あなたの「富士山物語」(厳しかった、富士山には機械式/殿岡和彦)

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ページID1019341  更新日 2023年1月13日

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厳しかった、富士山には機械式/殿岡和彦

一九八九年に、現在の処、最初で最後の富士登山をしました。八月二十九日のレーダーの一時停止に合わせて観測所レーダードーム内まで取材の仕事で、夕方からスタッフ三人で登り始めました。七合目辺りまで行くと、日は沈み夜になってしまいその高さの山小屋に泊まる事になったのですが、客の少ない中、狭いスペースで横になって寝る様に指示され、シングルスペースの半分位で寝ました。日の出のちょっと前に御来光だよと起こされ、爽やかな朝日を浴びながら頂上へ向けて出発となりました。登りながらの楽しみは、八角棒に各小屋で其処の高さの記念の焼印を押してもらいながら上を目指す事でした。

実に私は「記念!」のことばに弱いですね。歩きながら撮影をし、上を目指していましたが、九合目過ぎた位で、何ともなかった電子シャッターのカメラが撮影途中で動かなくなり、電池を変えても頂上観測所内で程なくストップ・・・。

仕方なく、最後の手段の機械式シャッターのボディーで撮影を続ける事となりました。所内撮影しながら予定の時間を待ち、いよいよドームの中へ。気分は「ヤッター日本の頂点!」でしたが・・・ともかく仕事、ドームの中は十二帖間を丸くした位の感じで、樹脂製の壁が大きなパラボラのアンテナを包んでいました。光の具合はまさかの状況、オレンジ色の光がドーム内に差し込み、昼間だというのにおもいっきりタングステン光、手持ちのストロボでは対応できず、デイライトフィルムでそのまま撮影する事にしました。

またその年の富士登山駅伝では、スタート・ゴール地点に一人残して、私は須走口から早めに六合目過ぎまで登って途中撮影準備、当日は台風が富士山へ向ってどんどん近づいており、雨対策はしていましたが、選手たちが走って来る中、雨風がどんどん強まって、やっぱり最初の内は動いていたカメラも雨に濡れてストップ、電池交換も出来ないのでニコンについている緊急用機械式シャッターを使い、露出を合わせ撮影を続けました。その後、途中の山小屋でテレビ中継を観ていると、山頂でレポート中のアナウンサーが丁度強風に飛ばされて、カメラの前からフェードアウトしてしまったところでした。レースは山頂までは行けず途中折り返しとなり、早めに選手が降りて来ました。砂を巻き上げ降りて来るシーンを撮り終え帰路に着きましたが、選手はもちろん私もカメラもずぶ濡れになってしまいました。

富士山は、遠くから眺めている時は優雅で綺麗ですね。私のその年の思い出です。

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