あなたの「富士山物語」(富士登山の金剛杖/西原勝)

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ページID1019358  更新日 2023年1月13日

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富士登山の金剛杖/西原勝

富士山の麓富士宮市に生まれた私は、いつも日本一美しい富士山を当たり前のように見て育った。最初の富士登山は中学三年生の夏、昭和三十四年七月三十一日から二日がかりであった。

当時未舗装の登山道路は二合目までであったが、ボンネットバスはあえぎあえぎ一行を終点まで運んでくれた。
当時の写真では、坊主頭に学生帽、袈裟懸けの水筒にリュックサック、旭日旗と日の丸の旗が付いた八角形の金剛杖を持っていた。そしてこの杖には、各合目の小屋で焼印を押して登山記念としていた。

時は廻り三十五年後、我々夫婦の三人姉妹の末娘が進学のため下宿することになり、長女が嫁げば家族揃っての旅行は難しくなるため、記念にと私にとって二度目の富士登山を計画し、昔使った古い金剛杖を探し出し、強度を確かめたうえで持って行くことにした。

平成六年八月七日早朝、自宅から車で出発するも駐車場探しで登山開始はかなり遅れた。ひどく混んだ六合五勺では、アルバイト学生が昔と同じように焼印を押していた。私の金剛杖にも押してもらったが、別に気にする風もなかった。

八合目の山小屋では「古希」位の歳の老人が焼印を押していた。そして私の杖を見た途端驚いたような顔をして、これはいつ頃のものなのか尋ねてきた。この杖には二合目から四合五勺まで、今は既に存在しない懐かしい焼印があると、目を輝かして言うのである。昔の登山を話すと、皺の深い真っ黒に日焼けした顔の老人は、いとおしそうに、無言で薄くなった焼印を撫でながら、一つ一つ時間を掛けて眺めていた。きっと昔の自然のままの富士山の「むろ」(山小屋)や、汚されていない景色を思い出していたのだろう。焼印は無料にしてくれた。

今の富士山は登山者でごった返しているが、地元には「登らない馬鹿、二度登る馬鹿」という諺がある。私は既に二度登ったが、もう一度この焼印のある金剛杖を持って、世界遺産になった富士山を登りたいものである。

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