畑地帯総合整備事業牧之原地区
県営畑地帯総合整備事業(担い手育成型・担い手支援型)
日本を代表する一大茶生産地を形成する牧之原。
そこで農業を営む方々にはより安定した農業経営の基盤を、また一般消費者に対しては安全で低価格な農産物の提供をめざして畑地帯総合整備事業を実施しており、その事業内容について紹介します。
牧之原地区・茶園整備の歴史
牧之原は、もともと諏訪原と呼ばれていましたが、武田信玄の命を受けて築城した諏訪原城が天正3年(1575年)に徳川家康により落城した際に、家康によりこの一帯を牧野ヶ原と改められました。さらに、明治4年頃、地籍簿を作る際、牧之原と改称しました。
慶応3年(1867年)、徳川慶喜が大政を奉還し、駿府に居を定めた時、中條金之助影昭を隊長とした幕臣の精鋭隊(のちの新番組)が、護衛のため慶喜に随行し、静岡に移住してきました。その後、世上も平穏となったため、護衛の職を解かれた中條率いる新番組の同士は、勝海舟の勧めにより、牧之原開拓に従事することになりました。剣を鍬に持ち替えて慣れない開拓事業は、苦難の連続でしたが、中條の固い信念や統率力により、見事に茶園として開拓されていきました。
また、同じ頃に職を失った大井川の川越職人たちも牧之原に入植し、開拓事業に加わりました。そして、明治6~7年頃に始まった茶の生産は、明治12年には、横浜の製茶共進会に「川越人足開拓の茶」を出品し、入賞するほどにもなりました。
現在のように、牧之原が茶の圧倒的生産地になったのは、気候や土壌、交通の便の良さ等の地理的条件の他に、中條や川越人足を始めとする茶業関係者の努力の賜と言えるのです。
この時の功績を称え建立された、中條金之助影昭像は、今も牧之原台地の一角でこの大茶園を見守っています。
大井川・牧之原の沿革
明治2年(1869年) 徳川藩士駿府新番組牧之原に入植
明治22年(1889年) 東海道線開通、茶荷物は汽車輸送となる
明治41年(1908年) 県農事試験場茶業部設立(後の茶業試験場)、杉山彦三郎「やぶきた」を選抜
大正8年(1919年) 牧之原に国立茶業試験場設置
昭和5年(1930年) 天皇陛下、牧之原茶園、県立試験場視察
昭和17年(1942年) 海軍、牧之原飛行場設置(大井航空隊)
昭和23年(1948年) 大井川総合開発調査委員会発足
昭和27年(1952年) 県営大井川かんがい排水事業着手
昭和32年(1957年) 中部電力井川ダム完成
昭和35年(1960年) 中部電力川口発電所完成
平成14年(2002年) 長島ダム完成
牧之原地区の概要
ここ牧之原は、静岡県のほぼ中心に位置する大井川下流の右岸に小高く連続して広がる広大な洪積台地で、東海道ベルト地帯の中心に位置する交通上の要所であるとともに、日本一の茶の集団栽培地として知られています。牧之原における茶園開発は明治以降のことであり、それまでは住む人もまれな荒地であったといわれています。
この地域は、温暖な気候や平坦な地形など、お茶の栽培にとって比較的恵まれた環境にありながら、台地上のために水には恵まれず、農業に必要な水だけでなく飲み水にも事欠く状況であり、不安定な農業を強いられてきました。
国・県営事業の経緯
昭和40年度 畑地かんがい事業実施陳情
昭和43年度 静岡県牧の原畑地かんがい調査事務所発足
昭和47年度 県営事業湯日地区着手、県営事業全体計画作成
昭和48年度 静岡県牧の原農業用水建設事務所開設、牧之原畑地総合整備土地改良区設立
昭和53年度 国営牧之原農業水利事務所開設
昭和61年度 牧之原農業用水水利権認可
平成元年度 牧之原農業用水通水開始
平成9年度 国営牧之原農業水利事業完了
平成20年度 静岡県牧の原農業用水建設事務所閉所
平成26年度 県営事業完了
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