あなたの「富士山物語」(私と富士山/真野弥之助)

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ページID1019361  更新日 2023年1月13日

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私と富士山/真野弥之助

毎日見ている富士山に登頂しようと思ったのは、昭和十九年六月徴兵検査をうけ、必ず征く死の前である。

時は七月二十二日友人と二人、携帯品は握飯四食、ワラ草履五足、懐中電灯等々。コースは須走口の最短距離とした。十四時頃御殿場駅に到着、バス(木炭車)は満車、意を決して徒歩。一合目室(ムロ)を間近に大粒の夕立、止むなく林に入り雨宿り。そして十九時頃一合目室に到着、宿泊を覚悟したが、幸運にも二十三時頃雨は止み暗黒の空に満天の星、早速出発。頂上にむかって数珠の如く見える懐中電灯の波また波。五合目付近で海軍旗を担いて登って来る青年に、「元気ですね。」と言葉をかけた処、「五月徴兵検査で海軍に決定、征った後は判らない命、是非登頂したいと思って来た。」とのこと。「小生は陸軍です。お互い頑張りませう。」と云って別れた。無事復員出来ただろうかと今彼を思う。

御来光は八合目半、実にすばらしい景色で今でもあの光景が脳裡に焼きついている。七時半頃頂上に到着、驚いた事に見渡す限りの銀世界、下の雨が頂上では雪となっていたのである。暫く休憩して朝食、母の心こもった梅干しの握飯が実に美味であった。帰りは御殿場口、砂走りではワラ草履三足消耗し、十二時過ぎに滝ヶ原経由御殿場駅に到着した。

そして九月出征、翌二十年十月三十日復員した。早朝沼津駅に到着。一年振りに見る霊峰富士、腹の底から帰って来たと云う熱い感情がこみあげてきた。富士山は私にとっては、心の友である。

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