第28回 文学にできること-小泉八雲と地域を結ぶ- 那須野絢子 常葉大学助教
文学にできること-小泉八雲と地域を結ぶ- 那須野絢子 常葉大学助教
こんにちは。静岡県中部地域局です。
地域活動に取り組む方々や、イノベーションを起こしている団体や個人にスポットを当て、地域と関わるようになったきっかけや活動内容について、中部地域局の職員がインタビューし、みなさんが元気になる情報をお届けします。
第28回となる今回は、焼津市ゆかりの作家、小泉八雲の研究を進めつつ、その成果を地域の活性化に結びつける活動に取り組む、常葉大学外国学部助教の那須野絢子(なすのあやこ)さんにインタビューしました。
妖精文学の研究から、小泉八雲の奥深さを知る
私(那須野助教)は、大学の卒業論文のテーマに英国の妖精文学を選択し、研究を進めていました。その過程で、元々英国人で、日本に帰化した小泉八雲による、日本の妖怪を西洋の視点で描く面白さに気がつきました。合わせて、八雲が私の出身地でもある焼津に、避暑のため6度も滞在したことを知り、興味が深まりました。
結果的に八雲は論文の主題にはならなかったのですが、その縁は途切れることはありませんでした。
私は一度民間企業に就職しましたが、文学研究への思いを抑えきれず、職を辞して大学院に進学しました。丁度そのタイミングで、焼津小泉八雲記念館が設立されたので、試験にチャレンジしたところ、縁あって学芸員として採用されました。それからは、とりつかれたように八雲の研究に没頭していきました。
その後、今から2年半前に常葉大学に転職しましたが、焼津小泉八雲記念館にも併任で在籍しています。現在、大学では比較文学を専門に研究をしていますが、文学を異なる文化の視点から比較する目を開いてくれたのは、八雲に関する研究のおかげです。八雲は、日本の文化をしっかりと、偏見なしに見た貴重な英国人です。
また、八雲は民俗学者、記者、英文学者、教育者といった多彩な側面を持つ、才能にあふれた人物です。単語の選び方、韻の踏み方といった文体にこだわりぬき、まるで絵画を描くように情景を描写する様は、アメリカで働いていた際にワードペインターと称されたほどです。このエピソードからも伝わるように、八雲は物語を作り出すよりも、表現を描き出すことが得意な文筆家でした。
八雲は片目が不自由で、残された方の目も近視と、視力には恵まれませんでしたが、その分鋭敏な聴覚を活かして文章に反映させていました。耳なし芳一のように、琵琶の音や衣擦れの音、開門の重々しい響きなどが聞こえてきそうな文章が、八雲の真骨頂だと思います。それが八雲の代表作である怪談の世界に、無限の深みとリアリティを与えています。
八雲の作品における特徴のひとつに、日本語の響きを大事にして、英文の中に敢えて日本語を混在させたことがあります。八雲がこれほど日本語を重視したのには、彼が日本を訪れてから、日本文化に関わっていく過程が関係していると考えています。
八雲を時系列で研究していくと、まず最初は民俗学の視点で日本を見て、エッセイを書いている段階があります。やがて日本の文化や言葉、風土を自分のものにしていったことで、西洋の視点で日本の素材を文化的に融合させていきます。ここに、八雲独自の文学の完成形が発現してきます。例えば、雪女の物語は、元になった伝説では、雪女という不思議な存在がいたということしか伝わっていないのですが、八雲が加えたオリジナリティにより、怖さと哀しさ、そして一抹のやさしさが残る短編小説に昇華されています。
小泉八雲と焼津
八雲が日本に滞在したのは14年間でしたが、晩年の7年間のうち、6度に渡って焼津を避暑地に選び、現地に部屋を借りて滞在しています。
八雲は日本滞在中の前半は旅が好きで、西日本を広く巡っていました。しかし、東京帝国大学に奉職した後の旅先は、ほぼ焼津一本に絞られています。
何が八雲をそこまで引きつけたのかは、色々と考えられますが、焼津の深い海、民俗的な伝統が息づく土地、素朴な人々といった、八雲が好きな古き良き日本が、まだ色濃く残っていたことが理由ではないかと考えています。
八雲は都会の近代化の中で、日本の文化が消えていく様が耐えられなかったようです。
八雲の妻であるセツさんの記録に、初めに住んだ松江と並んで、焼津がお気に入りだったことが明記されています。八雲にとって焼津は、ただの避暑地ではなく、心のふるさとであり、癒やしの場所だったと思われます。
八雲の元々のふるさとは、地中海に面した豊かな海を持つギリシアの島であり、早くにギリシア人の母と生き別れています。私は、海は八雲にとって母親の原風景と感じられていたのだと考えています。八雲は水泳が好きで、海に入った時に霊感を得る人です。焼津でも、水泳中に海で亡くなった方々の霊である、わだつみの声を聞いたと書いています。この体験は、耳なし芳一の話とリンクしていると考えられます。
小泉八雲を地域資源に
最初は、八雲を地域活性化に活用しようという視点はありませんでした。しかし、八雲に限らず純文学が世の中から孤立し、ゆっくりと忘れられているという危機感はありました。
現代文の教科書に採用される作家も、比較的最近の作家に交代していく傾向にあり、人の目に触れなくなった純文学は、世の中にとって無くても構わないものに変わってしまうのではないでしょうか。
そうした状況を打破するためにも、八雲を顕彰し続け、地域のために貢献する存在にしなくてはと考えました。
まず、静岡県立大学と組んで、文学を資源として地域を盛り上げるプロジェクトを始めました。学生のアイデアでグッズを作成したり、地域のお店で八雲のお菓子を出してもらったりしました。
文学は、人に読むことを押しつけることはできませんが、興味を持ってもらうきっかけを用意することはできます。焼津小泉八雲記念館でも、文豪アルケミストというゲームとのコラボを、今までに2回行いました。
文学は既に確立した作品があるため、それを既存の地域資源として活用する際に、新たな資源やコストをあまり投入せずに済むことから、SDGsにもつながっていきます。
文学資源がどのようにツーリズムに活用できるかを今後研究し、具体的な旅行商品の提案などにつなげていければと考えています。
その他にも、静岡県中部は東部に比べて文学が目立っていないと思います。また、各文学館の横のつながりも薄いので、静岡市と藤枝市の文学館と組んでバスツアーを開催したり、工夫を重ねています。
学生のアイデアを活かして地域活性化
大学に移ってからは、焼津市の浜当目海岸の活性化のため、学生の力を活かしています。浜当目の散策マップを作るに当たり、焼津の偉人を使ったり、ウェルカムボードとして八雲とヤマトタケルのパネルを置きました。
また、コーヒーラボで学生がデザインしたキャラクターをパッケージに採用していただいたりしました。
私は、本来は何も見るべきところがない場所などなく、昔からある資源を形にして発信していけば、見どころが見つかると考えています。
その際、無形の文学は特に埋もれていく速度が速いので、注意して顕彰を続けて行くことが必要です。焼津にも八雲の頃の史跡があまり残っていないのが残念です。
今後挑戦していきたい取組
私は、文学を孤立した存在ではなく、歴史を学ぶ一つの手段として役立たせることが必要だと考えています。文学には、作品を読むことで、そこに描かれた時代の姿が立体化してくる作用があり、当時の営みが伝わってきます。
広く文学を捉え、各作家単独ではなく、例えば海の文学として八雲、三島由紀夫、井上靖といったコラボレーションを行うことで、集客力を高めつつ、お客さんが触れたことがない作家にも触れる機会を作るといった取組も有効だと思います。
静岡県中西部は個人文学館が多い割に連携が弱く、単独での集客力や知名度は高くはありません。まずは各館が連携し、ツーリズムの視点で活用していくことで、文学が地域資源として認識され、残っていくと思います。
また、坊っちゃんの松山市、宮沢賢治の花巻市、伊豆の踊子の伊豆地域など、文学を強く顕彰し、作品のイメージを色濃くまとっている街について、先進事例として学んでいきたいと思います。八雲に特化した街としては、松江市が焼津よりも強力に八雲を顕彰しているので、そこに学びつつ、連携を強化していきたいと考えています。両市の学生に交流してもらい、学び合うことも、互いに得るものがあると思います。
焼津市のここが好き!
漁師街ということもあり、人に裏表がないところが好きです。八雲も、焼津の方は開けっぴろげで正直だと書いています。
また、浜当目から見る富士山や、西伊豆、さらに天気がいいと箱根まで見える駿河湾の眺めも大好きです。
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