタイル、相手にとって必要な情報を必要な時に必要なだけ提供する、ときにはっぱをかけ、ときにくすぐり、ときにねじれの位置からボケてみるという、すぐに答えが欲しい方からしたら嫌がらせなのかもしれませんが、積極的につかみどころのないスタイルを貫いています。聞かれればホンネもホントのことも答えますが、基本的には慎言です。

塾を続けながら、実際的には私自身が「学びの本質」から全てのつながりの中でじっくり・ゆっくりと学ばせて頂いているように思います。本質論すら固有的なものでよいのですが、「学びの本質」というのは、「人間とは何か」「何が人間か」という見解に通ずるものです。これは人間を中心に考えても自然・社会を中心に考えてもそれぞれだけでは半分に過ぎないので、「からだまるごとひとつ」と野口三千三がいったように「地域まるごとひとつ」「世界まるごとひとつ」「宇宙まるごとひとつ」という森信三のいう全一学、すなわち全体論の目を持たなければいけないと思うからです。その中で走生塾の構図ができました。つながりがなければ知ることも目にすることも逢うこともありません。

「走」は他の運動・スポーツだけでなく、他の学習、先々の仕事、人間関係、子育てに至るまで自分と仲間と生かし合う学習過程の中にあります。「歩」が見合う場合もありますが、燃焼レベルが違うのでことにあたるのであれば「走」です。この感覚は最終的に人格を提示した西田幾多郎の『善の研究』に近いかもしれません。現に修士課程の頃は京都に住んでいましたので哲学の道をよく走りました。でも故郷に戻ると、いつでもどこでも哲学の道に見えてしまいます。足の置き場がその人にとっての道場だと思うからです。足の置き場すなわち生きる環境(地域)は自分の足で自分を運ぶ術を磨いていくための道場です。

こうした中で私が感じているのは、「つながりのないものはない」が「つながりを見抜いて生かせる人はごくわずか」ということです。そのわずかの人材の方に関わった仲間が少しずつ回っていってくれれば、塾を無くすという最終目標を達成できたとみなせます。なので分野を問わず思いのある方とはどんどん逢ってどんどん関わっていきたい。

人との「つながり」が生み出す大きな循環の中で、あの時・あの人と関わったから現在があり、一連のすべてに「おかげさま」と「ありがたさ」を感じます。それらが私にとっての赤誠でもあり、引き出しでもあります。生かさない手はありません。その過程で西田の「歴史的身体」がようやく腑に落ちてきました。言葉だけで事足りる実態のない「感謝」はいまの私には使えません。多くの方からの「恩」を文武という活字・活動に換え、そして遺していくのが私の仕事です。

写真:そうじょうじゅく9

リレーのバトンは藤枝市の柴田(しばた)さんへ

お逢いした時、たぶん私がいる!っていうのをお互いが感じたんじゃないかと思います。五輪の次は十輪です。十輪寺の魅力をたっぷり教えて下さい。

このページに関するお問い合わせ

中部地域局地域課
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電話番号:054-644-9102
ファクス番号:054-645-1152
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